東日本大震災と福島第一原発事故から9年になりました。新型コロナウイルスの影響で追悼式も中止され、私たちは様々な意味で、再びの試練と岐路に立たされているのかもしれません。
地震・津波の多大な被害に加え、私たちの暮らしを大きく変えた原発事故。あの危機に政府はどう対応したのか。
起きたことをつまびらかに記した『東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと』(菅直人著、2012年10月刊)から、一部を抜粋してお届けします。
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はじめに
私の総理大臣在任期間は、二〇一〇年六月八日から二〇一一年九月二日までの四五二日間であった。在任中の最大の出来事は、いうまでもなく、東日本大震災と東京電力・福島原発事故である。退任直後から、この原発事故に遭遇した総理として、何らかの記録を残すことが必要だと考えていた。
総理退任から一年が経過し、政府事故調(政府事故調査委員会)など各種の調査報告も出そろったので、記憶が薄れないうちに書き留めておこうと筆を執った。
私としては、私が知る事実をできるだけ正確に明らかにしたい。その上で、単に事実をなぞるだけではなく、原発事故の渦中で私自身が総理大臣として、何を考え、どう決断をし、どういう気持ちで行動したかを、当時を思い出しながら述べてみたい。
政治家の行動・仕事を評価するのは政治家本人ではない。私自身は私心を捨てて命懸けで行動したつもりだが、評価をするのは私ではない。政治家の行動についての評価は最終的には歴史に委ねるしかないと思っている。
東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと
「冷却機能停止」の報せから拡大の一途をたどった原発事故。有事に対応できない構造的諸問題が露呈する中、首相として何をどう決断したか。歴史的証言。