「戒厳令に近い強権発動――私は覚悟した」。東日本大震災から丸9年。地震・津波の多大な被害に加え、私たちの暮らしを大きく変えた原発事故。あの危機に政府はどう対応したのか。『東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと』(菅直人著、2012年10月刊)から、一部を抜粋してお届けします。
※写真はWEB用で書籍には入っていません
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さらに続く最悪のシナリオ
仮に、どうにか五千万人が避難できたとしても、「最悪のシナリオ」は終わらない。
二五〇キロ圏内に数十年にわたり、人が住めなくなるという事態を想像して欲しい。
その地域で農業、牧畜、漁業に従事していた人々は、住むところだけでなく職も失う。工場で働いていた人々も、大企業の工場であれば、国外を含めた他の工場へ配置転換されるかもしれないが、町工場はそのまま倒産、失業だろう。個人商店も同様だ。デパート、スーパーなどの流通業も全国規模の会社であれば倒産は免れるかもしれないが、人員整理は必至だ。鉄道、電力、ガス、通信といった地域サービスを提供する会社も東日本では仕事がなくなる。
安定している職のはずの公務員はどうだろう。国家公務員は国家再建という大仕事があるので、忙しくなるだろう。失業対策の意味からも、公務員の雇用を増やせということになるかもしれない。だが、二五〇キロ圏内にあった地方自治体の職員はどうなるのか。概念として、◯◯県とか◯◯村は存続しても、住民も散り散りとなってしまえば、もはや自治体としての機能は失う。圏外の役所に間借りして、帰れる日のために最低限の職員が残ることになるのか。
避難した人たちの住宅の手当も必要だ。一千万戸以上の仮設住宅など、不可能である。ホテル、旅館、空き家、空き室を国が借りて提供するとしても限度がある。
そして、一千万人以上になるであろう失業者をどうするか。地震、津波被害の復旧という仕事も、その地域そのものが避難区域になるわけだから、もはや存在しない。
学校はどうなるのだろう。避難区域内にあった私立の学校は経営が成り立たなくなる。大学も同じだ。学生や教授は避難できても、実験施設などはそのまま残していくしかない。病人や高齢者を受け入れられるだけの病院や施設はあるのか。
避難区域外の企業としても、取引先が東京であれば、売掛金の回収が不可能になるし、今後の得意先を失うことになる。直接・間接を問わず、全業種・全企業に影響が出る。
経済の混乱は必至である。そうなれば、株の取引も停止するしかない。円も大きく下落するだろう。日本経済全体が奈落の底に落ちていくことになる。
東京の地価は暴落どころではないかもしれない。一方で大阪や名古屋は地価が高騰するかもしれない。土地の売買の停止も必要になる。こうなると、資本主義、私有財産という概念も否定せざるを得ない。
海外に移住する人も出てくるだろう。まさに、『日本沈没』に描かれている状況だ。
いったい、国はいくら支出しなければならないのか。その財源はどこにあるのだ。
さらに、二五〇キロ圏内が避難という事態とは、同時に大気と海によって世界中に放射能をまき散らしている状況になっていることも意味する。そのことへの国際的非難と賠償を求める声に、日本は国としてどう対応できるのか。東電という民間企業に責任をなすりつけることは許されないだろうし、だいたい東電が対応できる次元のことではなくなっている。
とても、ひとりでは考えられない規模のシミュレーションだった。
私の頭の中には、危機的状況が何度も浮かび上がった。
原発の重大事故は起きない。その前提に立って日本の社会はできていた。原発を五四基も作ったのもその前提があったからだ。法律も制度も、政治も経済も、あるいは文化すら、原発事故は起きないという前提で動いていた。何も備えがなかったと言っていい。だから、現実に事故が起きた際に対応できなかった。
政治家も電力会社も監督官庁も「想定していなかった」と言うのは、ある意味では事実なのだ。自戒を込めて、そう断言する。
だが、私は事故が起きてからは、想定外だろうがなんだろうが、すでに起きてしまった現実からは逃れられないと覚悟を決めた。
※次回「見えない敵」は、3/23公開予定です
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