外国人観光客が集まる人気宿泊街として、
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部屋には四つの二段ベッドが
どんな男たちと同室なのかと、興味と不安が混ざり合ってハラハラしながら部屋に入ったが、部屋の中はもぬけの殻だった。
部屋は六畳間で、天井はやや高めだ。二段ベッドが据えつけられていて、八人部屋になっている。部屋には誰もいないが、壁に掛けられた作業着・下着・タオルや、棚に置かれた鍋・調味料・食材などが、彼らがそのうち戻ってくることを暗示している。
僕のベッドは入り口を入ってすぐの右下であった。半分に畳んである薄っぺらい布団を広げて横になった。シーツと枕カバーはサラッとしていて、それほど不潔ではなさそうだが、見えるものは上段のベッドくらいで、目のやり場がなくて落ち着かない。少し横になった後、日の暮れないうちに作業ズボンと地下足袋を買いに出かけた。
ドヤの向かいの作業着屋に入り「作業ズボンと地下足袋が欲しいんですけど」と声をかけると、五十歳くらいの女性の店員はいくつかの作業着や足袋を持ってきた。どれも似たようなものにしか見えないが、五百円前後値段が違う商品もある。
僕は丈夫な方がいいと思ったので、値段の高い商品を選ぼうとすると、おばさん店員は、
「お兄さん若いから、まだ安いのにしておいた方がいいよ」
と、勝手に選んでしまった。値段の高い方がしっかりしてそうだと思ったが、おばさん店員によると、若い新人がベテランの人より高い物を身につけているとよく思われないのだそうだ。
ドヤ街の住人はみな同じように見えるが、服装などでそのランクが目に見える。例えば、とび職人はダボダボのニッカをはくが、土工などの未熟練の労働者はそれをはかない。僕は何でも格好から入ってしまうタイプなので、派手なダボダボのニッカにねじり鉢巻きでもしたい気分だったが、さすがに職人でもないずぶの素人では許されない。
それでも足袋だけは丈夫なのを買った方がいいと言われ、しきりに「力王(足袋のメーカー)にしておきな、もちが違うから」とこだわっていた。
宿を確保して作業着の準備も整うと、安心したせいか急に腹が減った。
山谷の中には蕎麦屋・寿司屋・定食屋などの飲食店があるが、客は酒を飲み、店内はどこもまるで居酒屋のようだ。夕方になり仕事を終えた労働者が帰ってくると、街にも活気が戻ってくる。どの店に入ろうか迷いながら歩いていると、賑やかそうな大衆食堂が目につき、その雰囲気に惹かれるまま暖簾をくぐった。
不思議な「キャバクラ食堂」
「いらっしゃいっ、こっち来てよー」
店に入るやいなや僕の両腕は、四十歳くらいのおばさんと二十歳くらいの女の子に掴まれていた。二人とも僕の腕にぴったりとくっつき、自分の担当するテーブルに座らせようと引っ張りあう。
何だこの店はと驚きながらも、困ったことに、僕の足は勝手に若い女の子の方へと向かってしまった。若いだけでなくわりと可愛かったのだ。
女の子の店員に腕を引かれるままテーブルについた。それなりの店ならどうということもないサービスなのだろうが、その女の子は割烹着を身につけた定食屋の従業員なので、そのギャップがおかしかった。そして外見からではわかりづらいが、会話の発音から彼女たちがアジア系の外国人であることがわかる。
店内は広く、ざっと百人以上は入りそうだ。その店内を十数人の女性従業員が料理やお酒を運ぶ合間をぬって、喋ったり、客と一緒に飲み食いしたり、お尻を触られたりしている。まるで、B級キャバクラ食堂といった感じだ。
壁一面に貼られたメニューの品数は豊富で、野菜炒め二百円、豚生姜焼き二百五十円、鯖の味噌煮百五十円、生ビール中ジョッキ二百八十円、チュウハイ二百円、ウイスキー百五十円と非常に安く、労働者にはまさにうってつけの店だ。
「おニイさん若いね、いくつ? 十代?」
客層は四十代から五十代の労働者風の男が中心なので、僕のような若い客は珍しいらしいのか、驚いた様子だ。
「おネエさんはいくつ?」
「ワタシ二十一」
「おネエさん、どこの国から来たの?」
「福建省ね、あの人と同じ、親せきね」
そう言うと、彼女は隣のテーブルのおばさんを指差した。
ここの客はたいてい一人か二人で来る者が多く、決まったおばさん(ごく稀に女の子)が担当するテーブルに座る。そして、同じテーブルに座った者同士は馴染みの常連だったり、顔見知りだったりして、一緒に酒を飲み、テレビを見ながら賑やかにやっている。ドヤ街の飲食店はただ単に飲み食いをする場所としてだけではなく、コミュニケーションの場としても機能している。
九時ごろに食事を済ませると、日ノ出ハウスに戻った。
部屋に入ると、住人はみんな寝ていた。僕のイメージするドヤの夜とは、かなりの偏見かもしれないけれど、酒を飲み、博打を打ち、その横で大鼾をかきながら眠る人々、というものだった。しかし、消灯の九時半を過ぎると電気は自動的に消され、門限の十一時にはみんな静かに眠る。大鼾をかく人くらいはいると思っていたが、睡眠を妨げるほどの酷い鼾は聞こえない。ドヤは思いのほか静かなので、かえって不気味なくらいだった。
だから山谷はやめられねえ
ごく普通の大学生の「僕」は、就職活動を前にしてドロップアウト。そして始めた東京・山谷(さんや)でのその日暮らし。宿なし・金なし・家族なしの中年男たちと寄せ場や職安に通い、飯場の世界にも飛び込んでいく。そこで「僕」が見たものとは……。幻冬舎アウトロー大賞を受賞した『だから山谷はやめられねえ』は、知られざる山谷のリアルを描いた傑作ノンフィクション。その一部を特別にご紹介します。