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だから山谷はやめられねえ

2020.07.23 公開 ポスト

日雇い労働者の街「山谷」に集まる男たちの切ない人間ドラマ塚田努

外国人観光客が集まる人気宿泊街として、いま注目を集めている東京・山谷(さんや)。しかし、かつては「ドヤ街」と呼ばれる日雇い労働者の街でした。2005年、「幻冬舎アウトロー大賞」を受賞した『だから山谷はやめられねえは、そんなかつての山谷をリアルに描いたノンフィクション。宿なし・金なし・家族なしの中年男たちと寄せ場や職安に通い、飯場の世界にも飛び込んでいく「僕」。そこで見た衝撃の光景とは……。本書の一部をお楽しみください。

*   *   *

そこにはさまざまな住人が

山谷の中で生活していると、住人との様々な出会いもある。

(写真:iStock.com/KatarzynaBialasiewicz)

同室の高橋さんは、酔っぱらってベッドの上から落ちて腰を痛めて以来、生活保護を受けているという。働いていないので、いつも暇そうにドヤの中をブラブラしている。年齢は六十歳くらいで、白髪で丸刈りの頭と大きな皺を寄せた笑顔が印象的だ。見た目も小柄でガリガリの痩せ形なので、健康だったとしても、とても建築現場で働けるようには見えない。

高橋さんは長期滞在の宿泊者なので、寝床の上の棚には醤油や塩などの調味料からインスタントラーメンにキャベツなどの食材が所狭しと並ぶ。拾いものかと思えるほどに年季の入った鍋が鈍く光っている。またベッドの上には、洗濯物がまるで運動会の万国旗のようにつり下げられている。

そんな感じですっかり部屋にとけ込んでしまっている高橋さんは、酒で失敗しているにもかかわらず、それでも酒はやめられないという。生活保護の金でも酒を飲んでしまい、半月でほとんど金がなくなってしまう

また高橋さんは見かけによらず読書家らしく、枕元には西村京太郎や内田康夫、北方謙三などの小説が山積みになっていて、「そこにあるの持っていっていいよ」と勧めてくれる。僕が遠慮すると、「お兄さんはこっちの方がいいかな」と言って、週刊漫画を手渡してくれた。もちろん、これらはすべて拾い物だ。また高橋さんは本だけでなく、お菓子も分けてくれた。そんな高橋さんがいたので、僕は自然とその部屋に馴染むことができた。

ところがある夜、高橋さんの様子がおかしかった。いつもなら消灯と同時に眠ってしまうのだが、十一時になるのに小さな声で独りごとをぶつぶつと言っている。初めは小声だったので聞き取れなかったが、声は次第に大きくなり、はっきりと聞き取れるようになった。

中田さん、何とか言ってくれよー。中田さんが言ってくんなきゃ俺狙われちゃうよー。ここで狙われたらもうおしまいだよ、何とか言ってくれよー。病院に薬もらいに行かなきゃいけないのに、外でらんなくなっちゃうよ。金もないしよー、中田さん! 俺が悪かった! 謝るからよー、中田さんから誤解といてもらわねーと俺狙われちゃうよー。でも、中田さんが教えてくれて助かったよ。知らなきゃそのまま狙われてたよ。だから何とか助けてくれよ。

高橋さんがこのような意味のわからない独りごとを朝の四時まで続けたので、僕は一睡もすることができなかった。同室の他の人もこのような状況では眠ることができるわけもなく、トイレに行ったりタバコを吸ったりしていた。だが、彼らが高橋さんに注意をしたり話しかけたりすることは一度もなかった。そして高橋さんが口にする中田さんという人がこの部屋にいる人かどうかさえわからなかった。

去って行った高橋さん

しばらくすると、高橋さんは夜も明けぬうちに荷物をまとめ、「残りの物は適当に処分してください」と呟くと、部屋を出ていった。この部屋に長い期間住んでいた高橋さんの荷物は多く、持ちきれなかった本・調味料・野菜などが残されていた。だが、それらを従業員が片づけてしまうと、さっきまで彼がそこで生活していた気配すらあっという間になくなった。

(写真:iStock.com/Oleg Elkov)

気楽な山谷生活を送っていると思っていた高橋さんが、実は重い物語を背負いながら生きていたのだと知ると、胸が締めつけられる思いがした。あてもなく出ていった高橋さんは今ごろどこにいるのだろう。

流動性が高いと言われる日雇い労働者だけあって、部屋の中の入れ代わりは激しい。短期宿泊者は一泊か二泊すると、いつの間にか姿を消している。毎日誰かが消え、誰かが入ってきた。偶然に隣り合わせた者同士は、お互いに深い話をすることはなく、野球や天気の話題を潤滑油にして、浅いコミュニケーションが図られるだけだ。

高橋さんが使っていたベッドには大野さんという人が入ってきた。大野さんは五十歳くらいで、現役の労働者だ。くたびれた作業着、親指が分かれた足袋形の靴下、そして日に焼けた色黒の肌がそれを物語る。小柄で、筋肉質ではないが、貧弱でもない。

そんな大野さんはベッドの上に腰掛けてビニール袋からバナナを取り出して頬ばると、僕に二本差し出した。腹は減っていなかったが、断るのも悪いと思ったので受け取った。そして「兄ちゃん、ほらっ」と、おにぎりとカップラーメンを手渡し、「お湯入れて食おう。食えば何とかなるさ」と言って立ち上がった。この差し入れは、ドヤを転々としているという大野さんにとって、挨拶がわりの潤滑油なのだろうか。

ドヤに住む人は喋り好きな人とそうでない人とにはっきり分かれるが、大野さんは話すのが好きなタイプであった。語り口がキッパリしていて言葉も丁寧なので、山谷の住人らしからぬ印象を受けた。

関連書籍

塚田努『だから山谷はやめられねえ』

ごく普通の大学生の「僕」は、就職活動を前にしてドロップアウト。そして始めた東京・山谷でのその日暮らし。宿なし・金なし・家族なしの中年男たちと寄せ場や職安に通い、飯場の世界にも飛び込んでいく。彼らは、そして就職を選べなかった「僕」は、ダメな人間なのか? ドヤ街の男たちと寝食を共にした一人の若者による傑作ノンフィクション。幻冬舎アウトロー大賞(ノンフィクション部門)受賞。

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だから山谷はやめられねえ

ごく普通の大学生の「僕」は、就職活動を前にしてドロップアウト。そして始めた東京・山谷(さんや)でのその日暮らし。宿なし・金なし・家族なしの中年男たちと寄せ場や職安に通い、飯場の世界にも飛び込んでいく。そこで「僕」が見たものとは……。幻冬舎アウトロー大賞を受賞した『だから山谷はやめられねえ』は、知られざる山谷のリアルを描いた傑作ノンフィクション。その一部を特別にご紹介します。

バックナンバー

塚田努

1974年生まれ。2005年、「だから山谷はやめられねえ」で幻冬舎アウトロー大賞(ノンフィクション部門)受賞、デビューを果たす。

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