70歳を迎えた今も、現役で活躍し続けている伝説のモデル・我妻マリさん。
17歳でモデルデビューした後、サンローランのオート・クチュールモデルを10年間務め、パリコレへ進出。
イッセイ ミヤケ、ティエリー・ミュグレー、ジャン⁼ポール・ゴルチエなど数々のショーで活躍し、日本人モデルがパリコレクションへ進出する礎を築きました。
そして、60歳を過ぎて栃木県に移住。ファッションの最前線に立ち続ける一方、運転免許も取得し、女ひとり(+猫たち)で自然を謳歌して暮らしています。
本書『明日はもっと面白くなるかもしれないじゃない?』は、そんな我妻マリさんの初めての著書。50年以上のモデル歴で培った、おしゃれの真髄、体の慈しみかた、そして年齢を重ねることについて―。少しずつですがご紹介いたします。
久しぶりに着る服は、数日前にクローゼットから出して挨拶を
以前、断捨離が流行ったことがあったでしょ。あのときに、いろんなものを手離したことを心から後悔しているんです。
ちょうどお引っ越しのタイミングで、あまりにもものが多かったから、私も断捨離してみようかしらと思っちゃったのよね。失敗したわ。
なつかしい服を見たり、袖を通したりすると、体がその服をよく着ていた時代のことを思い出します。その頃の風景もぱーっと頭に浮かんでくる。
たとえば、「このコム・デ・ギャルソンの服は、銀座の西武百貨店に行って買ったなあ。あれは、パリから帰ってきてすぐのことだった……」とか。
どうして東京で買ったかというと、パリではギャルソンの服がとても高かったから。倍以上の値段がしたので、とても向こうじゃ買えないって思ったの。だから帰国するなり西武に行って買ったという記憶が、ぱーっと思い浮かんでくる。
コム・デ・ギャルソンは、川久保玲さんの教育が行き届いてらして、店員さんが、シワが出ないように綺麗に服をたたんでくださるの。その薄く綺麗にたたむ技術が素晴らしいなと感動したことまで思い出すんです。
そういう記憶って、人生そのものでしょ。それを断捨離してはいけないと思ったんです。もう二度とやらない。
とはいっても、服だって毎日着てあげられるわけじゃないから、長いこと使っていないものは、触って慈しんでいます。
クローゼットから出して、「しばらく着ていないけれど、元気だった~?」と、声をかけると、服もよそよそしくならない。
久しぶりに着る服は、何日か前に部屋に出しておくと、いざ袖を通すときに、親しい感じがしてしっくりとなじみます。同じ空気を何日か一緒に吸って生活するだけで、私の服という感じがするのね。クローゼットから出してすぐ着るのとは大違い。
ものを大事にすると、自分も元気になると感じます。
それはきっと、ものを大事にするということは、自分を大事にすることにつながるからだと思う。どうでもいいと思うものに囲まれて生きていたら、自分自身も粗末に扱ってしまうことになるんでしょうね。
だから、これからも自分が大切にしたいと思うものに囲まれて生きていきたいと思います。
サンローランから学んだ、ファッションの真髄
人が丹精込めて、手をかけて作ったものには、そのもの自体にエネルギーが宿る。
私がそれを知ったのは、サンローランのオートクチュールのモデルをさせてもらったときからです。
オートクチュールというのは、その人その人の体型に合った縫製をする、世界でたった一着の服のこと。私たちモデルは、そのサンプルを着て、お得意先のお客様の前でショーをするんです。
服がよく見えるように、コートをゆっくり脱いで、お客様の目の前でターンをして。そういう歩き方は、オートクチュールをやっているときに覚えました。お客様がメニュー表を持っていらっしゃるから、私たちはカードを持って歩くのよ。昔は、一着ごとに服に名前もついていました。薔薇の精とか、春の訪れとか。そうやって、作るほうも買うほうも、その贅沢な時間を楽しんでいたの。
モデルをするようになって最初に驚いたのは、オートクチュールはすべて、手袋をはめて触るものだということ。聖なるものなんですね。
ボタンひとつ、裏地ひとつとっても、すべてこだわり抜かれている。裏地なんて、表の色に合わせて、わざわざシルクを染めるんです。だから、ほんの少し袖口からこぼれる色も、ため息が出るくらい美しいの。
それに、モデルの体に合わせて仮縫いをしているときの、パタンナーの真剣な眼差しを見ていると、こっちも息をしちゃいけないんじゃないかと思うくらい。実際は、私たちモデルで仮縫いするときは、ものすごいスピードで仕事を進めるから、ときどきマチ針が体に刺さって「痛っ!」って声が出ちゃうこともあるんですけどね(笑)。
ショーにお見えになったお客様が、たとえば1番のブラウスが欲しいわとなると、パリに採寸にいらっしゃいます。一度採寸したお客様は、パリにマネキンが保管されるんですよ。お客様はモデルと違うから仮縫いの間1時間も立っていられないでしょ。だから、マネキンで服を合わせるのね。
体にフィットした服が、どれだけ人を美しく見せるのかというのも、このときに知りました。たとえば、ふくよかで、肩が丸くてずんぐりしているご婦人でも、オートクチュールとなると、背中がすっとエレガントに見える。肩にパッドが入って体の膨らみに合わせて立体裁断されるから、たいていの方は鏡をご覧になって、自分の背中の美しさに惚れ惚れされます。それがオートクチュールのすごいところ。
お値段が高いものには高い理由があるのだと学びました。
あれはまだ10代の頃。サンローランのクチュールサロンの方に「マリちゃん、一着でいいから、オートクチュールを買いなさい。そして毎日着なさい」って言われたことがあります。ちょうど私の体に合うサンプルがあって、こんなチャンスはめったにないから、買うべきだと言うのね。
それで、言われるままにローンで買って、その服を毎日ずっと着ていたことがありました。ジャケットとパンタロンだったけれど、当時の私にしてみたら、清水の舞台から飛び降りるようなお値段だった。
でも、サロンの方の言う通り、毎日それを着ていると、どんどん自分がその服に慣れてくるから、それを着た仕草も自然になってくる。ああ、これが「身につく」ってことなのね、と思ったものです。
「いい服を買うと、もったいなくて着られない」と思っちゃいますよね。その気持ち、私も同じだったからよくわかります。
でも、いい服ほどたくさん着てあげたほうがいいと、私はこのときに知りました。いい服は、くたびれないの。生地もパターンもいいから、一晩ハンガーに吊るしておけば、ちゃんとビシッと元に戻る。たとえ毎日着たとしても、朝になるとまた元気になっている。それが一流の服が持っているエネルギーなのよね。
生きていくのに100着の服は必要ないと思う。長く着られる、本当に気に入った服を少しだけ。
そんなブランドの服を、ほんの少しでいいから持っていると、自分も元気になれると感じます。
明日はもっと面白くなるかもしれないじゃない?
我妻マリ。モデル歴50年。今もファッションの最前線に立ちながら、60歳を過ぎて田舎へひとり移住した彼女が語る「受け入れる、けれど諦めない」37の生き方。
- バックナンバー
-
- 嫌なことも、あとから振り返ったら「経験さ...
- 心惹かれる場所には、魂の縁があるのかもし...
- 動物との生活が私に教えてくれること
- 移住して、花づくりのとりこになりました。
- 田舎暮らしはパラダイスじゃない
- 60歳を過ぎてから、田舎で女ひとり暮らし...
- パリのモデルに学んだ田舎暮らし
- 入院したって、それをSNSに書いたりしな...
- 女は灰になるまで色気があるほうがいい
- 年齢を重ねて手離したものと手に入れたもの
- 年をうまく重ねるには、格好つけずに相談す...
- 40歳からが女が面白い理由
- 自宅にいる時も気分転換に香水を
- 気持ちが晴れない時は、花を1輪買えばうま...
- 疲れてきたら、寝る前に自分の体に「ありが...
- 「自分はこれ!」というベーシックアイテム...
- 生きていくのに100着の服は必要ないと思...