新型コロナの流行以降、毎日メディアに登場しているウイルス学者・岡田晴恵教授は、10年前に、幻冬舎文庫より小説を2作出している。
1つは、「弱毒性インフルエンザ」(=毒性が、新型コロナに似ていると考えられる)によって、パンデミックが起こる『隠されたパンデミック』。「今起きていることと同じじゃないか?」と錯覚してしまうかのようなシーンが続々出てくる小説だ。
もう1つは、致死率の高い危険な「強毒型インフルエンザ」が流行して、日本がパニックに陥る『H5N1 強毒性インフルエンザウイルス日本上陸のシナリオ』だ。
現在大流行中の新型コロナウイルスは、この小説と違い、致死率が高いウイルスでないにもかかわらず、「感染爆発〈パンデミック〉」により、我々の経済も、生活も、破綻しかけている。
致死率の高いウイルスが、もし、今回の新型コロナのように流行してしまったら、日本は、世界は、どうなる……!?
このたび、小説『H5N1』より、一部公開する。人類が生き延びるヒントを、ここから読み取ってほしい。
* * *
南の島「ゲマイン共和国」で強毒性新型インフルエンザが発生した。商社マンの木田純一は、そのゲマイン共和国から帰国するのだが――。
【おもな登場人物】
大田信之 国立感染症研究所ウイルス部長、WHOインフルエンザ協力センター長
沢田弘 大阪府R市立S病院副院長、感染症内科の専門医
木田純一 大手総合商社勤務のサラリーマン、首都圏地域で初めて発症
* * *
11月4日 感染をスルーしたまま国内に降り立つ
その頃、木田ら同便の帰国者は機内から順に降り、控え室で検疫の順番を待っていた。ゲマイン共和国から出国した有症者の搭乗機とあって、検疫での注意事項や指示が厳格に行われていたのだ。一人ひとりに対応する検疫の面談はどんなに急いでも時間がかかる。木田もだんだん苛立ってきた。
いつもならもう入国手続きを終えた頃だ、荷物を受け取って税関を通る頃だ、タクシー乗り場に向かっている頃だ……と、数分おきに何度も時計に目をやりながら、木田はここから立ち去ることばかりを考えていた。
「一刻も早く、こんな“危険な場所”から離れたい」
木田の苛立ちは増した。香港で搭乗した時には、ほっとする安心感さえ起こさせる場であったはずのこの飛行機も、そして安堵の思いに包まれるはずの成田空港も、いつの間にか彼の思考の中では、危険で嫌な場所に変わっていたのだ。
やっと木田に順番が回ってきた。指定された経路を通って検疫の場所へと移動する。検疫が始まった。しかし、高まった苛立ちの感情を抑えることが出来ず、つい木田の検疫官への応答は乱暴になってしまう。宇宙服のような防御服、マスクとゴーグルで表情も全くわからない人間と、まともな対話をすることなど考えられない。それは周囲の人も同様だった。精神的な動揺と不安、恐怖とが人々の神経を逆なでし、パニック寸前にさせていたのだ。だが、一触即発しかねない空気の中で、検疫官は自らの分を守り、怒りに怒りを返すことはせず、よく持ちこたえ冷静に対応していた。
「木田さんですね、健康状態に異常はありますか?」
淡々と連発する検疫官の質問に、木田は無愛想に「ない」と答える。ウソではない。確かに彼に自覚症状は全く現れていなかった。
幾つかの質問に答え、注意事項を聞くと、ようやく検疫は終わった。
やっと帰れる……。そう思った木田が、ふと振り返ってみると、そこには順番待ちの長い列やごった返す人波が続く。合間に子連れの母親が泣く子を抱いて待つ姿が見える。一瞬、連鎖的に航空機内からマスクをして隔離されて行ったゲマインからの親子の姿がよみがえると、急に言いようのない恐怖が腹の底からわき上がってきた。
「アアアァァッ……」悲鳴とも泣き叫び声ともつかぬ声を上げながら、彼は走り出した。人を押しのけ、人混みをかき分けながら、走って、走って、走りまくった。一刻も早くこのおぞましい地から逃げ出したかった。
11月5日 東京都国立市・木田の自宅
朝、木田は起きた時に軽い倦怠感を覚えた。航空機内の患者や出入国の人波をトラウマのように思い出し、不快な感覚が込み上げたが、それも時差ぼけの一種だろうと彼は自分の“疑心暗鬼”を打ち消した。それでも検疫官の指示通り、体温測定を行い、平熱であることを確認すると、安心した。そして、昨日検疫で渡された健康管理票に記録する。
出張明けの木田は、今日、出張報告の会議に出なければならない。上司にも報告し、今回の出張で話をつけた商談の手筈(てはず)を迅速に整えるのが、商社マンのイロハだ。
木田は洗面を済ませると、ダイニングのテーブルを前にして座った。ニュースでは、新型インフルエンザ国内患者発生という報道と、福岡空港の映像が何度も映し出されている。患者は木田の便とは異なるゲマイン共和国からの直行便での帰国者だった。さらに、木田と同便の有症者についてもH5N1型陽性の患者が発生と、報道されていた。
昨日のあの家族の悲しそうな、うつろな目を思い出した。やっぱり彼は新型インフルエンザに感染していたんだ……。かわいそうに、という気持ちが芽生える前に、大丈夫だろうか、と木田は青ざめる。しかし、その不安に負けまいと、「同乗といっても、彼らはエコノミークラスで、僕の席からは離れていたし」と自分で自分に言い聞かせる。
テレビでは、成田空港で検疫官から言われたのと同様に、“外出の差し控え”を海外、それも発生国から帰国した人に呼びかけている。が、会社には新型インフルエンザに対する出欠勤の規定は何もない。不要不急の外出は避けてください、というが、会社に行くことこそ必要な急ぎの外出であろう。帰国の報告はしなければならない。木田はいつものパリッとしたスーツを着こなして、いつも通りの時間に、いつものように通勤の乗客で混雑する満員電車で出勤した。
国立駅から、中央線で東京駅へ。街は、新型インフルエンザ発生前と何も変わらない出勤風景を見せている。同じ電車に約束して乗っているのだろうか、何人かの高校生たちが一緒に電車に乗り込むとペチャクチャとおしゃべりが始まって、にぎやかだ。
電車はまもなく、母校の大学の前を通り過ぎた。体育会の連中が朝トレをする様子が見える。何年か前には、木田自身もあそこでああやって走り込んでいたのだ。そんなのどかともいえる平和な風景を見ていると、ついさっきまで胸の中に黒いしみとなって広がりかけていた不安も薄らぎ、「なんでもない。大したことではない」という気持ちになってくる。代わって木田の心の中には、「世界一安全で、衛生も医療もきちんとしている日本に帰ってきたんだから」という安心感が広がっていく。
終点の東京駅からは山手線に乗り継ぎ浜松町駅へ、この時間の山手線は外回りも内回りもすし詰めの混雑だ。これもいつもの出勤となんら変わらない日常の風景だ。またひとつ木田の中で安心感が「上書き」される。
本社ビルの自分の席に着くと、10時からの会議の報告書を急いで確認した。不安を抱えながらも、報告書は、いつもと同じように飛行機の中に持ち込んだパソコンでほぼ作成済みだったので、大した作業は必要でない。
10時。会議が始まる。木田はゲマインでの新しい商談の内容を説明する。午前中に会議は終了するが、この日は会議続きの予定だ。午後からのミーティングではかねてから懸案の別件について、上司の許諾をもらい、最終確認を取り付けたい。昼食のため社員食堂に入った木田は、カフェテリア方式で選んだ食事をのせたお盆を抱えて、空いた席を探した。この時間は混雑のピークだ。ほとんどの席が埋まっている。どこか早食いのオヤジでも席を立たないかと見回した木田に声がかかった。
「おぉ、木田、ここに座らないか?」。同期入社の小林だった。
「渦中のゲマイン共和国に出張だったんだって? 大変だったろう」
小林は国内の某飲食産業の冷凍食品の担当をしているため、仕事上でも接点があり、木田の行動もパソコン上のアジェンダでチェックすることができる立場にあるのだ。
「いやぁ、さすがに参ったな、家に着いた時には正直ほっとしたよ」
木田は、昨日のゲマインからの帰国の様子を淡々と話して聞かせる。
「ほぉ、すごいことになってるんだなぁ。だけど、体調は大丈夫なの? なんか目がうるんでるぞ。熱があるわけじゃないんだろうな?」
「え? いや、今朝、測ったけど平熱だったよ。検疫官に健康記録の用紙を渡されてさ、そこに体温を測るという項目があるんだ。これで熱でもあれば今日は仕事を休めたんだけどさ。あ、きっと発病した同乗客に同情したせいかな」
「くだらない冗談はよせよ」
小林は木田の肩を軽くこづく。木田も他愛もない会話に笑みを浮かべ、ランチタイムは心地よく終わった。
小林と別れると、木田は食器を片づけてデスクへ戻った。資料を持って会議室のある15階へ向かう。途中トイレに寄って鏡をのぞいてみる。確かに小林に言われたように、ちょっと目がうるんでいるようだ。水道をひねって水を出し流水に手をかざすと、水道水が冷たくて心地いい。心なしか体も熱いような気がする。さすがに緊張感と旅の疲れが出てきたのだろうか。木田はついでに顔を洗い、ペーパータオルをびりっと破り、ごしごしと拭きとると、会議室へと向かった。午後からは懸案の商談の承認を得なければならない。
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しかし、午後からのミーティングで木田は、懸案の商談の承認を得ることはできなかった。なぜなら、会議の後半、議題が木田の商談の話に入る前にその席上で、木田は急に高熱を出して倒れ、呼吸困難のため救急車で近くの一般病院に緊急搬送されてしまったからだ。
*
病院に搬送された木田は、付き添いの社員によって、ゲマイン共和国からの帰国者であることが告げられ、病院側はただちにみなと保健所に連絡をとった。木田は港区の指定病院に移送された。
連絡を受けていた指定病院では、完全防御した感染症の専門医、看護師らのスタッフが待ち受け、速やかに陰圧病床に搬送した。
木田の咽頭拭い液のサンプルはすぐさま、東京都衛生研究センターに送られ、そこでH5を確認。同日、国立感染症研究所ウイルス部でH5N1型の確認がなされた。
木田は急速に呼吸困難が進み、急遽、人工呼吸器を装着され、既に気管に挿管がなされていた。港区の指定病院では、厳重な感染防御施設の病室で、専門スタッフがマスク、ゴーグル、ガウンの防御服を着込んで、木田の治療に当たった。しかし、最先端の感染症の知識を持つ医師らの懸命の治療によっても、木田の命を取り留めることは出来なかった。あまりに急速に肺炎と肺水腫が進行し、X線写真の映像では、両肺に炎症像を示す影が急激に拡大した。
11月6日未明、WHOによるパンデミック警戒レベル5への格上げに伴って、厚生労働省でもただちに国内のフェイズを5に引き上げた。国内での感染拡大はいまだ大きくはないものの、全国各地へ拡がっていく傾向はもはや否定し得ないものとなっていた。
今年初めのテレビのニュース番組の中で、国立感染症研究所の女性研究員が、新型インフルエンザの大流行に備えて、食料品や日用品の備蓄をすすめていたのを思い出す。当時は「まさか?」と思っていたのだが、とりあえず、食料品と日用品を買い込まなければ。牧子は、今までも何回か利用したことのある、塾の近くにある中堅のスーパーマーケットへの角を曲がったとたんギョッとした。店内に入れない人が列をつくっているのだ。おそるおそる店を覗くと、ショーケースは空(から)になっているところもあり、レジには、大きなカートに買い物品を山盛りにした人々が幾人も順番を待っている。店内は夕食時を過ぎたこの時間とは思えないほど混雑しており、商品に近づくのさえ、一苦労のようだ。今から並んでも商品はないんじゃないかしら、そんな不安が頭をよぎった。
案の定、店の中では皆こわばった表情で手近なものをどんどんつかんでカートに投げ込んでいた。牧子も気後れしている場合ではない。カートが見つからなかったので、手持ちの籠をとりあえず持ち、争奪戦の中に入り込んだ。物を選んでいる余裕はない、何でもかんでも籠に放り込みしっかりと体に引きよせる。もう少しのところで、米の5キロ袋を隣の主婦に取られた。悔しい思いをしたが、すぐに別の食料品を手に入れるしかない。既にレジを済ませた人は、牧子の欲しかったパンやサラダオイル、ジャムや缶詰などを袋に詰め込んでいる。出遅れたという後悔が襲ってくる。
店員が倉庫から、新しく大きな段ボールを運んで来て、棚に並べようとするのを見つけるといっせいに客が周囲を取り囲んで、商品を並べる前に箱は空になった。入手できなかった客が、もっとないのかと店員に詰め寄っている。在庫はないのかと問いただす客もいるが、店長とおぼしき人が飛んで来て、前倒しでどんどん品物を出しているが、仕入れが間に合っていない状況を懸命に説明していた。客の誰もがギスギスし、イライラし、こわばった表情で物色している。牧子がレジの列に並んで、ふと振り返ると、順番を待つ人々の半分以上がしっかりとマスクをしている。
牧子の順番がやっと来た頃、もう店内にはほとんど商品は残っておらず、店内外では、品薄のため平常より早く閉店すること、夜に品物が補充されるはずなので、明朝ご来店くださいという趣旨の放送がなされていた。買えなかった人間の中には、店員にくってかかっている者もいる。怒号が飛び交い、混乱状態になった店が怖くなった牧子は、そそくさと離れて駐車場に戻った。時計を見ると、もう真一を迎えに塾に戻らなければならない時間だ。たったこれだけの買い物に3時間弱を要したのかと愕然とする。
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感染爆発〈パンデミック〉の真実
世界的な新型コロナウイルスの大流行で、我々はいまだかつてない経験をしている。
マスクやトイレットペーパーが売り場から消え、イベント自粛や小中高休校の要請が首相から出され、閉鎖した商業施設もあれば、従業員の出社を禁止する企業も出ている。
そこで毎日、メディアに引っ張りだこなのがウイルス学の岡田晴恵教授。
なんと岡田氏は、10年前に自身が書いた小説の中で、まさにこうなることを、予言していた!
そこで、この2つの小説、『H5N1 強毒性新型インフルエンザウイルス日本上陸のシナリオ』『隠されたパンデミック』を、緊急重版かつ緊急電子書籍化した。