新型コロナの影響でお家に籠っている方が多い週末かと思います。外にも出られないし、暇……。そんな日こそ読書はいかがでしょうか。
そしてずっと家にいると、寂しくなったりしませんか? そんなときに効く本があるんです。
三宅香帆さんの『副作用あります!? 人生おたすけ処方本』は、人生のお悩みに合わせて「よく効く本」を処方してくれます。本書から、こんなときにはこの名著、というお話を少し、ご紹介いたします。
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孤独を感じたときに読む本:ジョン・アーヴィング『ホテル・ニューハンプシャー』
効く一言:そのようにぼくたちは夢を見続ける。このようにしてぼくたちは自分の生活を作り出して行く。
わ~やめてくれ~と思いつつ、でもやっぱり怒涛のようにさびしさが追いかけてくる時期ってあります……よね! ありませんか?
私の場合は、なんか事件があってさびしさを感じるというよりは、もっともっと偶発的なところで、「ひえっさびしい」と思う時があります。風邪をひくかのよーに。というか、風邪をひいていたことを思い出すかのよーに。
人間はたぶん生まれたときから「さびしい」という風邪にかかってきて、ふだんはその風邪を悪化させないようにちゃんと薬を飲んだり予防をしたりせっせと頑張っているのだけど。でも、なにかしらのタイミングで――人によってちがうんですけど、たとえばふっと力を抜いたときに――「えっ、もしかして今、自分はさびしいのでは」と思い出す……ものなんだと思います。
さびしさは風邪! といくら自分に言い聞かせていても、ぽっかりと穴が開いたみたいなとこからこちらを覗くさびしさは、どうしようもありませんよね。
でも、たぶん人間という生き物がさびしくなかったら、本なんてつくらないんじゃないかな……と私は思うんです。さびしさのプラス面、ですね。物事にはいつもプラス面とマイナス面がどっちもあるからちゃんとどっちも見るべし、って誰かも言ってた。誰だっけな。
太古の昔から、ひとりでいるだけだとさびしいから、みんな、昔話を語ったりそれを本にして残したりしてきたわけでしょう。自分が語って終わるだけだとさびしいから。どっかでそれを残しておきたいから。
そう思えば、『ホテル・ニューハンプシャー』みたいな素敵な本が私の手元にあってくれるのも、みんながさびしくあってくれたから、かもしれない。
だとすればさびしいのも悪くないですね。
なんだかポエムみたいな言葉を書き連ねてしまいましたが、『ホテル・ニューハンプシャー』は、たぶん世界で一番孤独に効く……と私が思っている小説です。
孤独に効く、といっても、べつに孤独じゃなくしてくれるとか、友達をくれるとかいうわけではないんですけども。
でも、人がさびしくてしょうがないことを、分かってくれているし、ちょっとのあいだ忘れさせてくれる小説、ではあると思うんです。
舞台はアメリカ、主人公はとある一家。物語は、ある「熊」と出会うところから始まります。
一見、幸福そうに見えた家族は、「なんでこんなに目に」と驚いてしまうような事態に次々と遭遇しまう。
同性愛者であることを原因としたいじめ、学校の同級生たちからのレイプ、一家のなかでの近親相姦、どうしても身長が伸びない低身長症、才能ある作家の自殺、そしてショック死……その果てには、母と末っ子が飛行機事故で亡くなってしまい、父は失明してしまう。
こんなにも事件が続く家庭、ある!? とおののいてしまうのですが、どこか家族たちは明るいまま、そして父はある提案をします。
「ホテルを開業しよう」と。
読んでいると、なぜいきなりホテル? なぜいきなり熊? なんでそんなに事件が起こる!? と、展開に驚きつつページをめくることになるのですが。
でも同時に、泣きそうになってしまう。こんなにやさしくてうつくしい小説、ほかにないよなぁ、と。
「むろん、あなたの言うことはわかりますよ。何年もこの仕事をしていますが、それこそよいホテルの資格というものです。つまり、空間を提供するだけなのです、それから雰囲気をね、みなさんが必要としているものにふさわしいような。よいホテルというのは、空間と雰囲気を何か寛大なもの、おもいやりのあるものにするのです――よいホテルは、みなさんがそれを必要としているとき(そしてそのときだけ)みなさんに手を触れる、あるいはやさしい言葉をかける、そういったような意思表示をするのです。よいホテルは、つねにそこにあるけれど」父さんは野球のバットで彼の詞と歌の両方の指揮をとりながら言う、「しかし、まとわりついていつも監視しているというような気持は決して与えないものです」
この小説がやさしいのは、提供する場所が「家」とか「教室」じゃなくて、「ホテル」であるところだと思うんですよ。
一家は、たくさんの悲劇に襲われて、たくさん傷つくんですね。表面上は明るくしているけれど、それでも内心は自分の傷を手放せずにいる。そして傷つくことに、疲れきっている。
だけど、一家の経営するホテルにも、疲れた人々がやってくるんです。
傷ついて疲れた人に、一家は、たとえば家族の幻想とかなにかを教えるための教室とかそういうものを渡すんじゃなくて、「ホテル」を――一時期だけ滞在することができる、休むことのできる場所をあげるんですね。
「みんなが親切なんです。第一級のホテルではね」彼はシルヴィアに、あるいは彼に耳を貸す誰にでも、言うであろう、「みなさんにはそういう親切を期待する権利があるのですよ。わたしたちのところへいらっしゃい――そしてどうかこういう言い方をお許しねがいたいのですが――傷ついた人のように、と申し上げたい。わたしたちはみなさんの医師であり、看護婦であるのです」
たまに「つらい経験が私を強くしてくれた」という言葉を見かけるのですが。私はそういう言葉を見るたび、いつも「いや涙の数だけ強くなれるならべつに強くなりたくないよな……」と思ってました。
でも大人になった今、むしろ傷つくこととか孤独であることとか疲れることって、わりと避けられないから、だからこそ「強くなって人にやさしくなることができる」というプラス面をみんな強調するんだなぁ、と分かるようになりました。
一家は、自分たちが傷ついたその代償に、ホテルを経営し始める。そして疲れた誰かを、ちょっとの間だけ、泊まらせてあげる。やさしい場所をつくってあげる。
それは夢みたいな時間で、すぐ終わっちゃうんだけど。ホテルだから、永遠にいられる居場所じゃないし。でも、一瞬だけでも居場所があるだけで、みんな、ちょっと元気になることができる。
この物語を読んでいると、「ホテル・ニューハンプシャー」というホテルが、『ホテル・ニューハンプシャー』という小説そのもののメタファーである気がしてきます。
一家の見た夢。現実で傷ついた人をやさしく休ませてくれる小説。
痛みに満ちた場面もあるけれど、でも、それもやさしいんですよね。だって中途半端に苦しんでるとことか、自分がつらいときに読みたくないし。
そのようにぼくたちは夢を見続ける。このようにしてぼくたちは自分の生活を作り出して行く。あの世に逝った母親を聖者として甦らせ、父親をヒーローにし、そして誰かの兄さんや姉さん――彼らもぼくたちのヒーローになる。ぼくたちは愛するものを考えて作り出し、また恐れるものも作り出す。つねに勇敢な、いまは亡き弟があり――小さな、いまは亡き妹もいる。ぼくたちはとめどなく夢を見続ける。最高のホテル、完璧な家族、リゾート生活。そしてぼくたちの夢は、それをありありと想像できるのと同じくらい鮮やかに目の前から消え去る。
『ホテル・ニューハンプシャー』のつくりだす世界は夢でしかないんだけど、だからこそ、私たちにいつもやさしい。
さびしさという風邪をひいたときに、おすすめの毛布みたいな小説なんです。
処方:同性愛、強姦、近親相姦、障害、突然の死……登場人物たちは降りかかる不幸や困難を生き延びて、大人になって、自分の居場所を得て、そして誰かのために居場所をつくる。この世で一番やさしい、どうしても避けられずに深く傷ついた時に帰ってきたくなる小説。
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