「孤独」と聞くと、寂しい、かわいそうといったイメージを抱く人が多いでしょう。しかし、それは本当なのでしょうか? ベストセラー『家族という病』などで知られる作家、下重暁子さんの『極上の孤独』は、「孤独を味わえるのは選ばれし人」「素敵な人はみな孤独」など、孤独は悪いものだというイメージをくつがえす一冊。一人の時間が楽しくなることうけあいの本書から、一部をご紹介します。
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私も永さんもいつも一人
私が俳句に目覚めたきっかけは、永六輔さんであった。40年ほど前の晩春のある日、「これから句会に行くから、一緒に来ない?」と誘われた。
行った先には、小沢昭一、和田誠、渥美清、色川武大、岸田今日子など、錚々たるメンバーが集っていた。「話の特集」という一世を風靡した雑誌の関係者を中心にした「話の特集句会」。その時の私の句が最高点になり、すっかり虜になってしまった。
それから今に至るまで、「話の特集句会」は生き続けている。亡くなった人も多く、参加者が減ってはきたが……。
「東京やなぎ句会」に時々ゲストとして顔を出すようになったのも、永さんに誘われたのがきっかけだった。同じ事務所ということもあって遊びの席には時々呼ばれたが、仕事を一緒にしたことはほとんどない。
そもそも最初は民放テレビで一緒に司会をするはずが、「やーめた!」といって、永さんが初回でいなくなってしまったのだ。
旅の達人としても知られるが、よく地方へ出かける途中の列車の中やホームで出会うことがあった。
私も一人、永さんも、もちろんいつも一人だった。軽く会釈をしてすれ違う。そんなところで嬉しそうにベタベタするのは愚の骨頂。さらりと挨拶だけ。
私が尊敬する孤独の達人たち
素敵な人は、たいていが一人。やはり新幹線で、立川談志さんに会った時のこと。
談志さんは席の前のテーブルやシートの上にゲラを広げて原稿の校正中、以前から顔見知りだったので、
「あら、たいへんですね」
といって、自分の席に戻った。
談志さんも病気になる前は、たいてい一人だった。弟子や知人と一緒なのは、銀座のいきつけのバー「美弥」など。素敵な人は男女を問わず、一人が多い。
伊豆で「川端康成の伊豆」という催しをやった時、朗読をお願いした樹木希林さんも一人で現れた。
私が書いた台本のナレーションをお願いした時も、小沢昭一さんは一人だった。
ある時、句会の会場に向かう途中の公園で、一人タバコをふかしている小沢さんを見かけた。声をかけるのがためらわれた。
それが最後になって、間もなく訃報が伝えられた。
永さんも車椅子になってからは押す人が必要だったが、暮らしていた神宮前のマンションでは最後まで一人だった。
ケアマネジャーが足繁く通っていたが、夜は多分一人だったろう。愛妻の昌子さんが先に亡くなってから、ほとんど一人暮らし、他人が家に来るのを嫌がった。
亡くなった後、お宅に焼香に訪れた際、帰りがけに玄関ドアを開けようとしてハッとした。ドアの内側に貼られた一枚の紙。
「戸締りはしたか? ガスは消したか? 水道は止めたか?」
その他、外出に際しすべきことが、永さんの字で黒々と書かれていた。
その字を眺めていると、不意に涙がこぼれた。
最後まで一人で生きようという姿勢が感じられた。
永さんは全国各地にたくさんの友とファンを持つことで知られていたが、「実は孤独な人だった」と最後までそばにいた友人が語っていた。
どこへ行くにも一人。寄席や催し物の会場にもふらりと一人で現れ、風のように去っていった。そして、ある日、いつものように、あの世へ旅立った。