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逃亡者

2020.04.17 公開 ポスト

「ウィルスは人を断絶させるが、言葉で人は再び繋がる」中村文則『逃亡者』ができるまで有馬大樹(編集者)

4月16日、小説家・中村文則さんの最新長編『逃亡者』が刊行されました。

コロナ禍により緊急事態宣言が発出された地域では、時短営業あるいは臨時休業せざるを得ない書店が多くあります。そんな状況ではありますが、「営業している書店さんがある以上、本を出すことで少しでも力になりたい」と中村さんは迷いなくおっしゃいました。その言葉を聞いて、本作の担当編集者である私は「この作品を一人でも多くの読者に届けたい」との思いを新たにしました。

装幀:鈴木成一デザイン室
装画:宮島亜希

「いつか書くと決めていた」と中村さんご自身がおっしゃる『逃亡者』。始まりは、2017年のことでした。中村さんが新聞連載を始めると聞いた私は、「どんな物語を書くんですか?」とさりげなく聞いてみました。「まだ何も決めていない」とおっしゃる中村さん。でも、その表情には何とも言えない熱のようなものが漂っていました。何というか、これは勘としか言えないのですが、「何かを覚悟している」と思ったのです。「中村文則」と「覚悟」を掛け合わせると、そこから導き出されるのは「傑作」です。私は反射的に「その作品、幻冬舎で出させてください」とお願いしました。中村さんは笑っていました。

内容未定、タイトル未定、刊行時期未定。
こうして『逃亡者』は始動したのです。

日にちが書いていないのでいつだった定かではありませんが、私のノートに「楽器、逃げる、潜伏キリシタン、第二次大戦」と走り書きがしてあります。これが『逃亡者』の内容に関して私が初めて聞いたキーワードでした。「初めて」と書きましたが、連載が始まるまでこのキーワード以外のことはほとんど聞いていません。なので、「初めて」にして「最後の」キーワードがその四つです。中村文則が小説を書く際にはこれで十分です。中村さんの中で何かが内燃しているのであれば、編集者がすることは「楽しみに待つ」ことです。

実際に連載が始まってからは、私も掲載紙で物語を追いかける日々でした。冒頭からトップスピード。訳ありな様子の主人公の部屋に、不穏な男が唐突に尋ねてきて、こう言うのです。

「……あれはどこにある?」

そこから先はハラハラドキドキの逃亡劇。ですが、「逃げる」というシンプルなストーリーの中に中村さんが込めた思いと情報は濃密です。人間という生き物の根本を掴み取ろうとするその姿勢は圧巻で、私は畏怖の念を抱きました。主人公が逃げれば逃げるほど、作者である中村さんの思考は深いところに潜っていくのです。

潜伏キリシタン、第二次世界大戦、カルト教団……。本作を語ろうとすれば、思い浮かぶキーワードは多岐に渡ります。でも、そのどれか一つを語れば『逃亡者』という作品の全貌を捕まえられるかというとそうではありません。その全てが混ざり合い、大きな渦となって読者の脳みそを刺激するのが『逃亡者』なのです。

主人公の男は、ジャーナリスト。あらゆる理不尽が交錯する中、彼はひたすら逃げていきます。彼が逃げるのは「死にたくないから」ではありません。その胸中にあるのは、ある女性と交わした一つの「約束」です。この「約束」があるからこそ、『逃亡者』はラブソングのような調べを奏でることに成功しているのです。

ちなみに、スイッチがオンになった状態の中村さんの思考は、作品に集約していきます。速くて深いその思考についていくのは本当に大変。でも、編集者としてこんなに幸せなことはありません。自分が心の底から傑作だと思える作品のために喜んだり悩んだりできるのですから。

『逃亡者』の見本が刷り上がったのは4月8日。まさに緊急事態宣言が発出された日でした。その翌日、発売後の諸々の打ち合わせのため中村さんが弊社に来てくださいました。各地の書店の営業状態をご説明している際に、中村さんが「紙、あるかな?」とおっしゃいました。書いてくださったのは、書店さんへのメッセージ。二度使うことで強調された「共に」という言葉にこそ、中村文則という作家の真髄があるように思いました。そんな中村さんの今の思考が凝縮された『逃亡者』、是非ともお読みください。

関連書籍

中村文則『去年の冬、きみと別れ』

ライターの「僕」は、ある猟奇殺人事件の被告に面会に行く。彼は二人の女性を殺した罪で死刑判決を受けていた。だが、動機は不可解。事件の関係者も全員どこか歪んでいる。この異様さは何なのか? それは本当に殺人だったのか? 「僕」が真相に辿り着けないのは必然だった。なぜなら、この事件は実は――。話題騒然のベストセラー、遂に文庫化!

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逃亡者

「一週間後、君が生きている確率は4%だ」

突如始まった逃亡の日々。男は、潜伏キリシタンの末裔に育てられた。

第二次大戦下、”熱狂””悪魔の楽器”と呼ばれ、ある作戦を不穏な成功に導いたとされる美しきトランペット。あらゆる理不尽が交錯する中、それを隠し持ち逃亡する男にはしかし、ある女性と交わした「約束」があったーー。

キリシタン迫害から第二次世界大戦、そして現代を貫く大いなる「意志」。中村文学の到達点。

信仰、戦争、愛ーー。

この小説には、その全てが書かれている。

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有馬大樹 編集者

幻冬舎の書籍編集者。

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