「孤独」と聞くと、寂しい、かわいそうといったイメージを抱く人が多いでしょう。しかし、それは本当なのでしょうか? ベストセラー『家族という病』などで知られる作家、下重暁子さんの『極上の孤独』は、「孤独を味わえるのは選ばれし人」「素敵な人はみな孤独」など、孤独は悪いものだというイメージをくつがえす一冊。一人の時間が楽しくなることうけあいの本書から、一部をご紹介します。
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独立を果たして気づいたこと
NHKを退職して念願の独立を果たし、私は人から縛られることがなくなった。自分の時間をどう使おうと自由である。
それを満喫できると思ったのも束の間、自分で自分を管理することの難しさに直面した。
勤めていれば、勤め先で決めてくれるスケジュールにしたがって、文句をいいながらも、こなしていけば日々は流れていく。
ところが自分で管理するには、たいへんな努力がいる。人間どうしても易きに流れるから、誰も文句をいわないのをいいことに、何時まででも寝ている。
まずはスケジュールを自分で立てなくてはならない。机上では出来ても、それを実行に移すのは難しく、「明日からやろう、明後日からやろう」とずるずる引き延ばし、結局やらずに、むなしく時は過ぎ、自分への失望だけが増す。
こんなはずじゃなかった。時間が出来たら、あれもこれもと夢みていた。ところが全て自分で考えて行動するとなると、これほどしんどいことはない。
一度なまけると癖がついて、いつまでたっても何事も始まらない。自分の頭で考え、自分の身を起こし出かけなければ……。あー誰か縛ってくれないだろうか。あんなに嫌いで恨めしかったガチャンコまでもが妙に懐かしくなる。
誰かが縛ってくれることはラクなのだ。誰も自分を縛らなくなってはじめて、一人で何かをすることの難しさを知る。
定年後の人生をどう生きるか
私もそうだった。独立してから民放テレビのキャスターをやり、その後、物を書くために時間をもっとフリーにしたら、どう過ごしていいかわからなくなった。
自分が動かねば何も始まらない中で、途方に暮れた。
毎日テレビに出ていたので、出なくなったらテレビ禁断症状があらわれた。テレビに出ることで一日が組み立てられていたのがわかった。それを活字中心に改めるのには時間がかかった。
短い時間はまだしも、長い時間をどう使えばいいのか。私は苦手なノンフィクションを書くことを自分に課し、物を調べ、足で稼ぎ、1冊3年以上かかるような仕事を企画し、出来るかどうか自分と我慢比べをした。
定年になったら、そもそも一度は通る道だ。だらだらと家にいて、家族から粗大ごみだのぬれ落葉などといわれて邪魔もの扱いされる。そうなってからでは遅い。定年になったら即実行出来る仕事と趣味を持っていたい。
ボランティアでもいい。今まで関心があっても出来なかったことを。知人には植木が好きで植木職人になった人、新聞配達をしている人がいる。現役だから、みな生き生きしている。
スタイリストをしていたがその仕事を終え、今は老人ホームで介護士として働いている女性もいる。かつては鼻につくところもあったが、今の仕事になってからは人が変わったようになり、多くの人に感謝されている。
定年になってからこそ、その人の本領が試される。誰かが縛ってくれている時ではなく、誰にも縛られることがなくなってからこそが、力の見せ所なのだ。