「孤独」と聞くと、寂しい、かわいそうといったイメージを抱く人が多いでしょう。しかし、それは本当なのでしょうか? ベストセラー『家族という病』などで知られる作家、下重暁子さんの『極上の孤独』は、「孤独を味わえるのは選ばれし人」「素敵な人はみな孤独」など、孤独は悪いものだというイメージをくつがえす一冊。一人の時間が楽しくなることうけあいの本書から、一部をご紹介します。
* * *
居場所がない男たち
男と女、どちらが一人になりたがるか。人それぞれで決められないが、一般的にいうと男のほうがより一人になりたがり、女のほうが誰かと一緒にいたがる。
既婚者で子供もいる、知人男性の家を訪れた時のことである。公団住宅で部屋数も少なく、四畳半の部屋で休みの日を過ごすと決めているそうだが、不思議なものを目にした。
突っ支い棒である。誰も自分のいる場所へ入って来ないようにするためだとか。
外界を遮断して一人になって、本を読むのだそうな。それが至福の時だとか。
なぜ突っ支い棒をするかというと、子供たちが時々のぞきに来たり、奥さんが声をかけるからなのだという。
気の毒になってしまった。家の中では、男は小さくなっているケースが多い。家はどちらかというと女房・子供のもので、男には居場所がない。
そのまま定年後に移行し、一日中家にいるようになると、みんなに邪魔者扱いされてしまう。
「男の居場所はどこにあるのか?」
情けないことをいわずに自分で探すなり、作るなりしなければならない。
自分だけの「秘密の場所」をつくる
なぜ男の居場所がないかといえば、家の中ですることがないからだ。自分にできそうな家事を何か一つでも見つければ、自然に居場所が見つかるかもしれない。
我が家では料理はつれあいが作るので、キッチンとダイニングの食卓まわりは、つれあいの居場所である。したがってキッチンの流しや調理台は、つれあいの背丈に合わせてある。
178センチと背が高いので、私には高過ぎるのだが、文句をいう筋合いはない。朝・昼・晩と料理を作る人に合わせるのが当然で、私の居場所はといえば、大きな机と本棚のある仕事部屋とリビングのソファぐらいだろうか。
芝生の庭のある一軒家なら、芝刈りや水まきは男の仕事。そうすれば一人浮き上がった存在にならないですむ。家の中に居場所さえ見つけておけば、定年後、居心地の悪い思いをすることはない。
居場所がない男は図書館行きが日課になるとも聞く。たしかに最近近くの図書館に行くと、定年後の男性が増えた。一目でホームレスとわかる姿もある。
図書館は暖かく、一人でいることに誰も文句をいわない。私も調べ物があると近所の有栖川宮記念公園にある都立中央図書館へ出かけていく。
私の好きな場所は、図書館の食堂である。公園の緑を見下ろしながらカレーライスなど簡単な食事を一人ですますと、学生時代に戻ったような気になる。
階段脇の日だまりでウトウトしてしまう時もある。邪魔するものはなく、読みたい本は無限にある。
私の隠れた一人になれる場所は散歩途中にある日赤医療センター敷地内の、看護大学用のテニスコートやホール前の広場。そこは夕日の射す日だまりになっていて、ベンチに腰かけ、私は持参した新聞や雑誌、本を広げて一人、楽しむ。最近は公園も増えたし、ベンチも常設されている。
誰も来ない私だけの秘密の場所。女性は家を離れ、外に自分の居場所を持ちたい。自分のための時間を愉しむために。