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プリズン・ドクター

2020.04.19 公開 ポスト

<役に立つ>とはどういうことか。岩井圭也(作家)

大学院生の時、同じ研究室に尊敬する先輩がいました。

研究者だった彼は、「あなたの研究はどう役に立つんですか」と尋ねられた時、悪びれることなく胸を張ってこう答えたのです。

(写真:iStock.com/takasuu)

「どう役に立つかなんて、考えたこともありません」

実に痺れる回答。誰のためにならなくても、やりたいからやる。そういう強い意志が感じられました。しかし私のようなひねくれた感性の人間は少数派らしく、その答えに納得した人はその場にほとんどいないようでした。「役に立たない研究なんて、何のためにやってるの?」という空気です。

先輩は気まずい沈黙をものともせず、反問しました。

「あの、役に立つというのは……どういう意味ですか?」

 

彼にとって、〈研究〉と〈役立つ〉は、まったく異次元に属する言葉たちだったらしいのです。包丁は野菜を切るのに役立つ。コートは寒さを防ぐのに役立つ。それは彼にも理解できる。でも、研究が社会に役立つ、という図式はまったく理解できなかった。

そしてこの素朴な質問は、私の心に今も巣食っています。

〈役に立つ〉とは、どういうことなのでしょう?

それまで誰も認識していなかった新しい価値を発見して、世界に知らしめる。その役目を果たすという点で、研究者と芸術家は似ています。どれだけ経済を活性化するかとか、どれだけ多くの人を救うかといったことは、(それ自体はすばらしいけれど)芸術を生業とする人々にとって必ず達成されるべき目的ではありません。

一方で、研究者は「社会の役に立つ」ことを求められすぎているような気がしてなりません。それもできるだけ早く、確実に、目に見える形で役立つことを要請されているように、外野の私からは見えています。

改めて。〈役に立つ研究〉とは、どんな研究だと思いますか?

ここで、この文章を読んでいただいている皆さんにお尋ねしたいと思います。以下の研究が具体的にどう〈役に立つ〉か、少し考えてみてもらえないでしょうか。

 

(1)画像解析で大便の色を判定する研究

(2)お風呂に誰が入っているかを自動で識別する研究

(3)マウスの使い方で嘘をついている人を特定する研究

 

いかがでしょう。思いついた方も、思いつかなかった方もいると思いますが、一見しただけではその目的が即答できなかったのではないでしょうか。お察しの方もいると思いますが、これらはいずれも具体的な目的のため、実際に行われている研究です。

 

(1)画像解析で大便の色を判定する研究

便の色は、乳児の胆道閉塞をスクリーニングするための重要な指標です。Parinyanutらは、デジタルカメラで撮影した便の画像を用いることで、色カードを使うよりも正確に胆汁うっ滞を判別できる可能性を示しました。

 

(2)お風呂に誰が入っているかを自動で識別する研究

家にいるだけで、心拍などのさまざまな生体情報を取得することができれば、高齢者の健康管理などに役立てることができます。が、いちいち操作をするのは面倒だし、ミスも生じてしまうため、無意識のうちに測定が開始・終了している状態が望ましいです。そのために、小川らは浴槽内に設置した心電図を活用することで、誰が浴槽に入っているかを自動で識別できる可能性を見出しました。

 

(3)マウスの使い方で嘘をついている人を特定する研究

うつは身体症状が出にくく、仮病との客観的な判別が難しい病気です。また、犯罪者が事件当時のことを「忘れた」と証言することはままありますが、これも本当に忘れているのか、ごまかしているだけなのかを判別することは容易ではありません。MonaroらやZagoらは、対象者をコンピュータの質問に答えさせ、そのマウスの動きを解析することで、本当の病者と、仮病を使っている人とを見分ける仕組みを作ろうとしています。

 

ここで挙げた例は、いずれも目的を知れば<役に立つ>ことが納得していただけると思います。しかしながら、研究内容の一部を知っただけでは、むしろ「何の役に立つんだろう?」と首をかしげたくなるようなテーマもあったと思います。

要するに。どの研究が何の役に立つかなんて、誰もがすぐに判定できるものではないのです。もちろん、目的がはっきりしている研究に価値がないと言っているわけでも、どちらが上だと言っているわけでもありません。ただ、それだけがすべての研究の評価軸ではないだろう、と思う次第です。

家に閉じこもりがちな昨今、特にそういうことを考えます。<役に立つ>とはどういうことか。究極的には、すべての研究に<役に立つ>可能性があるんじゃないか、と考える今日この頃です。

ちなみに仮病(詐病)は、近刊『プリズン・ドクター』の第1話でも重要なキーワードとなっています。試し読みもできるようなので、ご興味ある方はご一読を。→『プリズン・ドクター』第1話(1)「刑務所勤務開始! 直後に死亡事件」

 

<参考文献>

Parinyanut, et al. (2016) Digital camera image analysis of faeces in detection of cholestatic jaundice in infants. Afr J Paediatr Surg. 13:131-135.

小川他 (1997) 浴槽内心電図を用いた個人識別. 医用電子と生体工学. 35:82-89.

Monaro, et al. (2018) The detection of malingering: A new tool to identify made-up depression. Front Psychiatry. 9:249.

Zago, et al. (2019) The detection of malingered amnesia: An approach involving multiple strategies in a mock crime. Front Psychiatry. 10:424.

岩井圭也『プリズン・ドクター』

奨学金免除の為しぶしぶ刑務所の医者になった是 永史郎 。患者にナメられ助手に怒られ、 憂鬱な日々を送る。そんなある日の夜、自殺を予告した受刑者が変死した。胸を搔きむしった痕、覚せい剤の使用歴。これは自殺か、 病死か?「朝までに死因を特定せよ!」所長命令を受け、史郎は美人研究員・有島に検査 を依頼するが――手に汗握る医療ミステリ。

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プリズン・ドクター

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岩井圭也 作家

1987年生まれ。大阪府出身。北海道大学大学院農学院修了。2018年「永遠についての証明」で第9回野性時代フロンティア文学賞を受賞しデビュ ー。著書に『夏の陰』( KADOKAWA)、『文身』(祥伝社)、『最後の鑑定人』(KADOKAWA)、『付き添う人』(ポプラ社)等がある。

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