新政権と共にこの連載も再スタート。Covid-19がいまだ続く陰鬱な時代に、あの名曲、あのMVのパワーメッセージを今あらためて熱く読み解く。
* * *
「音楽に政治を持ち込むな」—— これ、ここ数年というより、ここ30年ばかりずっとこの国の気分としてあって、特に311以降の日本では、当たり前のように相手を堕とす時に使われるマジック・ワードとして機能してきた。
そして、こういう連載にも「政治を持ち込むな」の不文律は少しばかりか、大いにあると感じている。特に僕が連載を長い間書いてこなかった背景には、出版に絡む人たちの中に「偏った政治信条を持ち込むな」という言葉と共に、政治力を理不尽に振るいまくる人たちがいて、それに対する憤りと苛立ちをひた隠しにしながら文字を書くという行為に、プロフェッショナルと言えるほどの筆力がない僕は、表現できそうでできない何かを抱えながら1年間を過ごしてきたからだ。
そして、こんな文章を書いて、果して誰かに迷惑がかからないのだろうか? と人並みに考えてしまう自分の脳内を整理するのにすごく時間がかかったのもある。
Sun City(1985)
とは言え、半年前くらいには、「Sun Cityでなにか書こう」と決めていた。アパルトヘイトの象徴のひとつ、南アフリカの白人専用リゾート地「Sun City」を批判(そこで演奏するミュージシャンたちを批判)したあの曲だ。そして最初に出会ったのがこのブログ。
『僕たちの国境』~『Sun City』: Mersey Paradise 2009年8月1日(土)
ここにSun Cityのことは、その歴史的背景も音楽的な意味も、そして参加ミュージシャンのことも事細かに書いてあるので、わざわざ自分が出張って何かを書くこともないな、なんて考えてしまってもいた。
でも、そんな怠惰な日々を過ごして来た僕にとって2度目の政治的体験が強烈なインパクトと共にやって来た。2019年の年末に飛び込んできた中国、武漢のニュース。最初から嫌な予感がしつつ、少しずつ身の回りの準備をしながら日々の国会中継チェック、そして政治家の動向チェックを欠かさずにいると、どうやら大変なことが起きてることを次々目のあたりにする。いやあ、311で1度体験していたのにも関わらず、僕はまたもやすっかり人々の感覚を信じ切ってしまっていた。どこかで政治家か官僚が、必死に状況を整理すると信じてしまっていたのだ。
アパルトヘイトの総仕上げのSun Cityですら6年しか保たなかったのに、僕らは怠惰で傲慢な人たちの統治を日本で8年以上も放っておいてしまっていたのだから、そりゃおかしなことを修正するにも限度があるよな、っていう感じなんだが、まさかの「正常性バイアス」に僕も僅かながらもかかってしまっていたらしい。きっとそれまで世界中の映像が網膜に焼き付くほどの量降ってこなかったから、かなり油断してしまってたんだと思う。
そして、こんな危機的な状況が世界と比較しても十分に確実に大きな足音と共に僕らの目の前に迫っていて、僕らの多くが信じ切っていた市場原理が根本から覆されるかもしれない状況になっても、スティーヴン・ヴァン・ザントのように気軽に叫び出す人間はなかなか現れず、怠惰を貪る人たちに干上がる寸前まで追い詰められてるのに、まだシステムがなんとかしてくれると信じてる人がたくさんいるのは、なかなかお目出たい。
Sun CityのMVを見てくれ。
そこには歴史の中から蘇る映像と、当時バリバリの現役だったジャンルを問わないミュージシャンたちのカットバック、そして、当時一番流行りだった画像エフェクト、多分フェアライトCVI(※)を使った効果はとても80年代的。これをニューロマンティック(※)の楽曲ではなくこういうド直球のプロテストソングに使ってるのがいやあ……何周もひっくり返ってこの曲が時代を超えているのを今目撃できる幸せに、絶対ぶん殴られるから。
※ CVI……当時としては最先端の映像のデジタル処理ができたフェアライト社の映像機器。
※ ニューロマンティック……派手なビジュアル+エレクトロ・ポップなビート+おしゃれサウンド。80年代初頭にロンドンで生まれた音楽ジャンル。デュラン・デュラン、カルチャークラブなど。ニューロマ。
当時、日本ではつくば万博の最終日、坂本龍一教授とラジカルTVが「TV WAR」と銘打ったステージを繰り広げ、翌年には近田春夫&タイニーパンクスが六本木インクスティックで日本語RAPをお披露目する。ああ、そう言えば、いとうせいこう氏もそのステージにいたっけな。まあ、それは良いとして、そんなキラキラの始まる時代だった。
そして35年後、僕らは未知のウィルスと戦っている。世界が戦ってる。でも情報は80年代と同じようにしか降りてこない。それでも僕らはそれぞれがそれぞれの方法で戦う必要がある。なぜなら、どうやら僕らを孤立化させ、それでも簡単に終わりを迎えさせてくれない奴らと当分付き合っていくことになりそうだからだ。
自分の頭や目や耳や体を駆使すればそれはきっと見つかる。怠惰がいつでも最大の敵だ。
MTVが教えてくれたことの記事をもっと読む
MTVが教えてくれたこと
1981年8月1日午前0時に「観る音楽」の文化を作り出し、熱狂を巻き起こした音楽番組MTVは始まった。CM→MV(ミュージック・ビデオ)→映画監督という流れができ、あらゆる映像技術がMVで試されて行ったあの時代を振り返る。
- バックナンバー
-
- Sun City - おかしくないか?と...
- 黒人社会で変わったこと、変わってないこと
- ヒップホップが爆発的に広がった2つの理由
- 80年代初期のMTVはブラックミュージッ...
- 高校生のKダブシャインとMTVの濃厚な出...
- 呑みすぎたスパイク・リー、そして Fig...
- 「音楽に政治をもちこむな」みたいな中で思...
- The Popper’s MTV にかぶ...
- a-ha の Take On Me は高...
- クリス・カニンガムとミシェル・ゴンドリー...
- 「ディレクターズ・レーベル」第一弾を飾っ...
- マドンナとVogueとデヴィッド・フィン...
- ベストヒットUSAで、克也さんとぶつかっ...
- 1981年8月1日、僕らの脳内を刺激する...