子供がいるか、いないかは、センシティブな問題です。子供がいる人にとっては当たり前の発言も、そうじゃない人にとっては傷つく一言だったりします。はあちゅうさんが、妊娠中に覚えた違和感は、「お母さんの顔」という表現。4月16日に発売されたは新刊『子供がずっと欲しかった 事実婚妻が体験した妊娠・出産のこと、全部。』より抜粋してお届けします。
誰も傷つけない言葉なんてないのだけれど
子供を授かり、出産予定であることを公表してから、オンラインでもオフラインでも「お母さんの顔になっていますね」「優しくなった」などと言われるようになりました。
その言葉を発している人たちの心には善意しかないと思うけれど、「ありがとう」と受け止めながら「お母さんになったら、顔が優しくなる=子供を産まなければ優しい顔にならない、と誰かを傷つけていないだろうか」とも思います。考えすぎでしょうか。
長年S N S で自分の人生をオープンに出してきたことで、全方位に対して優しい言葉なんてない、と思っているのです。
例えば、自虐のつもりで「もう30代なんで……」と言うことは、その発言を聞く同世代やそれ以上の年齢の人を傷つけます。
以前、とあるお笑い芸人さんのラジオに出た時に、夫の仕事の話になり、その方が「普段、子供が『あの人のお父さん、お医者さんなんだって』とか『社長なんだって』と言うと、つい『すごいなぁ』と言ってしまいそうになる。でも、お医者さん=すごいという概念を子供に植え付けたら、それ以外の職業の人は、一段下がるのか。すごくないのか、という話になってくる」と言っていました。
職業に貴賤はないはずなのに、普段の何気ない一言で、世の中にはすごい人とすごくない人がいる、いい職業と悪い職業がある、となってしまうんです。誰かを褒めることは誰かを褒めないことになるんですよね。
善意のつもりの、誰も傷つけるつもりのなかったことが思いがけず、誰かを傷つけてしまう経験を、何度もしてきました。
例えば、イベントで参加者の方にいただいたプレゼントをインスタに載せると、載った人は「使ってくれてありがとうございます ! 」と言ってくれる。でも、そのやりとりを見て、他にもプレゼントをくれた人が「私のあげたものは使ってくれてないの ? 載せてくれないの ? 」と傷つくかもしれません。
炎上でもよくあるパターンだけど、何かについて話す時、その反対の立場の人は、自分が否定された気になってしまうのです。私も以前「専業主婦でも、外でお金を稼ぐ能力を持っていたほうがいい」という発言で、ファンの人から「専業主婦を認めないんですね」と嫌われてしまいました。
妊娠・出産にまつわる痛みや、知らなかったことの発信も、「リアル」だと受け止めてくれる人もいれば「愚痴」と取る人もいます。
ちなみに、専業主婦を認めていないわけではありません。ただ、私の母は長年専業主婦をした結果、経済的な理由で、相性が最悪すぎる父と長年離婚出来ませんでした。そんな母を間近で見てきたからこそ、「主婦という肩書が世の中でいかに弱いか」ということが身にしみています。
経済的にパートナーに依存しすぎると、自分の人生なのに、自分に意思決定権がなくなってしまうのです。何かの時に、取れる選択肢が限られる。たとえ夫婦円満であっても、夫がいつ病気や事故にあうとも限らない。お金がある程度稼げることは、外で働くパートナーの苦労を理解することにもつながるし、パートナーの身に何かあった時やパートナーとの関係が危うくなってきた時に、お金ベースで物を考えなくて済む。自分の自由を確保するためには、経済的にある程度、強い必要があります。
* * *
続きは、新刊『子供がずっと欲しかった 事実婚妻が体験した妊娠・出産のこと、全部。』をご覧ください。