日々の献立を考えることが苦痛になり、料理が嫌になる。台所を任されている人で、そんな気持ちを体験した人は多いだろう。むしろ一度も体験したことがない人は、いないのではないだろうか。
前回は、昭和の主婦の理想イメージが、女性たちを悩ませているという話を書いた。今回は平成になってから格段に増えた、料理情報がもたらす問題を考えたい。
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料理に対する「ねばならない」を捨てたら、うつの自分を受け入れられた。
うつ病になったら、料理がまったく出来なくなってしまったー。食をテーマに執筆活動を続ける著者が、闘病生活を経て感じた「料理」の大変さと特異性、そして「料理」によって心が救われていく過程を描いた実体験ノンフィクション。
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