はあちゅう様
はじめまして。
このたびははあちゅうさんと文通できること、とてもうれしく思っています。本の感想も! うれしいです、ありがとうございます。はあちゅうさんの『子供がずっと欲しかった』、私も拝読させていただきました。
私は40年の人生の中で自分の子どもが欲しいと思ったことが一度もないので、自分と違う思考で生きている人の日々をまるごと疑似体験した気分でした。デリケートな問題ゆえ、ふだんは周囲の人になかなか聞けないような生の思いがたくさん詰め込まれていて。はあちゅうさんの文章は、ガラス張りの部屋に住んでいるみたいに全開放で、ありのままのご自分をさらけ出しているのが最大の魅力ですね。自分で書くようになって初めて知ったのですが、「ありのままを書く」ことがいちばん難しいと思うんです。
私とはあちゅうさんは、きっと生き方も求める幸せもかなり違うと思うのですが、同じ時期に新しい家族のあり方を問う本を出しているということ、しかも自分の体験をそのまま書いている、という共通点があって、勝手にかなり親近感を持ってしまっています。あ、でも、これって単純にはあちゅうさんが親近感を感じさせるプロなのかも……。はあちゅうさんに自分のことを相談してしまう人の気持ちわかります。バカにしたりせず、親身になってくれそうだから。
お手紙にあったとおり、正解探しは退屈なので、自分の身体から生み出されたことばだけで、はあちゅうさんにしか言えないことばで、家族のこと、誰かといっしょに生きるということ、自由に思いを巡らせられればと思います。
はあちゅうさんの人生や容姿は多くの人の娯楽的コンテンツになってしまっていて、上から目線で批評してくる人がたくさんいるということなんですね。なぜなんだろう。有名人だから?とにかく嫌ですね。その人たち、はあちゅうさんを気に入らないならなぜフォローしているのでしょうか。謎がいっぱい。
フェミニストのアカウントに片っ端から嫌がらせのクソリプをしているアカウントをたまに見かけますが、それともちょっと違いそうですね。「炎上商法の人だけど見直した」「思ってたよりブスじゃないですね」とはあちゅうさんに発言してしまう人、褒めたのだからいいことをした、くらいに思っているんだろうなあ。即ブロックで問題ないです!(笑)
それに関連して、本書の中の、AV男優との交際について寛容を装う人たちからの、必ず「素朴な疑問なんですけど」という言葉から始められる尋問についての箇所、とても興味深く読みました。というのも、私自身が鈍感人間なので、しかも他人に対してかなり深い部分を探るような質問をするのが好きなので、そんなふうに無遠慮に踏み込んで誰かを傷つけていることがたびたびあるのではないかと思い当たったからです。実際にしみけんさんとお付き合いする上での葛藤を書かれていた部分はとても読みごたえがあり、知ることができてよかったなと思いました。
私は自分を加害者の立場に置いて思考を進めることが多いのでぜひ聞きたいのですが、私がはあちゅうさんのことをもっと知りたくて「はあちゅうさんは交際相手の職業を公開しているから、自分の素朴な疑問をぶつけてもいいのかな? 答えてくれるかも? でも答えるのが嫌だったら聞きたくないんだけど……」と思ったときに、どういうコミュニケーションが理想だと思いますか? そんなことを聞いてくる人はそもそも近づいてほしくないと考えていますか?
私は察することが苦手だし、何が嫌かは人によって違うと思っているので、もしはあちゅうさんが内心で嫌がっていても、ニコニコしてくれていたらどんどん聞いてしまうかも。サインを見逃さないように気をつけてはいますが、優しい人ってその場で不快感を表現してくれないことが多いように思います。
はあちゅうさんが書かれていたのは「聞かないで」ということではないかもしれませんが、もし教えてもらえたらうれしいです。でもはあちゅうさんの気持ちがまったくわからないわけじゃないですよ。ニュートラルに聞いているふりをしているけど否定のニュアンスがダダ漏れ、な人っていますよね。
ちなみにはあちゅうさんがしみけんさんと結婚されたと知ったときの私の感想は「いいね!」、のみです。ははは。
人の人生を勝手に批評する、といえば、以前にフィギュアスケートの安藤美姫選手の未婚での出産のニュースについて、「あなたはこの出産を支持しますか?」と文春がアンケートをして、安藤さんへの人権侵害だと非難されていましたね。これくらいわかりやすくダメだと皆も何かおかしいと気づくのかもしれませんが、私は芸能人の不倫のニュースなども同じような疑問を感じています。法律でも不貞行為(っていうか……これ、いつの時代の言葉?)は違反となっているようですが、少なくとも私は国に家族のルールを決められたくないです。若い頃は飲み会の話題として「どこからが浮気か?」というような議題がたまにありましたが、私は当時からこの話題にはうんざりしていました。
カップルごとにそれぞれの「されたら嫌なこと」を決めて、約束が必要なら約束をしておく以外に道はないと思うんです。それは世間や芸能人カップルとは何にも関係のないこと。なので芸能人の不倫の話題が持ちあがるたび「許せない」「○○は最低」「いや1回ならセーフ」などと裁判員になっている人がほんとうに理解できなくて。きっとはあちゅうさんの人生の批評をやっている人と同じ人たちですね。自分と他者の区別がつかないのかな。私にはどちらも理解不能なのですが、芸能人の不倫を裁くことはまだなんとなくメジャーみたいです。いや、「炎上商法のはあちゅう見直した」もメジャーなのかな。はあ(ため息)。
はあちゅうさんとしみけんさんも仕事以外では他の人と性的接触を持つべきではないという約束をされているのですよね。もちろんそういうカップルが多数派だと思うのですが、そのことについて話し合ったりされたのですか? それとも暗黙の了解という感じですか?
自分の本には書いたのですが、私と現在のパートナーは、別の相手ができたとき、私は話す、パートナーは話しても話さなくてもよい、という約束をしています。これから自分に別の交際相手ができるとしても、基本的にはこのような約束でやっていけたらと思っています。
他人を自分の人生に巻き込むことが苦手なんですよね。だからはあちゅうさんのように、子供を欲しがっていないパートナーに「子供が欲しい」って言うことも、じわじわとプレッシャーをかけることも、一緒に育児に参加してくれることを期待することも、私には難しいことです。それを悪だと思っているところもあります。他人を自分の夢にするのは、ずるい気がしてしまうんですよ。そう思うのは実親と私の関係が影響しているのかもしれません。
たとえば「あなたが思った通りの大学に行ってくれなかったから私は不幸だよ」「あなたという子供がいるから私は離婚できないし、そのせいで私は不幸だよ」というのは害悪ですよね。という思いが強いのと、自由を大事にしすぎていて、多くの夫婦や親子が実践している「いい巻き込み」に対しても消極的・懐疑的になってしまいます。欠けている視点があると自分でもわかっているのですが。誰かの心の持ちようを自分の幸せに設定するのは怖くないですか? 夫でも子供でも、こうなってほしいという期待が膨らんで相手を支配してしまうかもしれないことは、はあちゅうさんにとっては怖いことではないですか?
家族を考えるときにいつもぶつかってしまうのがこの問題です。自分の内側に溢れている支配欲が怖いから過剰に意識しているのかもしれません。はあちゅうさんは前回の手紙で、息子さんが産まれてから「家族ってなんだろう?」とよく考えていると書かれていましたが、今はどんなことを考えてらっしゃいますか?
花田菜々子
* * *
はあちゅうさんからのお返事は、5月5日に公開予定です。