私がうつからなかなか回復しなかった要因は、幼少期から続く母との確執ではないかと思う。もともと母は、私自身の気持ちには関心がないのに、言動を監視する傾向は強かったが、結婚してからますます圧力がきつくなり、自分に関心を引きつけておこうとするので、ストレスが高まっていた。
関係を見つめ直す意味も含めて、母に取材した話を中心に書いたのが、食分野の最初の本『うちのご飯の60年 祖母・母・娘の食卓』(筑摩書房)だった。もちろん、中心テーマはタイトルの通り食卓の変化について。母には、典型的な昭和の専業主婦という位置づけだ、と了解してもらった。
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料理に対する「ねばならない」を捨てたら、うつの自分を受け入れられた。の記事をもっと読む
料理に対する「ねばならない」を捨てたら、うつの自分を受け入れられた。
うつ病になったら、料理がまったく出来なくなってしまったー。食をテーマに執筆活動を続ける著者が、闘病生活を経て感じた「料理」の大変さと特異性、そして「料理」によって心が救われていく過程を描いた実体験ノンフィクション。
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