結婚退職が決められている皇族女子
清子さまは、初めて就職というものをした皇族女子でもある。1992年(平成4年)3月に学習院大学を卒業、4月から山階鳥類研究所に非常勤職員として勤務、1998年(平成10年)には同研究所の非常勤研究員になっている。
まだ清子さまが大学2年生だった1990年(平成2年)、美智子さまはこんな御歌を詠まれている。
バンダーの資格うれしと軽装の子はいでゆけり冬枯(ふゆが)るる野に
「註」として「バンダー 鳥に足環などをつけて学術的な調査を行う鳥類標識調査従事者となるための資格」とある。資格を取った清子さまが、喜んで鳥の標識調査に出かける様子を詠まれたのだろう。
同研究所の資料をたどるとこのバンダーという資格、1979年(昭和54年)から養成が始まり2008年(平成20年)時点で約800人が取得しているとあった。清子さまが取得した時は、ずっと少なかったに違いない。
つまり清子さまという方を一般女子的に解説するなら、大学時代に貴重な資格を取得、それを生かして就職し、職員から研究員へ転ずる、となる。努力する、優秀な女子だ。
清子さまは鳥類を研究、公務を本分と考えていたのだと思う。父である上皇さまがハゼ、兄である陛下が水問題、もう一人の兄の秋篠宮さまはナマズや家禽類。天皇家の男性は「研究テーマ」を持っている。それもきっと生きる知恵であり、清子さまは同じ道を歩んでいた。
美智子さまは、清子さま出産の4カ月後、記者会見でこう述べている。
「結婚までは皇族として生活させていただくのだから、それにこたえるような人になってほしいと思います」
皇族女子として、真っ当に生きよ。母の教えをきちんと守る、出来の良い娘であり続け、清子さまは36歳で兄の友人である黒田さんと結婚した。
そんな清子さまの文章をもう一度読み返すと、しーんとした気持ちになる。皇族女子としての分をわきまえた清子さまから出た「継続的な責任ある立場に就いたりすることは控えてきた」という言葉。すべて、「将来的にその立場を離れる可能性」つまり、結婚退職が決められているからだ。
清子さまも心のどこかで、「責任ある立場に就きたい」と思ったのではないか。嫁ぐ清子さまのことを、美智子さまはこう振り返っている。「穏やかで、辛抱強く、何事も自分の責任において行い、人をそしることの少ない性格でした」(2004年、お誕生日にあたっての文書回答)。「皇族女子」について考えながら清子さまを思うと、切ない気持ちになる。
現在、黒田清子さんは伊勢神宮祭主という仕事に就いている。祭主としての姿をお代替わりにあたって拝見し、「できる祭主」に違いないと確信した。だが、三浦しをんさんが指摘したように、「そのポストに就ける」のは一人だけ。皇族女子全体のことを考えねば。
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