70歳を迎えた今も、現役で活躍し続けている伝説のモデル・我妻マリさん。
17歳でモデルデビューした後、サンローランのオート・クチュールモデルを10年間務め、パリコレへ進出。
イッセイ ミヤケ、ティエリー・ミュグレー、ジャン⁼ポール・ゴルチエなど数々のショーで活躍し、日本人モデルがパリコレクションへ進出する礎を築きました。
そして、60歳を過ぎて栃木県に移住。ファッションの最前線に立ち続ける一方、運転免許も取得し、女ひとり(+猫たち)で自然を謳歌して暮らしています。
本書『明日はもっと面白くなるかもしれないじゃない?』は、そんな我妻マリさんの初めての著書。50年以上のモデル歴で培った、おしゃれの真髄、体の慈しみかた、そして年齢を重ねることについて―。少しずつですがご紹介いたします。
いまでこそ、モデル時代の仲間と連絡をとって、懐かしい~と話に花を咲かせることもありますが、若い頃は心を許せる同業者の友人って、ほとんどいなかったと思います。
昔はみんなライバルだった。
そこで競争して、自分はもっとよくなりたい、一流になりたい、あの人には負けたくないという気持ちが強かった。これは、私だけじゃなく、みんな、そうだったと思います。
いまは、みんな仲良く一緒がいいという風潮があるけれど、でも、日本のモデルさんが海外に行って勝負できないのは、それもひとつの原因じゃないかしらと思うことがあります。
人と同じじゃ選ばれない。人と違うことが、強みになる。人よりも上手に歩きたい。カッコよくなりたい。そう思っておしゃれするじゃないですか。するとやっぱり、どんどん向上していくわけ。そうすると、それを見てくれる人も出てくる。
ファッションデザイナーは、いいモデルをミューズとしてそばに置きたがります。それは、いつも刺激を受けていたいから。
デザイナーは、自分がデザインした服だけで世界観を構築するけれど、モデルはいろんな服を組み合わせて、思ってもいないようなとんでもないコーディネートをするのね。それが、デザイナーにとってはインスピレーションの元になるんです。
そのおしゃれのセンスひとつとっても、誰かに負けたくない。個性を表現したい。そう思っていました。蚤の市で買った軍服にオートクチュールを合わせたりね。その頃は、とにかくいろんな服を着て表現したくて、一日に2回も3回も服を着替えていたの。
もちろん、ライバルを全員蹴落としたいとか、そういう感情じゃないのよ。もっとサバサバした付き合いです。
ライバルには、悩みも相談ごとも、打ち明けない。具合が悪いときも、絶対に弱みは見せない。ちょっと調子悪いとか、風邪をひいているとか、それはマネージャー以外、誰にも話さない。その気持ちが、自分を強くしてくれたように思います。
いまでも、ひっそり病気しているし、入院したりもするけれど、絶対にフェイスブックに書いたりしないの(笑)。もし具合が悪かったとしても、受けた仕事は這ってでも行きますよ。
それよりなにより、仕事が入ったら、風邪をひかないよう、プロポーションをその日に最高潮に持っていけるよう、集中して過ごします。
私が、この歳になっても現役でお仕事をいただけているのは、そんなふうに、自分を強く自立させようと思っているところにも理由があるのかもしれないと感じます。
明日はもっと面白くなるかもしれないじゃない?
我妻マリ。モデル歴50年。今もファッションの最前線に立ちながら、60歳を過ぎて田舎へひとり移住した彼女が語る「受け入れる、けれど諦めない」37の生き方。
- バックナンバー
-
- 嫌なことも、あとから振り返ったら「経験さ...
- 心惹かれる場所には、魂の縁があるのかもし...
- 動物との生活が私に教えてくれること
- 移住して、花づくりのとりこになりました。
- 田舎暮らしはパラダイスじゃない
- 60歳を過ぎてから、田舎で女ひとり暮らし...
- パリのモデルに学んだ田舎暮らし
- 入院したって、それをSNSに書いたりしな...
- 女は灰になるまで色気があるほうがいい
- 年齢を重ねて手離したものと手に入れたもの
- 年をうまく重ねるには、格好つけずに相談す...
- 40歳からが女が面白い理由
- 自宅にいる時も気分転換に香水を
- 気持ちが晴れない時は、花を1輪買えばうま...
- 疲れてきたら、寝る前に自分の体に「ありが...
- 「自分はこれ!」というベーシックアイテム...
- 生きていくのに100着の服は必要ないと思...