結婚、仕事、人間関係……ただ生きてるだけでも悩みは尽きません。「自分の人生、これからどうなっていくんだろう」とぼんやり不安を抱えていませんか?
お坊さんである英月さんの本『お見合い35回にうんざりしてアメリカに家出して僧侶になって帰ってきました。』には、そんな人生の不安を吹き飛ばしてくれるヒントがたくさんあります。
彼女のハチャメチャな人生を知れば、きっと自分の人生も開けて見えてきます。その中身を、本書より一部公開いたします。
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京都の町の真ん中にある小さなお寺、大行寺の住職をしております、英月です。お寺と聞くと、伽藍やお庭、そして仏像を思い浮かべる方も多いと思います。大行寺の御本尊は、国の重要文化財。鎌倉時代の仏師、快慶さんの阿弥陀さまです。けれどもお寺は美術館ではありません。それらは、目に見えない教えが形になったにすぎないのです。では、教えとは?
私自身、その教えに出遇(であ)うこともないまま、もっといえば、必要性も感じないまま、教えを護り伝えているお寺から逃げ出しました。二九歳のことです。しかし人生とは面白いもので、逃げた先のアメリカで仏教に出遇い直しました。まさか! の展開。ではその結果どうなったのか? と、その前に、事の始まりのお話を少しばかり。
恵まれた環境、生活、仕事。足りないものは何?
当時、短大を卒業し、都市銀行の本部で働いていた私。バブルは弾けた後でしたが、お給料や福利厚生にも恵まれ、年に数回の長期休暇もありました。休暇は海外へ。食べて、買い物して、ボーナスも貯金も、すっからかん。それでも翌月には、またお給料が振り込まれる。半年に一度はボーナスも入ると、お気楽なものです。
余談ですが、それから数年後。当時住んでいたアメリカから日本に一時帰国した時に、たまたま机の引き出しからクレジットカードの利用控えを見つけたことがありました。4日間の香港旅行で100万円の買い物をしていた記録です。見た瞬間、差し込むような強烈な痛みを胃に感じ、その後、胃の不快感は数日続きました。それだけではありません。
当時の私はアメリカで極貧生活を送っていたので、このお金があれば一年は無理でも、半年は余裕でゆっくり暮らせる。そう思うと、過去の自分を本気で軽蔑し憎悪しました。
近い将来にそんな思いをするとは露知らず、銀行勤めの頃の私は、江戸っ子でもないのに、宵越しの銭は持たねぇ! との勢いで、せっせとお買い物。毎月の給料から食費こそ実家に入れていましたが、残りは全て自由にできるお金です。普段はファストファッション一辺倒の今から考えると狂気の沙汰ですが、軽く10万円を超えるカール・ラガーフェルドのスーツやワンピーで通勤していました。アホかいな、です。虚栄心の強さが、悲しくも滑稽です。と言いましたが、当時の服が今も大量に、屋根裏に眠っています。今となっては二束三文。せめてボタンだけでも取っておこうか? とケチくさいことを考えますが、そうはいっても大枚をはたいて買ったもの。しかしこの先、着ることもない服を大事に残しているのは、何に対しての執着か? と思います。
何のために仕事を頑張るのかがわからなかったOL時代
さてさて、そんなこんなの銀行員生活。あまり美しい言葉ではありませんが、私は絵に描いたようなアホバカOLでした。身の丈に合わない消費活動に走り、仕事はまぁまぁ、というか最低限。けれども権利だけは、一人前以上に要求。銀行なので、その日の勘定が合うまで帰れませんでしたが、それでも仕事帰りに、キタへミナミへと連日のように繰り出していました。下戸なのに。
そんなOL生活も、何年目のことだったでしょうか。上司に言われた言葉が、今も鮮明に思い出されます。
「君を見ていると腹が立つ」
いきなりの言葉に驚いていると、「どうして、できないフリをする?」と続きました。
正直、ドキッとしました。意識的に手を抜いていたのは紛れもない事実だったからです。
お主デキるな、見る目があるなと、生意気にも上司に対して心の中で小さく拍手。そんな私の気持ちをよそに、「やればできるのに、わざとしない姿を見ているのは腹が立つ!」
と、トドメの一撃。
それに対して心の中で、「アホかいな。同じ給料なのに全力で働くなんてバカバカしい」とうそぶき、表面上は何をおっしゃるうさぎさんと、笑顔で受け流した私。銀行で出世しようなどという野望もなく、そもそも一般職の私に求められているのは、そこそこの仕事。そう勝手に思いこんでいた私は、上司の評価に一喜一憂することもありませんでした。よしんば評価されても、給料が劇的にあがるわけでもない。労多クシテ益少ナシ。だったらアホバカOLでお気楽に働き、得られる恩恵、福利厚生などを徹底的に享受した方がオトクだとソロバンを弾いたのです。仕事ができないお気楽OLで結構。そう信じて疑いませんでした。
20年以上の時を経て思い返してみると、なんて恵まれていたのかと思います。しかし、当時はそんな思いは爪の先ほどもなく、文句ばっかりぶーぶーと。おまけに正々堂々の手抜き発言。結局のところ、したいことなどなかったのです。
きっと、どこかに私の天職がある。私が輝ける場所がある。私を包む環境を変えることによって、現状を打破しよう。それは天職という名の逃げ場探しです。そうして仮に何かを見つけたとしても、ここではないどこかは永遠にどこかのままです。
けれども、その真っただ中にいる時には、それがわかりません。大真面目に、そして必死に、どこかを探し続けるのです。例にもれず、私もそうでした。
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次回は5月29日公開予定です。
お見合い35回にうんざりしてアメリカに家出して僧侶になって帰ってきました。
うちの安住の地って、どこにあるん?
親のお見合い攻撃にキレて、なんと海外逃亡。アメリカに骨を埋めるつもりが、仏教に出会ってしまい……。ハードな人生に笑えて泣ける、奮闘エッセイ。