発売即映画化が決定した、現役医師である南杏子さんの話題作『いのちの停車場』。藤田香織さんの書評をお届けします。
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人生とは選択の連続だ。
進学、就職、結婚といった人生の重大事項はもちろん、今日着る洋服、ランチのメニュー、ちょっと暑いからコーヒーはアイスにしようか、といった小さなことまで、私たちは毎日何かを選んでいる。誰だって、大事なことは自分で決めたい。でもその一方で、時として人生には、選べない、選びたくないと思う難題を突きつけられる時もある。
「正解はない。しかし、どちらかを選ばないといけない」。
本書『いのちの停車場』の主人公・白石咲和子は、最終章でとてつもなく重い選択を迫られ、迷い、苦しむ。
咲和子はまだ人生経験の浅い小娘ではない。都心の大学付属病院で、医学部を卒業してから三十八年間ひたすらに救命医として働き、数えきれないほどの人の命を救い、数えきれないほどの死を見てきている。それでも、たったひとりの望みにどうしても頷くことができなかった。
五年前に母を亡くし、唯一残された肉親である父の「お父さんを楽にさせてくれ」という頼み――。咲和子が突きつけられるのは、骨を砕かれ、炎に始終あぶられるような激痛とともに生きることを強いられている父の、積極的安楽死を担うか否かだ。
描かれていくのは、東京の大学病院で生え抜きの女性医師として初めて副センター長を務めていた咲和子が退職し、八十七歳になる父がひとりで暮らす金沢の実家に戻ってからの約一年に渡る日々だ。
帰郷した咲和子は、幼い頃から家族ぐるみで付き合いのあった「まほろば診療所」で働き始める。診療所は、訪問看護と往診を組み合わせて行う在宅医療専門で、設備の整った衛生的な環境にあり、待っていれば患者が診て欲しいと望んでやって来る大学病院の外来とはまったく勝手が違った。
診療に非協力的な家族がいる、マスクや靴カバーなしでは室内に入れないほどのゴミ屋敷住人もいる。救命救急の医師だった咲和子とは異なり、患者の家族たちには看取りの経験もない。咲和子は、患者自身を診るだけでなく、その夫や妻や両親に「死を学ぶ授業」として、患者が死に向かう変化を説き、心の準備を促し、寄り添っていく。
パーキンソン病、頚椎損傷による四肢麻痺、末期の膵臓癌、腎腫瘍で肝臓への転移もある小児がんなど、六歳から八十七歳までの患者たちのすべてが死に至るわけではないが、現役医師の作者による知識と経験に裏打ちされた物語は、やがて来る「その日」の覚悟を促すに十分。多くの読者が何度もページを捲る手を止め、考えさせられるだろう。
と同時に、穏やかに流れていた咲和子と父の日々も、急速に変化していく。俗に「高齢者の骨折は怖い」とは聞くが、脚立替わりに使った椅子から転落し、大腿骨骨折で入院手術を受けた咲和子の父は、誤嚥性肺炎、せん妄、脳梗塞と容態を悪化させ、更に致命的ともいえる、難治性の症状・脳卒中後疼痛が加わった。
実際には何の異常も起きていないのに、頭のなかで痛みを感じる。換気をしようと窓を開け風があたっただけで苦痛に顔を歪める。眠りから覚め意識が戻るたびに体に火を押し付けられたような痛みがあるという。「死んだ方がましや」「生きているのが苦しい」。
咲和子は急ぎ勉強した治療法について話すが、この症状に有効な治療法がないことを、かつて地元大学病院の神経内科医だった父は誰よりも分かっていた。
治療法もない。治る見込みもない生き地獄のような日々を終わらせたいと願う父。全ての患者とその家族から命を救ってくれと乞われ、応えて生かすことだけを考えてきた咲和子。<積極的な安楽死など全くありえない。医師として、亡くなる患者の背中を押す行為はできない。それが職業倫理だ。決して行ってはいけないことだと信じている>。
けれど、娘として、患者の家族として、咲和子はまた別の感覚を抱きはじめるのだ。
咲和子だけではない。まほろば診療所を営む仙川徹も、咲和子と行動を共にする看護師の星野麻世や、東京から咲和子を追ってやって来て診療所の運転手として雇われた野呂聖二も、みな家族への屈託を抱え生きている。癒えることのない痛み、薄れることのない哀しみ、誰の胸にも自分が選んだ物事の悔いがある。けれど、作者である南杏子は、それを否定するのではなく、すべてを受け入れて今日から明日へと繋げて見せる。
問われるのは生きるか死ぬか、ではない。自分はどう死んでいきたいか、近しい人をどう見送るか、尊厳と覚悟だ。
いつか対峙しなければならない難題の答えを自分で選び取るために、ぜひ本書から死を学んで欲しい。それは同時に、生きる力を得ることにもなるはずだから。
藤田香織(書評家)