結婚、仕事、人間関係……ただ生きてるだけでも悩みは尽きません。「自分の人生、これからどうなっていくんだろう」とぼんやり不安を抱えていませんか?
お坊さんである英月さんの本『お見合い35回にうんざりしてアメリカに家出して僧侶になって帰ってきました。』には、そんな人生の不安を吹き飛ばしてくれるヒントがたくさんあります。
彼女のハチャメチャな人生を知れば、きっと自分の人生も開けて見えてきます。その中身を、本書より一部公開いたします。*前回「逃げた先でも問題は起こる。人生を進めるためにはお金が必要だ」
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たくましさ、開花!
言葉の通じない海外で生き抜くためには、お金という名の道具が必要。お金があれば、生活の基盤を整えることもできるし、知識や教養も得られる。そして突然のチャンスにも対応できる!
そんな当たり前のことには、出国前に気づいてくれと思いますが、勢いだけでアメリカに渡った私には、そこまで考えが及ばず。嗚呼、愚かである。が、愚かであったおかげで、そして、お金がなかったおかげで、私自身も知らなかった潜在能力が開花したのです。自分で言うなとツッコミたいですが、私自身驚いたことだから致し方ありません。では、何が開花したのか?
それは、「たくましさ」です。
もうねぇ、びっくりしました。こんなに、たくましかった? って。あれ? 私って、お嬢さん育ちじゃなかった? って、あくまで自己申告ですが。
でもね、「半年ほどバケーションに行って参ります。半年よりも短い予定です。長くなったとしても、一年を超えることはありません」と両親に言った時、親は思ったハズなんです。どうせ資金も十分ではない。苦労もせずに甘やかされ放題で生きてきた娘のこと、お金が尽きたら、いや、尽きる前に音ねを上げて帰ってくるだろうと。その目論見があったからこそ、不承不承であれアメリカ行きを許してくれたハズなのです。
と言いましたが、正確には許してはくれませんでした。家庭内無視という冷戦状態の中で、勝手に出て行ったのです。正に、ワガママ娘の本領発揮。ですので、アメリカに着いてから寺に電話をかけても、切られる始末。こうなるとバケーションではなく、親公認の家出です。そんな中、自称お嬢さん育ちの私は大丈夫か? と思うのですが、意外と強くて私自身がびっくり。
その強さは内面だけでなく、外面にも表れました。肌が弱く、セーターはカシミヤ一〇〇パーセント、もしくはアンゴラ一〇〇パーセントでないと、絶対にダメだった私。それが、どうでしょう。
ウールであろうが、アクリルであろうが、かゆくも、痛くも、肌荒れが起きることもなく。そうして環境に応じて変化する肌に、人体の不思議を見るようでした。肌でさえ劇的な変化を遂げるのですから、内面のたくましさは言うに及ばずです。
極貧になって知る、周りの人の有難さ
お恥ずかしながらそれまでの私は、美味しい、まずいと文句を言うことはあっても、食べ物が口に入ることに感謝したことはありませんでした。それがアメリカに渡って初めて、パンのひとかけが口に入る有難さを知りました。
パンが口に入るということは、パンを買うことができたということ。パンを買うことができたということは、お金があったということ。お金があったのは、仕事があったから。
ではなぜ、仕事があったのか。その仕事を得るのに学歴が必要であったなら、日本で学校に行かせてくれた両親のおかげ。仕事を得るのに、誰かが紹介してくれたのなら、東洋の小さな島国からやって来た、英語もろくに話せない私を信用してくれた人のおかげ。
パンひとかけの背景にある大きな繋がりに、初めて気づかされたのです。だから、どんな仕事も全力投球。必死に働きました。銀行時代の上司が見たら、さぞ驚くだろうなと思いながら。
そうしてがむしゃらに働いたのは、紹介してくれた人、そして雇ってくれた人の恩に報いるためでしたが、クビにされないためでもありました。クビにされたら、どうやって食べていくの? 家賃はどうするの? 道具としてのお金を貯える前に、路頭に迷ってしまいます。
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次回は6月12日公開予定です。
お見合い35回にうんざりしてアメリカに家出して僧侶になって帰ってきました。
うちの安住の地って、どこにあるん?
親のお見合い攻撃にキレて、なんと海外逃亡。アメリカに骨を埋めるつもりが、仏教に出会ってしまい……。ハードな人生に笑えて泣ける、奮闘エッセイ。