1. Home
  2. 社会・教養
  3. めぐみへの遺言
  4. 「めぐみが消え、毎日自殺を考えていた」…...

めぐみへの遺言

2020.06.18 公開 ポスト

「めぐみが消え、毎日自殺を考えていた」…横田夫妻を襲った絶望の日々横田滋、横田早紀江、聞き手/石高健次

北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの父、横田滋さんが、先日87歳で亡くなりました。生死もわからない娘の生存を信じ、行方を探し続けた滋さんと、妻・早紀江さん。2012年4月刊行の『めぐみへの遺言』は、その長きにわたる夫婦の闘いの日々をジャーナリストの石高健次さんが追った、涙なしでは読めない一冊です。追悼の意を込めて、本書の一部をご紹介いたします。

*   *   *

―――めぐみさんが突然消えてから20年目に私がご自宅を訪ねて、北朝鮮に拉致されそこで生きている可能性がありますと告げたのですが、それまでの空白の日々というのは……。

早紀江 私の方がもうおかしかったです。死にたいくらい悲しかった。だって昼間、誰もいなくなっちゃうでしょ。主人は銀行、めぐみの弟二人は学校へ行って、部屋に一人でいてもう気が狂いそうになる。なんでこんな辛い目に遭わなきゃならないのかと悩みました。

 親ですからいろいろなことを考えて、何か私たちの教育が悪かったのか、もしかしてめぐみにはいろいろな悩みがあったのか、それはもういろいろな心の傷や苦労を想像しました。

 誰かに連れていかれたとしたら、今頃どこかに埋められているのではないかという思いもありました。新潟は雪がたくさん積もるので、雪の山を眺めながら、春になったらあの山のどこかで埋められているかもしれないから、捜しに行かなくてはと。

 海の向こうに赤いブイが浮かんでいるのを見つめながら、あれはめぐみがいなくなった時提げていた赤いスポーツバッグじゃないかとか、そのような思いで、じっと見つめて泣いていました。

 砂浜など、何度も何度も走り回って何か落ちていないかと捜したけど見つからない。

 女性の頭がい骨が日本海で見つかったから来てくれと警察に言われて自転車で向かうのですが、足が震えて走れない。めぐみが以前診てもらっていた広島の歯医者さんから歯の治療痕が記されたカルテを取り寄せていて、警察へ持っていく。そういうことばっかり、もう発狂しそうな感じで、毎日、泣いて、泣いて、泣き続けていました。

 警察へ行って「どうなりましたか?」といつ訊いても「どんなにやっても何も分からないんです」「すみません、本当に申し訳なく思っています」という返事しかなくて。新潟のそれまで知らなかった所も、自転車であちこち行きました。ある日、小さな入江に出たんです。今思えばどの辺だったかな、駅の裏手の方向に走っていたのかな。浜辺に小さな船着き場があって。

 

 信濃川の河口だと思う。

 

早紀江 その入江に自転車を置いて、海を見ていたんです。小さな船がポツンと浮かんでいるくらいで、ボーッと見ていたら、おかしいなと思ったんでしょう、通りがかった女性が「どうかなさいました?」と訊くので、びっくりして私が、実はこうこうで、どんなに捜しても娘が見つからないんですと。たまたま通りがかったらこんな所にちょっとした入江があったので来てみたんですと泣きながら話していた。

 その女性が「かわいそうに大変ですね」と言って、しばらくお話をしました。

 ほんと、自転車ではいろいろな所へ行きました。何か見つからないだろうかと……、見つからないことが分かっていても。

 

 やっぱり死んだという証拠がない、生きている証拠ももちろんないんですけど、死んだ証拠が出るまでは生きているのを前提に、親は同じ所でも何回も行くんですね。

 きのう漂流物がなくても今日はあるかもしれない……、ずっと捜していた。

 でも、そんな時期が過ぎてしまえば、結局待つだけということになって。たまに人捜しのテレビに出て呼びかけてもめぐみに関しては効果は表れないんです。

 一度、朝日新聞から失踪宣告の特集記事を書くからと取材されて、めぐみの失踪宣告をどうして出さないのかと訊かれました。それは大人の場合なら相続などいろいろな問題があるけれど、子供だから出しても何ら利益がない。息子の拓也、哲也は小学校3年生の頃だったから、そういうことは何も解らない。それで我々二人のうちどちらかが死んだら出すかどうかを考えてみます、と答えたことがありました。

 死んだという証拠がないということは、どこかで生きている可能性がある。私はいつまでも待つしかない、と思っていました。

※肩書きは当時のものです

関連書籍

横田滋/横田早紀江/聞き手 石高健次『めぐみへの遺言』

とにかく自由にしてやりたい。あんな国に閉じ込められたままで消えてもらいたくない。 生きている間にせめて1時間でもいい、日本に帰って来てほしい……。 生死もわからない娘の生存を信じ、行方を探し続けた夫妻が出会った世の中の不条理とは?

{ この記事をシェアする }

めぐみへの遺言

北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの父、横田滋さんが、先日87歳で亡くなりました。生死もわからない娘の生存を信じ、行方を探し続けた滋さんと、妻・早紀江さん。『めぐみへの遺言』は、その長きにわたる夫婦の闘いの日々を追った、涙なしでは読めない一冊です。追悼の意を込めて、本書の一部をご紹介いたします。

バックナンバー

横田滋、横田早紀江、聞き手/石高健次

横田滋(よこたしげる)

1932年11月徳島県生まれ。11歳で札幌へ転居。高校卒業後、日本銀行に入行し、札幌支店を転出する61年までを札幌で過ごす。62年、名古屋支店時代に知人の紹介で早紀江さんと結婚。64年10月めぐみさんが生まれる。本店、広島支店勤務ののち、76年新潟へ。翌年、めぐみさんが中学1年生の時、下校途中に行方不明となる。20年後の97年1月、拉致の情報が飛び込む。2月に大きく報道され、3月、拉致被害者家族連絡会が結成されると代表となり、政府への要請、マスコミの対応など救出に向け精力的に活動。2007年11月代表を退任後も、街頭署名や年に100回前後の講演活動を続ける。2020年6月5日逝去。

 

横田早紀江(よこたさきえ)

1936年2月京都府生まれ。高校卒業後、繊維関係の商社に約4年半勤務。その後、友禅染めの工房で型染めの染色をする。結婚後、めぐみさんと、双子の息子を出産。めぐみさんがいなくなったあと苦悩の日々を過ごすが、クリスチャンの友人の勧めで聖書を読み、癒されていくのを実感。7年後、めぐみさんが20歳になる年に洗礼を受け、その後は教会に通ったり家庭集会に出たりして、礼拝、聖書の学びに参加している。夫滋さんとともに拉致問題を世に訴えるため精力的に活動、全国の都道府県すべてを回った。2006年には息子拓也さんとホワイトハウスでブッシュ大統領に面会、大統領が北朝鮮を非難する声明を出している。

 

石高健次(いしだかけんじ)

1951年2月大阪府生まれ。74年朝日放送入社。2011年退社するまで数多くのドキュメンタリー番組を手がける。81年、在日コリアンへの差別を告発した『ある手紙の問いかけ』でJCJ奨励賞。97年、横田めぐみさん拉致を突き止め、その経緯と家族たちの苦悩を描いた『空白の家族たち』で新聞協会賞。2005年、アスベスト健康被害でクボタの被害実態を世に出し社会的問題化のきっかけを作った。著書に『金正日の拉致指令』(朝日文庫)、『これでもシラを切るのか北朝鮮』(幻冬舎文庫)など。現在フリーランスで活動中。

この記事を読んだ人へのおすすめ

幻冬舎plusでできること

  • 日々更新する多彩な連載が読める!

    日々更新する
    多彩な連載が読める!

  • 専用アプリなしで電子書籍が読める!

    専用アプリなしで
    電子書籍が読める!

  • おトクなポイントが貯まる・使える!

    おトクなポイントが
    貯まる・使える!

  • 会員限定イベントに参加できる!

    会員限定イベントに
    参加できる!

  • プレゼント抽選に応募できる!

    プレゼント抽選に
    応募できる!

無料!
会員登録はこちらから
無料会員特典について詳しくはこちら
PAGETOP