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めぐみへの遺言

2020.07.02 公開 ポスト

北朝鮮の村を見て、横田夫妻は「めぐみちゃーん!」と絶叫した横田滋、横田早紀江、聞き手/石高健次

北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの父、横田滋さんが、先日87歳で亡くなりました。生死もわからない娘の生存を信じ、行方を探し続けた滋さんと、妻・早紀江さん。2012年4月刊行の『めぐみへの遺言』は、その長きにわたる夫婦の闘いの日々をジャーナリストの石高健次さんが追った、涙なしでは読めない一冊です。追悼の意を込めて、本書の一部をご紹介いたします。

*   *   *

―――安明進氏と面談したあと、ソウルから車で北へ走って、イムジン江を挟んで国境の向こうにある北朝鮮の村を見に行きました。

早紀江 初めて見た北朝鮮、なんという所だと思った。ああいう光景は他で見たことがない。くら~い、茶色い山が並んでいて、その手前に白い家が見えて、シーンとしていて。何か放送の声が流れていました。

 あそこのどこにいるのだろう、もっと奥の方にいるのかなと思いながら見ていました。

 思わず「めぐみちゃーん!」と叫んでしまった。叫んだけれど、何か呆然と見ていました。

 

 あの風景は、はっきり覚えています。木もなく建物も少ししかなくて、寂しい風景だった。北朝鮮を脱出した黄長燁フアン・ジヤンヨプ書記が長く中国の韓国大使館に居たのですが、ちょうど出国してタイかフィリピン、または韓国のどちらかへ向かうと騒がれていた時で、ソウルの金浦空港も警備がすごく厳しかった。

 

早紀江 こんな寂しい所で生きているのか、なんで助けてやれないのかと思いました。今は、これだけ頑張ってもダメなのかなと……。

青空の下、めぐみを自由に遊ばせたい

早紀江 でも悲しいです、これでは。国は、もう少し時間が経てば私たちみんな歳を取って身動きができなくなって、拉致のことなど忘れられると考えているのではないかとさえ思ってしまう。

 

 親の世代で元気に活動できているのは神戸の有本さんとうちぐらい。あとは兄弟はいるけれども。

 

早紀江 でも、兄弟には任せられないと思う。かわいそう。自分の暮らしを守って子供を育てるので手一杯だから。そこまで尾を引くと大変だし。本当にもう、仕方がない、どこでどうなるのかと思っています。

 まだまだ時間がかかりそうだし、自分たちの体は自分で守るしかない。だから、お父さん、頼まれると黙っていられない性格は分かるけれど、講演などお誘いに乗ってどこへでも出かけるのは、いい加減ペースを落とさないと。バタッといってしまいます。

 いつまでも60代じゃないのだから、私の言うことをもうちょっと素直に聞いてほしい。ほんとに何を言っても聞かない人だから。

 

 可能な限り講演などを引き受けてやってきたから、今の世論ができたんだと信じている。

 

―――最後に、めぐみさんのこと、どんな未来を描いていますか?

早紀江 とにかく自由にしてやりたい。あんな国に閉じ込められたままで消えてもらいたくない。病気や野垂れ死にをしてほしくない。生きている間にせめて1時間でもいい、日本に帰って来てほしい。あの人が大好きだった広々とした野原で寝転がって青空を見たり風に当たったり、馬や牛や羊が遊んでいる緑の牧場のような所で思いっきり遊んで、これが自由なんだ! と思わせてやりたい。それが希望です。せっかく生まれてきたのだから、1時間でも解き放たれてほしいと。他の人たちもそうです。

 日本の国として、そうしてやらなければいけないと思う。よその国が平和な国に何度も勝手に入ってきて子供や尋ね人のポスターまで持って帰る。その無防備さが信じられない。

 政府の人自身が、わが子が北朝鮮へ連れていかれたらこんなことでは済まないのではないですか。

 もうずっと、他人事としてやっているような気がしています。なぜそうなったのか……。日本の国、こんなことでいいのかと思うところまで来てしまった。

※肩書きは当時のものです

関連書籍

横田滋/横田早紀江/聞き手 石高健次『めぐみへの遺言』

とにかく自由にしてやりたい。あんな国に閉じ込められたままで消えてもらいたくない。 生きている間にせめて1時間でもいい、日本に帰って来てほしい……。 生死もわからない娘の生存を信じ、行方を探し続けた夫妻が出会った世の中の不条理とは?

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めぐみへの遺言

北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの父、横田滋さんが、先日87歳で亡くなりました。生死もわからない娘の生存を信じ、行方を探し続けた滋さんと、妻・早紀江さん。『めぐみへの遺言』は、その長きにわたる夫婦の闘いの日々を追った、涙なしでは読めない一冊です。追悼の意を込めて、本書の一部をご紹介いたします。

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横田滋、横田早紀江、聞き手/石高健次

横田滋(よこたしげる)

1932年11月徳島県生まれ。11歳で札幌へ転居。高校卒業後、日本銀行に入行し、札幌支店を転出する61年までを札幌で過ごす。62年、名古屋支店時代に知人の紹介で早紀江さんと結婚。64年10月めぐみさんが生まれる。本店、広島支店勤務ののち、76年新潟へ。翌年、めぐみさんが中学1年生の時、下校途中に行方不明となる。20年後の97年1月、拉致の情報が飛び込む。2月に大きく報道され、3月、拉致被害者家族連絡会が結成されると代表となり、政府への要請、マスコミの対応など救出に向け精力的に活動。2007年11月代表を退任後も、街頭署名や年に100回前後の講演活動を続ける。2020年6月5日逝去。

 

横田早紀江(よこたさきえ)

1936年2月京都府生まれ。高校卒業後、繊維関係の商社に約4年半勤務。その後、友禅染めの工房で型染めの染色をする。結婚後、めぐみさんと、双子の息子を出産。めぐみさんがいなくなったあと苦悩の日々を過ごすが、クリスチャンの友人の勧めで聖書を読み、癒されていくのを実感。7年後、めぐみさんが20歳になる年に洗礼を受け、その後は教会に通ったり家庭集会に出たりして、礼拝、聖書の学びに参加している。夫滋さんとともに拉致問題を世に訴えるため精力的に活動、全国の都道府県すべてを回った。2006年には息子拓也さんとホワイトハウスでブッシュ大統領に面会、大統領が北朝鮮を非難する声明を出している。

 

石高健次(いしだかけんじ)

1951年2月大阪府生まれ。74年朝日放送入社。2011年退社するまで数多くのドキュメンタリー番組を手がける。81年、在日コリアンへの差別を告発した『ある手紙の問いかけ』でJCJ奨励賞。97年、横田めぐみさん拉致を突き止め、その経緯と家族たちの苦悩を描いた『空白の家族たち』で新聞協会賞。2005年、アスベスト健康被害でクボタの被害実態を世に出し社会的問題化のきっかけを作った。著書に『金正日の拉致指令』(朝日文庫)、『これでもシラを切るのか北朝鮮』(幻冬舎文庫)など。現在フリーランスで活動中。

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