でも、そもそも、学校に合格できれば、それでいいんだっけ……?
アフターコロナ、ウィズコロナで、子供たちの「学び」と向き合ってるお父さん、お母さんにこそ、読んでほしい。
たくさんの受験生を見てきた坪田先生だから言える、こんな言葉。ぜひ、噛みしめてほしいと思います。
『才能の正体』文庫版より。
* * *
無邪気に才能の芽を潰す、大人たちの罪
「Why型」で考えてしまうと、“才能が生まれる可能性”を潰してしまうことがあります。
もし、学校の成績が良くないあなたのお子さんが、もしくは同級生が、「今から東京大学の理科III 類(医学部)を目指す」と言ったとします。あなたはどう反応するでしょうか?
全然勉強してないのに受かるわけがない。何、頓とん珍ちん漢かんなことを言ってるの。無理に決まってる。あそこはものすごい頭がいい人が行くところだよ……『ビリギャル』のさやかちゃんも、「慶應に行く」と言ったときに、同じような反応をされました。この反応は、“結果”を決めてから“今”を判断してしまう「Why型」のものです。
これは、せっかく才能が生まれようとしているところを、みんなで寄ってたかって潰してしまっているようなものです。普通、こんなふうに言われたら「やっぱり自分なんて……」と諦めてしまうでしょう。
人というのは、肯定されると頑張る生き物です。「褒めてもらうと頑張れる」「褒めて育つ子」なんて言い方をよくしますよね。
たとえその時点でその子が勉強をしていなくても、それどころか学年ビリでも、自分で「やろう」と決めたのなら、周りの人たちは「あなたがそう思うなら、やってみたら?」と声をかけてあげた方がいいのです。
さて、そんなふうに肯定されて奮起したその子が、すごく勉強をして合格した、としましょう。
こういうときに、周りの大人が言いがちなのは……。
「○○さんのところのお子さん、東大の医学生らしいよ」「すごいね、天才じゃない!」「でもね、高校生のときは全然勉強できなかったんだって」「そんなわけないじゃない。もともと地アタマが良かったに決まっているでしょ」「そうね。だってお父さん、部長さんでしょ?」「じゃあエリートじゃない」みたいなこと。
しかし、部長=エリート、その子ども=東大理III 、というなら、“部長さんのお子さん”は全員、東大の理III に行っていないとおかしいですよね。
父親が高名な作家で、そのお子さんがミリオンセラーを出したとしても「やっぱり血だね」と言われてしまいますが、それも同じ仕組みです。
『ビリギャル』のさやかちゃんも、「もともと才能があったんだ」「もともと進学校だったから」みたいに言われることがあります。しかし、彼女と同じ年に、その高校から慶應に受かったのは二人だけで、もう一人は推薦入学。学年ビリの成績の人が一般入試で慶應に合格できるほどの進学校なら、100人単位で慶應に合格していないとおかしいですよね。
世間というのは、「結果」を見て「こうに違いない」という理屈を後付けする傾向があります。それも、親からの遺伝を理由にして、「才能があったから」「地アタマが良かったから」と後から言う。その子の努力でなく、遺伝を評価する。
さやかちゃんの場合は、こうした無粋な大人によって「才能の芽を潰される」ことがありませんでした。それはさやかちゃん本人の強さでもありますが、おかげでまばゆい「結果」を出しました(もちろん、そういう大人もいましたが、お母さんや僕という味方がいて、その味方を信じて本人が頑張れました)。家族や教師など、身近にいる人たちは「才能の芽を潰すこと」だけは絶対にしないでほしいものです。
ちなみに、あらゆるタイプの子どもたちを1300人「子別指導」してきた上で僕は、遺伝が人の“成功”を左右することはない、と言えます。親が優秀だから頭がいいはずだと言われてきた子どもでも、教育方法を間違えば、能力は伸びません。
あるとすれば、物事の取り組み方や、ものの考え方に、親の影響を受けるというだけです。
「本当の成功」とは何か? ──「長期的視点」を持つことで、幸せな成功をしよう
僕がよくされる質問がこちらです。
「坪田先生の指導を受けても全員が全員、志望校に合格しているわけじゃないですよね? 失敗している子もいますよね? どうしてその子たちはうまくいかなかったんですか?」
こう聞かれたとき、僕は、
「うまくいかなかった子なんて、一人もいません」
と答えます。すべての子が、勉強をスタートした時点より、明らかに成長していますから。
この質問をする人たちが言っている“うまくいかなかったこと”とは、現役合格のことです。浪人すること=うまくいかなかった、すなわち、失敗だと思っている、というわけです。
これは「Why型」で考えているから、導き出されてしまう考え方です。
「現役で合格したい」ということだけを考えるなら、今の自分の偏差値で確実に合格できる大学を選んで受ければいい。多くの学校や塾では、進路指導のときに、今の偏差値で受かるところ、もしくはちょっとだけ上の偏差値の学校を受験するように指導します。それは「現役で合格してくれた方が、学校や塾として都合がいいから。つまり、来年のわが校、わが塾への志望者が増えるから」です。
そこには残念なことに、今よりもその子の能力を伸ばし、才能として開花させようといった考えはありません。
しかし、どんなことでもいいから努力をして、その子に合ったやり方を試行錯誤しながら自分のものにできれば、学力は確実に伸びます。
僕は、浪人してもいいと思うし、当初目指していた志望校と変わってもいいと思います。自分の将来の希望を叶えてくれる専門学校を見つけられたら、それもいい。場合によっては、試験当日に体調が悪くてうまくできなかった、という結果になってもいい。そうなれば体調管理がいかに大事か身をもって知ることができます。
人生において、現役合格よりも、そっちの方が大事だと思いませんか?
僕に言わせれば「本当の成功」というのは、「100年かけても達成したい」と心の底から思うものを見つけることや、そういう思いを分かち合える仲間を見つけることです。
現役合格も、いい大学へ行くことも、あくまでその成功へ到達するまでの「通過点」でしかありません。手段と目的を取り違えると、せっかくの才能が無駄になってしまうということを、意外に知らない大人が多いのが残念です。
もともと「頭のいい人」は確かにいます。そういう人が確実に難関大学に現役合格していたりするのを見ると、そういう人に「才能がある」と言ってしまいたくなる気持ちもわかります。しかし、その人がこれから先、自分で切り拓いていく人生は、大学に入っただけでは始まりません。
東大に入った人が、全員成功していますか? 全員憧れの生活をしていますか? そんなことないですよね。
主教科のお勉強ができるだけで成功者になれるほど、社会はカンタンではないのです。
要するに、「短期的な視点」での成果と「長期的な視点」での成果のどちらを望むかという話なのですが、これの一番卑近な例は、定期テストの点数の結果で一喜一憂する親子がいかに多いかということです。
たとえば大学受験においては、定期テストの点数はほぼ関係ありません。にもかかわらず、なぜか、受験には関係のない定期テストの点数が上がったとか学年順位が下がったとかに振り回され、「成果が出ていない」とやる気をなくしたり、「成績が伸びている」と喜んだりします。
「視野が極端に短期的」なケースが多すぎる。
そういう意味で、僕には、「現役合格」ってそんなに価値が高いとはとても思えないのです。そして、現役合格できた人を「才能がある人」ということにも、僕は違和感があるので、単に頭のいい人を「才能がある」とは、僕は言いません。
才能の正体
コロナ禍は、学習シーンにも大きく影響し、休校になったり、授業がオンラインになったりした。学校の授業だけでなく、塾も、部活も、コロナ前の体制に戻るには時間がかかりそうだ。いや、そもそも、戻らないのかもしれない。
でも、だからといって、能力を伸ばせなくなったわけではない!
「才能の本質」について知れば、体制に関係なく、能力を伸ばすことはできる。
学年ビリのギャルが1年で偏差値が40も上がり、慶応大学に合格できたのは、坪田先生との出会いのおかげだが、その『ビリギャル』の坪田先生が、「才能とは何か」について余すことなく書いたのが、ベストセラー『才能の正体』。
その『才能の正体』が文庫化されました! 文庫化記念で、本文を公開します。
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