連日テレビを賑わせている、芸能人の不倫騒動や失言問題。過激化するバッシングの一方で、「さすがにやりすぎでは?」と感じている人も少なくないのではないでしょうか。精神医学の権威、岩波明先生の『他人を非難してばかりいる人たち』(2015年9月刊行)は、そんな現代の風潮に一石を投じる一冊。炎上、バッシング、ネット私刑が「大好物」なマスコミや、ネット住民の心理とは一体? その正体を明らかにしていきましょう。
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SNSがもたらしたもの
今、世界は確実に「小さく」なっている。さらに、すべての人において個人の秘密を保つことが難しくなっている。それに伴って、他人を許せない人たちや他人を非難してばかりいる人たち、バッシングしないではいられない人たちの動きが騒々しい。
大雑把な図式を言えば、「唾棄すべき悪人」が発見されたとき、マスコミとネット住民は先陣を争うようにして、バッシングを開始する。いったんその流れが定まってしまうと、一般の人々はよく理解しないままに追随し、さらに大きな「世の中の声」を作るようになるわけだ。
いうまでもないが、これは、インターネットとSNSの普及による「成果」である。新しいデバイスを得たことで、ぼくらは容易に他人の弱みにアクセスして、それに付け込むことができるようになった。
さらに言えば、ネットの匿名性が、ぼくらの過激さを助長する。ひきこもりでも、ニートでも、ブラック企業の社員でも、だれであろうと、多少の文章のレトリックと他人をふみにじる傲慢さを備えていれば、一瞬のことではあるが、この世界の「王」のように振る舞うことができる(しかし、この匿名性も実は仮のものであり、あらゆる情報はサーバーに管理されていることを知っておく必要がある)。
ここではまず、あるテレビドラマのシーンを例としてあげてみよう。最近の米国の人気テレビドラマに、『ハウス・オブ・カード』という作品がある。
物語の舞台は、大統領候補ウォーカーが大統領選に勝利した直後の首都ワシントン。主人公は、選挙の功労者であるとともに、議会の重鎮であるやり手の民主党下院議員、フランシス・アンダーウッドである。
彼はウォーカーから、選挙後の国務長官の地位を約束されていたが、突然、その約束が反故にされ内閣からはずされてしまう。
フランシスはウォーカー大統領の裏切りに愕然とするが、すぐに復讐のために新たな謀略を編み出す。大統領を追い落として、自らその地位を手に入れようと企てたのだ。まず、彼は自分の代わりに国務長官の地位についた人物を追い落とすために、過去のスキャンダルをでっち上げた……。
ドラマの展開がスピーディーであることに加えて、犯罪行為さえもいとわずに、なりふり構わず権力を我が物にしようと不眠不休で暗躍するフランシスの姿は、むしろすがすがしい印象さえ覚える。
けれども、ここで紹介したいのは、このドラマのメインストーリーではないシーンである。
フランシスは、自分に近づいてきたワシントン・ヘラルドの女性新聞記者ゾーイを愛人にし、彼女を通じてマスコミの情報操作を行った。フランシスからの内部情報によってスクープを連発したゾーイは新聞社内でも異例の抜擢を受けたが、勝気な彼女は保守的な編集長と対立し、ある時、罵倒されてクビを宣告された。
ところが、ゾーイはひるまなかった。スマートフォンを取り出した彼女は、録音していた編集長とのやり取りを再生させた。そこには、激しい女性蔑視の言葉が並べられていたのである。それを聞かされた編集長の表情は、見る間に青ざめていく。
「今の時代、一人に話したことは、1000人に話すのと同じことなのよ。私がこの内容をツイッターに流したらどうなると思う?」
ゾーイは勝ち誇ったように言い放って自ら新聞社を去るが、編集長はまもなく社のオーナーから解雇され、ゾーイはつかの間の勝利を得たのであった(最終的にゾーイには悲劇的な運命が待っているのであるが、それについてはぜひドラマをご覧ください)。
他人を傷つけたいネット住民たち
このゾーイの言葉が、まさに「今という時代」を表している。
公の場における発言はもちろんのこと、私的な恋人同士の会話でさえ、ネットにさらされるリスクがある。リアルな会話も電話の音声も、それを録音して、ネット上に公開することは素人でも容易に可能であるからだ。
さらに、ブログや掲示板への書き込みは、常に見知らぬだれかにチェックされている。他人のコメントや発言内容のアラ探しに人生を懸けている人たちが、途方もない数存在するのである。
そしてひとたび、発言が問題視されると、それはいっときの出来事で終わらない。問題にされた部分だけが繰り返し恣意的に引用され、時には巨大なフォントと赤字で悪意によって強調されて、瞬時にネット世界にばらまかれる。いったん拡散した情報に、もう打つ手はないし、消去しようもない。
そうなると、あることないこと無責任なコメントが付け加えられて、誹謗中傷の対象となる。さらには、ネットの住人たちは発言したおおもとの個人を特定し、その実名やプロフィールまでもネット上にさらして「なぶりもの」として吊るし上げるし、現実世界においても被害が及んでいる。これが、「炎上」である。
ここには、落ち着いた議論をしようという姿勢も、寛容さのかけらもない。ネット住民の多くは、一見「正義派」を装っていることが多いが、彼らの目的は、他人を傷つけること、徹底的に糾弾しひねりつぶすことにあるからである。
他人を非難してばかりいる人たち
連日テレビを賑わせている、芸能人の不倫騒動や失言問題。過激化するバッシングの一方で、「さすがにやりすぎでは?」と感じている人も少なくないのではないでしょうか。精神医学の権威、岩波明先生の『他人を非難してばかりいる人たち』は、そんな現代の風潮に一石を投じる一冊。炎上、バッシング、ネット私刑が「大好物」なマスコミや、ネット住民の心理とは一体? その正体を明らかにしていきましょう。