スピード感あふれる歯切れのよい語り口で、本業のほかテレビや舞台でも活躍中の落語家・柳家花緑さん。2017年、花緑さんは発達障害のひとつ「識字障害」(ディスレクシア)であることを公表しました。
子ども時代から、できないことや苦手なことは自分の努力不足だと思い込んでいた花緑さん。40歳を過ぎて自分が発達障害だと知り、「飛びっぱなしによる疲労でときどき空から落ちていた鳥が、やっと止まり木を得た感覚。本当にラクになりました」と語ります。
自身の経験を軽妙につづった花緑さんの新刊『僕が手にいれた発達障害という止まり木』より、一部を公開します。
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「ふりがなをふる」ことを覚える
18歳で二ツ目になると、結婚式の司会なども頼まれるようになりました。自分はそういうことが苦手だという認識がないので、つい引き受けてしまいます。
ところが、式次第をもらうと、字が読めないことがネックになる。そこで誰かに聞いて、漢字にふりがなをふるようになりました。
でも、式場に着いてから人に漢字の読み方を聞いたりするもんだから、あせってオタオタする。しかも、緊張して言い間違えるわ、読み間違えるわ。それを指摘されると、ますます緊張します。
あぁ、こういう営業は自分には向かないんだなと、またもや自己嫌悪。当時は、識字障害のせいで字が読めないということがわかっていなかったので、「自分はダメだ」と思い込んでしまうんですね。とはいえ、「ふりがなをふる」ことを覚えたのは、自分にとって進歩でした。
今でもナレーションや朗読の仕事をする際は、台本の漢字部分には、読めても読めなくてもすべて、ふりがなをふります。読めない漢字は人に聞いたり、辞書を引いたり――辞書が引けるようになった経緯は、後から改めてご説明しますが――とにかく、全部ルビをふる。
でも、ふりがなの部分はどうしても文字が小さくなります。すると、疲れたり緊張すると、読めなくなったり、読み違えをしてしまいます。
台本などで、あらかじめ難しい漢字にふりがながふられているものもあります。これも、緊張すると「字が小さすぎて読めない!」状態になってしまいます。
この先、老眼になったら、ますます小さい字の判読が難しくなるでしょう。いやぁ、なかなか大変です。
「辞書を引く」方法を見つける
八方ふさがりで精神的に大変なとき、どうしたらいいのか。
そんなときは「本」に救われました。もしかしたら、大変な状況から抜け出す方法を教えてくれる本があるかもしれないと、はたと思ったんです。
とはいえ、それまで本なんて、一冊も読んだことがありません。ですから、最初はおそるおそる本屋に出かける、という感じでした。正直、はたして自分に本が読めるか、ちょっと疑っていました。でも、本に賭(か)けてみようと思ったのです。
書店に行き、まず手に取ったのが、自己啓発やスピリチュアル系の本。買ってきてパラパラとめくると、当然、漢字が出てきます。読めないし、意味もわからない。どうしよう。
そこで、また、はたと考えた。「そうだ、辞書を引けばいんじゃないか?」
ここで質問です。たとえば「煩悩(ぼんのう)」という言葉があるとします。難しい言葉ですね。もし読み方がわからなかったとしたら、どうやって辞書を引けばいいと思いますか?
そう。読めないと、国語辞書が引けないんです! さて、困った。
そんなとき、誰かが、漢和辞典というものを教えてくれました。漢和辞典は、「ニンベン」とか「クサカンムリ」とか、部首ごとに漢字がまとめられており、偏(へん)を除いた残りの旁(つくり)の画数で調べることができます。また、字全体の画数でも、索引(さくいん)で調べることができます。
たとえば「煩」の字は、「火(ひ)偏」の部分の9画のところを探すと、出てきます。そして「ハン・ボン・わずらう」などの読み方の後、煩の字を使った熟語の例として、「煩悩」が出てきます。
おぉ、「ぼんのう」と読むんだ。そして意味は「人々の心やからだを、苦しめ、なやます迷い」。なるほど、なるほど。そしてこれは、仏教の言葉なんだな――といった具合。読み方も意味も、わかるんですね。
正直、メンドウですよ。時間もかかります。でも、やってみると、これがけっこう楽しい。ちょっとゲームみたいな感覚です。そんなわけで、辞書を引いて新しい言葉を知る喜びを、初めて味わいました。
本が読めると、勉強もできる
本を読めるようになったおかげで、江戸文化に詳(くわ)しい杉浦日向子(ひなこ)さんの本や、田中優子先生の本も読むようになりました。今も知った顔をしてお客様の前で江戸の文化に関して話すこともありますが、実は勉強したことの受け売りです。スミマセン。まぁ、江戸時代に行ったことがないので、許してください。
「古典落語」と聞くと、昔から伝わっている噺を、一字一句変えないようにやるものだと思っている方もいらっしゃるかもしれません。でも、決してそうではないんです。それぞれの落語家が、自分なりにちょっと工夫して、変えてもいい。そこに、その落語家の味なり個性なりが出る、というわけです。
ただ、変えてはいけないところは、しっかり守っていかなくてはいけない。それを若手は、よく踏み外す。すると、先輩にすごく怒られます。
たとえば、町名を勝手に変えてしまうと、「その町内から吉原まで歩いていけないだろう」などと、つっこまれる。登場人物の名前も、侍の名前と町人の名前は違います。商人ひとつとっても、一番番頭と小僧では、やっぱり名前が違う。
そういう点は間違ってはいけないというのが、暗黙の約束事です。ですから、てきとうに江戸っぽい名前だろうと思ってつけると、えらいことになります。
かといって、師匠が「今日は歴史の勉強するから、こっち来なさい」なんて言ってくれるわけではない。自分なりに、時代背景などを学ばなくてはいけないんですね。そういうときに役に立つのが、本です。
自分で勉強ができるようになったおかげで世界が広がりましたし、古典落語を自分なりに消化したり、新作落語を創る際も、基本的な間違いをおかさないですむようになりました。
本を読む習慣が生まれて、本当によかったと思います。
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