こんなハズじゃなかった、何者かになりたかった。そんな若者の姿を描いた青春小説『明け方の若者たち』。先日4回目の重版も決まった、話題の一冊です。
宮城県石巻市で出版社・口笛書店を営み、ライターとしても活動される日野淳さんに、書評をお寄せいただきました。
* * *
「絶対に好きだと思うよ」
そう薦められて手渡された本のカバーと帯を見て、「ああきっとそうですね」とか言いながら、内心では「そうとも限らないでしょう」とか思ってしまうくらいは性格が悪い。実際に読んでみて、「やっぱりそうでもなかったな」となることも少なくないわけだけど、この本においてはやられた。いや好きかどうかというと、好きだとは言い切れない。なぜなら私は自分のことが完全には好きではないから。何が言いたいかというと、「ああ、これは俺のことだ」という百冊に一冊くらいの確率で訪れるあの感覚を、見事なまでに味合わされたのである。ちょっと気持ち悪いくらいに。
大学卒業の目前、もうすぐ社会人としての新しい生活が始まるというタイミングで、主人公は「彼女」と出会う。有名企業に内定が決まった連中だけが参加を許された「勝ち組飲み会」という恥ずかしい名前の集まり。片隅で居心地の悪い思いをしていた二人は、居酒屋から抜け出して近くの小さな公園で飲みなおすことに。話す前から分かっていたことだけど、「彼女」は完全に自分のために誂えられたかのような女の子だった。当然のごとくたやすく恋に落ちてしまい、「彼女」の方もまたその準備がすでにできていたかのように想いに応えてくれる。そこから主人公曰く「人生のマジックアワー」のような日々が始まる。
会社で働くということに関しては、散々だった。「クリエイティブな仕事がしたい」という夢は総務部に配属になった時点で早々に打ち砕かれ、やるべき業務だけが絶え間なく降ってくるような時間に、心を殺してひたすら耐え忍ぶ。でもだからこそ、「彼女」と過ごす時間はいっそう輝きを増し、その存在だけが、恋をしている実感だけが、自らを特別な人間だと思わせてくれる浮遊感のような高揚感をもたらしてくれるのだった。
物語の各章は現在の地点から「マジックアワー」を回想するような独白から始まる。輝かしい時間はすでに過去の出来事であることが、気の利いた台詞まわしで繰り返し語られる。そこから匂い立ってくるのは強烈な感傷。主人公は恥ずかしげもなく感傷の気分をブンブンに振り回し、あの時間をもう一度生き直すように「彼女」が放った言葉、仕草や表情を一つ一つ思い出していくのだ。しかし感傷は現実的な意味合いにおいては何も生み出すことはない。仕事はうまくいかないし、新しい恋人ができる気配もない。クリエイティブからはどんどん離れていくし、なりたい自分は見失ってしまうし、そもそも自分は「勝ち組」なんかではなかったという事実に打ちのめされる。
そうなのだけれどーー。
主人公は決して「マジックアワー」を手放さない。「マジックアワー」から出ていかない。いつまでも「マジックアワー」の中に生きることを選択している。物語の筋立てをなぞるのであれば、彼は職場での事件や同僚の退職などを契機に、現実社会というものと対峙する勇気を得る、という風に捉えられるのかも知れない。「マジックアワー」と決別して、新たな道を進んでいくのだ、という成長物語と読まれることもあるだろう。だけど私には全然そうは思えない。そんな話だったらそこら中に転がっている。小説として何も新しくない。個人的にまったく興味が持てないし、ましてや「これは俺のことだ」なんて思えるはずもない。
逆なのだ、まったく、完全に、逆なのだ。
「マジックアワー」の中にいつまでも浸っていること、感傷に飲み込まれながらひたすら過去を生きること。主人公(と私)は、そんな人生を完全に肯定する。現実の中に過去が含まれているのではなくて、過去の中に現実が取り込まれていくとまでは言い過ぎかもしれないけれど、この小説はそんな話だ。
たとえば好きな仕事をして誰もが羨むような暮らしをおくることと、好きだった人のことを思い出しながら部屋で独り缶ビールをあおるような生活は、完全に等価だ。それを本人が望んでいるのならば、どちらも豊かでどちらも美しい。
「マジックアワー」はいつまでも続く。それこそがマジックなのであると気付けば。
明け方の若者たち
6月11日発売、人気ウェブライター・カツセマサヒコさんのデビュー小説、『明け方の若者たち』をご紹介します。
- バックナンバー
-
- 映画のエンドロールが終わっても登場人物の...
- ストーリーのある会社に“彼女”には勤めて...
- #8 下北沢は湿ったアスファルトの上で静...
- #7「何者でもないうちだけだよ、何しても...
- #6 ヴィレッジヴァンガードは待ち合わせ...
- #5 その笑顔が嘘じゃないなら
- #4 クジラ公園で、飲みかけのハイボール...
- #3 パーティをぬけだそう!
- #2 彼女の財布から溢れたレシートは下着...
- #1「勝ち組」は明大前の沖縄料理屋に集う
- 『明け方の若者たち』文庫カバーを解禁
- 『明け方の若者たち』文庫化決定!
- 【書評】終わりない「マジックアワー」の中...
- Twitterの140文字と、小説の10...
- 特製しおりをプレゼントする、インスタキャ...
- ノーコンプレックスがコンプレックス。凡人...
- 【書評】変わっていく時間の中に描かれる永...
- 【書評】極めて刺激的で鮮烈な文学世界だ!
- 【書評】「24秒の文学」の外へ──WEB...
- 【書評】夜の感覚に潜むミステリーとしての...
- もっと見る