インターネット上で飛び交う、「ネトウヨ」「パヨク」といったワード。しかし、そもそも「右翼」「左翼」の違いをきちんと理解しているのでしょうか? 評論家、浅羽通明さんの著書『右翼と左翼』は、フランス革命から現代へといたる歴史をひもときながら、その定義や「ねじれ」を鮮やかに解説した一冊。知らないで使っていると恥ずかしい、「右翼」「左翼」という言葉の本当の意味がわかる本書から、一部をご紹介します。
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雨宮処凛と山口二矢
『生き地獄天国』(太田出版)という書があります。女流作家雨宮処凛がその青春の彷徨を綴った自伝エッセイで、「超国家主義『民族の意思』同盟」という右翼団体へ参加し、維新赤誠塾というバンドを組み「ミニスカ右翼」と呼ばれる姿が、この本のクライマックスです。
アトピーといじめに苦しめられ、両親には優等生であることを強要された少女時代から、ビジュアル・バンドのグルーピー、リストカット、自殺未遂を経て、美大浪人、人形アーティスト志望で上京、「ガロ」系マンガ、元オウム信者、パフォーマー、バックパッカーらがうじゃうじゃたむろする中央線沿線のいわゆるサブカル文化へ浸り、バンドを組み、そして右翼闘士に。
そんな半生記のなかに、「私にとっては、右翼も左翼も死体写真集もサブカルチャーだったからだ」という一文がありました。
オウム真理教も、残酷な犯罪事件も、さまざまな狂気、奇形、汚物、変態といった異形の数々と同列に、右翼も、また連合赤軍やよど号ハイジャック、六〇年安保、成田闘争など左翼の神話も、怖くてすごくて生きてる実感が得られる何かとして彼女のまえに現われたのです(現在、彼女は作家として才能を発揮しつつ、ワーキング・プア問題に取り組むなど、どちらかといえば「左翼」的活動に従事しているようです)。
他人との折り合いの悪さや肥大した自意識から、居場所を狭め承認欲求を抱えてアイデンティティを模索する若者はいつの時代にもいます。殊に豊かさが大衆的に享受される世の中では、かつてなら特権階級のものだったこうした苦悶もまた大衆化します。雨宮のごとき少年少女は日々生まれ、自らが自らである証を実感したくて、サブカルチャーを追い、さらには新宗教カルトや過激で異形な政治活動にも魅惑されてゆくでしょう。
沢木耕太郎の『テロルの決算』には、あのテロリスト山口二矢少年が、転校の多い孤独な少年として学校に違和感を覚え、日教組系左翼教師への反撥から右傾化する経緯が描かれています。山口も、意外とサブカルチャーと遠くない地点から出発したのではなかったか。
むろんこの想定は、彼が到達した赤誠を何らおとしめるものではないはずです。さらに遠い大正時代、原敬首相を暗殺した中岡艮一も、幕末の志士中岡慎太郎の孫であるとホラを吹き、何か自分が特別であると思い詰める少年だったという記録があります。
もはや鬱憤晴らしでしかない?
自分個人の生きにくさを世の中全体がゆがんでいるせいにして、世の中が変われば幸せでおもしろい日々が私にも来ると信じる。自分自身の矮小さ脆弱さを、民族だの階級だの革命だのといった偉大な使命へ自分を委ねている自覚で乗り超えた気になる。
「新世紀エヴァンゲリオン」のヒット以来、自分の危機と世界全体の危機とがシンクロしてゆく物語を「セカイ系」と呼びますが、「右翼」「左翼」に代表されるイデオロギーはもとより「セカイ系」だったのかもしれません。
ただ、政治活動への動機が物質的充実にあった時代が遠い過去となり、また道徳的自己肯定、社会参加の実感獲得などが主流となった六、七〇年代も過ぎて、生きづらい自分の居場所探し、アイデンティティ確認から、「右翼」「左翼」が一種のカウンセリングやメンヘル・ドラッグのごとく求められるまでとなった現代、そうした傾向が、はるかに強くなったのは確かです。
雨宮女史の場合、新右翼が意味に充ちた居場所となりましたが、「左翼」が同じ役割を果たす可能性も当然、考えられます。アナーキズム系の左翼運動の色彩が濃かった「だめ連」が、「こころ系」と呼ばれる精神的な弱さを抱えた少年少女を集わせ、その方向で世に認知されていった経緯は、そのよい例でしょう。
より軽症の若者や年をとれない中年無能者らが、夜毎うっぷんをはらし自分を慰めるネット上の掲示板では、書きこみのネタとして、また他人の書きこみをあげつらう論拠として、時事問題などに絡む「右翼」「左翼」的言説は好んで取り上げられます。そこでは、小林よしのりの『新ゴーマニズム宣言』で再びポピュラーとなった「ウヨク」「サヨク」なるカタカナ表現はさらに短縮され、「ウヨ」「サヨ」と呼ばれるようになりました。
「右翼」「左翼」はもう、サブカルチャーですらない、「むかつき」とか「へたれ」とかいった生理的反応や傾向と同列に語られる何かへ近づいているのかもしれません。
右翼と左翼
インターネット上で飛び交う、「ネトウヨ」「パヨク」といったワード。しかし、そもそも「右翼」「左翼」の違いをきちんと理解しているのでしょうか? 評論家、浅羽通明さんの著書『右翼と左翼』は、フランス革命から現代へといたる歴史をひもときながら、その定義や「ねじれ」を鮮やかに解説した一冊。知らないで使っていると恥ずかしい、「右翼」「左翼」という言葉の本当の意味がわかる本書から、一部をご紹介します。