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弱者はもう救われないのか

2020.08.16 公開 ポスト

オットセイの8割のオスは子孫を残さず死ぬ…これが「グローバル社会」の正体だ香山リカ

大企業優遇の経済政策、生活保護など社会保障費の削減、社会全体に浸透する「人の価値は稼ぎで決まる」という価値観……。精神科医の香山リカさんは、そんな社会の潮流に警鐘を鳴らし続けてきた一人です。著書『弱者はもう救われないのか』は、古今の思想・宗教に弱者救済の根拠を探り、市場経済と多数決を乗り越える新しい倫理を模索する、香山さん渾身の論考。次世代をになう子どもたち、孫たちのためにも、自分ごととして向き合いたい本書から一部をご紹介します。

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人間の世界が「オットセイ化」している

2008年に放映されたNHKの動物番組『ダーウィンが来た!』は、オットセイのハーレムで有名な南極海の英領サウスジョージア島で撮られた衝撃的な映像を紹介した。

ハーレム形成の前には、オスどうしの熾烈な争いが繰り広げられる。争いに勝ち、多くのメスを我がものにするオスは全体の2割ほどだそうだ。では、戦いに負けてハーレムを作れなかった8割のオスたちは、その後、いったいどうするのか。

(写真はイメージです:iStock.com/Anton Rodionov)

番組では、そのオスたちがしばらく海岸にとどまり、あわよくばハーレムを離れたメスを略奪しようとする涙ぐましい姿が映し出される。しかし、しばらくしてその可能性もない、とわかると、オスたちはハーレムの周辺から姿を消す。

彼らは、海岸を離れ、裏山の高台に移り、そこでいわゆる“負け組オスの村”を作って一生を過ごすのだ。番組はその高台を「傷心の丘」と呼んでいた。戦いで受けた傷がもとで、ひっそり命を落とすオスもいる。無事に生き延びたとしても、一生子孫も残せぬまま、15年ほどの寿命をまっとうしなければならない。

一方、勝ち残ったオスは、ハーレムにいるそれぞれのメスに生涯で15頭もの子どもを産ませる。メスの中には、別のハーレムに移動して“別の男”の子を産むちゃっかりしたメスもいるようだ。だがいずれにしても、子孫を残せるのはハーレムのエリアにいる2割のオスだけ、ということになる。

ハーレムを作ることができた2割のオスは、20頭のメスにそれぞれ15頭の子どもを産ませるわけだから、単純に考えて生涯で300頭もの子孫を残すことになる。一方、ハーレム形成に負けた8割のオスは、「傷心の丘」で、ともすれば1頭の子どもも残せないまま、一生を終える。まさに「勝者総取り」の世界である。

「マタイ効果」が格差を拡大させている

こういった例を受けて、「優秀なオス、メスだけが多くの子孫を残すことができる一方、まったく子孫を残せない個体もある」という、いわゆるダーウィンの性淘汰理論は、種の保存や進化に不可欠な本質であり、人間もまたその例外ではないと主張する人もいる

しかし、「オットセイがハーレムを作ってメスを独占するのも、一部の富を占有する人間がいるのも、どちらにも生きものの本質、性淘汰理論に基づいて説明可能だ」と言うのは、あまりに短絡的すぎるのではないだろうか

(写真:iStock.com/francescoch)

社会学者の中には、「勝者総取り」をダーウィンの性淘汰説によってではなくて、別の概念で説明しようとしている人もいる。それが、いわゆる「マタイ効果」である。貧困や社会保障の問題に詳しい阿部彩氏の『弱者の居場所がない社会』(講談社現代新書/2011)で、この「マタイ効果」がわかりやすく解説されているので引用させてもらおう。

〈「持っていない人は、持っているものまで取り上げられるであろう」(マタイ福音書13章12節)から名付けられた社会現象のことである。すなわち、「マタイ効果」とは、「格差は自ら増長する傾向があり、最初の小さい格差は、次の格差を生み出し、次第に大きな〈格差〉に変容する性質」を指す。

この「マタイ効果」という現象は、1960年代から1970年代にかけて、アメリカの社会学者ロバート・マートンが「発見」し、その後、さまざまな分野にも適用されている。〉

同書では、この後、科学研究、教育、スポーツ、経済の分野におけるさまざまな「マタイ効果」の実例が示される。たとえば、就学して最初に「勉強ができる」と見なされた児童は、まわりからほめられたり、能力を伸ばすために特別クラスで学ぶ機会が与えられたりして、ますます学力が伸びていく。しかし、その一方、就学時、最初に「できない子」と思われてしまうと……というわけだ。くわしい説明の必要もないだろう。

 

阿部氏は、「重要なのは、『マタイ効果』が社会に内在されているということである」と述べる。つまり、マタイ効果は一時的な反応やアクシデントではなくて、「少なくとも、現代社会では、社会のあらゆるルールや制度や仕組みが、マタイ効果が働くように作られている」のだ。

これを性淘汰説と同じように「生きものの本質」とまで拡大して考えてよいかどうかはわからないが、20世紀から21世紀のいま、社会を理解する上での基本ルールのひとつになっていることは確かだろう。

そう考えると、先の松井博氏がリポートするアップル社、グーグル社などアメリカの巨大企業がどんどん「帝国化」しているのも、まさに「マタイ効果」そのものと考えられ、それじたいは不思議でもなんでもない、ということになる。

関連書籍

香山リカ『弱者はもう救われないのか』

大企業優遇の経済政策、生活保護費など社会保障費の削減、社会全体に浸透する「人の価値は稼ぎで決まる」という価値観……国による「弱者切り捨て」が進み、人々もそれを受け入れつつある日本社会。この流れは、日本だけでなく、グローバリズムに席巻された世界全体の潮流でもある。私たちは人類が苦闘の末に獲得した「自由と公正を柱とする福祉国家」のモデルを、このまま手放してしまうのか? 古今の思想・宗教に弱者救済の根拠を探り、市場経済と多数決を乗り越える新しい倫理を模索する、渾身の論考。

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弱者はもう救われないのか

大企業優遇の経済政策、生活保護など社会保障費の削減、社会全体に浸透する「人の価値は稼ぎで決まる」という価値観……。精神科医の香山リカさんは、そんな社会の潮流に警鐘を鳴らし続けてきた一人です。著書『弱者はもう救われないのか』は、古今の思想・宗教に弱者救済の根拠を探り、市場経済と多数決を乗り越える新しい倫理を模索する、香山さん渾身の論考。次世代をになう子どもたち、孫たちのためにも、自分ごととして向き合いたい本書から一部をご紹介します。

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香山リカ

1960年、札幌市生まれ。東京医科大学卒業。精神科医。立教大学現代心理学部映像身体学科教授。豊富な臨床経験を活かし、現代人の心の問題のほか、政治・社会批評、サブカルチャー批評など幅広いジャンルで活躍する。『ノンママという生き方』(幻冬舎)、『スピリチュアルにハマる人、ハマらない人』『イヌネコにしか心を開けない人たち』『しがみつかない生き方』『世の中の意見が〈私〉と違うとき読む本』『弱者はもう救われないのか』(いずれも幻冬舎新書)など著書多数。

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