1707年に起きた「宝永大噴火」以降、沈黙を続けている富士山。専門家の間では、「いつ噴火してもおかしくない」と言われています。もし本当に噴火したら、首都圏はいったいどうなってしまうのか……。いざというときに備えるためにも読んでおきたいのが、「マグマ学」の権威、巽好幸さんの『富士山大噴火と阿蘇山大爆発』です。緻密なデータを駆使し、噴火と地震のメカニズムを徹底解説した本書から、一部をご紹介します。
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なぜ「先祖返り」が起きたのか
日本で最後に巨大カルデラ噴火の悲劇が起こったのは、今から7300年前、縄文時代に遡る。縄文時代早期の日本列島では、南九州で成熟した縄文文化が発達していたという。本州ではまだ先の尖った尖底土器を使っていたのに、南九州では既に平底型の土器が使われていたのだ。
尖底土器は、屋外で地面に穴をあけてそこに立てるように置いて使われていたものらしい。
一方、平底土器は住居の中での調理や貯蔵にも使うことができた。すなわち、平底土器の出現は、縄文人のライフスタイルが定住型に変化した証拠だと言われている。他にも南九州では耳栓やツボ型土器などのモダンな道具が使われていた。
ところが、この南九州で、ある時を境に「先祖返り」が起きたのである。
それまでの最先端の土器は姿を消し、当時本州で使われていた旧式のものが復活したのだ。この突如として消え去った進んだ文化は「もう一つの縄文文化」とも言われている。
これらの最先端縄文土器は、南九州の遺跡では特徴的なオレンジ色の火山灰層の下にだけ見つかる。この火山灰層は、宮崎ではアカホヤ(「ホヤ」は役に立たないものの意味)、人吉ではイモゴと呼ばれていたものだった。
そして東京都立大学(当時)の町田洋氏と群馬大学の新井房夫氏によって、これらはすべて同じ火山灰であることが証明された。その根拠は、火山灰に含まれる鉱物の種類やガラスの屈折率にあった。火山灰の主要な構成要素である火山ガラスは、高温で融けていたマグマが空気に触れることで急速に冷え固まったものである。マグマの化学組成の違いによってガラスの密度や屈折率が異なるのだ。
同様の火山灰は、九州から遠く離れた中部地方でも発見された。そして東北以南の日本列島に広く分布するこの火山灰層の厚さを調べることで、その噴出源が鬼界カルデラであることが突き止められた。この火山灰は「鬼界アカホヤ火山灰(K-Ah)」と呼ばれるようになった。
「もう一つの縄文文化」の上限を定めるこの火山灰の噴出年代は、考古学でも重要だ。
火山灰で「死の世界」に
都立大学(当時)の福沢仁之氏は、若狭湾に臨む三方五湖の一つである水月湖の湖底堆積物の中に、アカホヤ火山灰が含まれることに注目した。
この堆積物は1ミリメートルスケールの明暗が繰り返す縞状の構造を示す。春から秋にかけて大量に発生するプランクトンの死骸が降り積もると、有機物に富む黒っぽい色の層ができる。
一方、白っぽい層は生物質のものではなく、黄砂を含むので、冬から春にできたことになる。つまり、この明暗の縞の1対が1年に相当するのである。年輪と同じようなものだ。
福沢氏はアカホヤ火山灰の上に積もった堆積物の縞を丹念に数え上げることで、この火山灰が1995年から数えて7325年前に降り積もったことを明らかにしたのだ。
火山灰の噴出年代は放射性炭素の量で決めるのが一般的だが、どうしても誤差やズレが出てくるので、それを補正しなければならない。今では水月湖の年縞とアカホヤ火山灰は、いわば世界の標準時となっている。
さて、この鬼界アカホヤ火山灰は九州南部では30センチメートル以上の厚さがある。
これほどの降灰があると、森林は完全に破壊され、その回復には200年以上の時間が必要だと言われている。
こうなると、縄文人の主要な狩猟ターゲットであったイノシシやシカなど森林動物は姿を消してしまったに違いない。また火山灰が厚く堆積したために、エビやカニなどの底生生物の多くも死滅したであろうし、その連鎖で魚も激減したと思われる。すなわち、鬼界アカホヤ火山灰の降灰によって、南九州の縄文人は食料を調達できなくなったのだ。
富士山大噴火と阿蘇山大爆発
1707年に起きた「宝永大噴火」以降、沈黙を続けている富士山。専門家の間では、「いつ噴火してもおかしくない」と言われています。もし本当に噴火したら、首都圏はいったいどうなってしまうのか……。いざというときに備えるためにも読んでおきたいのが、「マグマ学」の権威、巽好幸さんの『富士山大噴火と阿蘇山大爆発』です。緻密なデータを駆使し、噴火と地震のメカニズムを徹底解説した本書から、一部をご紹介します。