第一話が放送されるや、SNSなどで「面白い!」と
話題沸騰のの連続ドラマ「竜の道 二つの顔の復讐者」。
原作は、無頼派作家として知られる白川道さんの『竜の道』です。
本日(8月4日)21時から放送される第二話も気になるところですが、
原作小説だって「面白さ」という点ではもちろん負けてはいません。
まさに一気読み必至の極上エンターテインメント!
先日のプロローグ試し読みに続きまして、第一章の冒頭をご紹介します。
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1
「すべて映りゆくものは比喩にすぎない」
竜二は真新しいノートの表紙に、題字の文字を丁寧に記した。
一ページ目を開く。
昭和51年9月20日、横書きできょうの日付けを記し、その下に書き出しの一文を一気に書き込んだ。
時よ、とどまれ、おまえはかくもすばらしい。
小声で音読したあと、ふたたびボールペンを走らせる。
尊敬ーーRespect。そうだ、おれは心から尊敬するきみのことをこれからはRと呼ぼう。
ファウストは悪魔メフィストフェレスと時の契約は結ばなかった。ある愉悦の刹那、もしこの言葉を口にしたならそのときには魂を召してもかまわない、との賭けをした。おれとRも、ファウストと同じように、時の期限は要らない。おれとRは、この日二十歳の誕生日を迎えた。誰に祝福されることもなくーー。おれとRは、かくもすばらしい、などという台詞は絶対に口にしない。もしそれを口にしたなら、そのときは弔いの鐘を鳴らせ。あの日、おれとRは三つの約束事を交わした。その約束事を果たすためなら、おれとRのふたりはメフィストに対してこの賭けを挑む。
これまで何度もつぶやきすでに暗記してしまっているここまではスラスラと書けた。
ペンを置き、たばこに火をつけて机から腰を上げた。ソファに横になる。
たばこの煙とテーブルに飾った胡蝶蘭の甘い香りとが肺のなかで絡み合う。
いいか竜二ーー。これからはおまえとおれは太陽と月になる。おまえが太陽で、おれが月だ。おまえは常に世間の脚光を浴びる生き方をしろ。おれは夜の世界に君臨する。暗く、どこまでの深い底なし井戸のような夜。昼の太陽が輝いてこそ、夜はその深みを増す。深みを増した暗さは、やがては漆黒の輝きを帯びるだろう。竜二、金に糸目はつけるな。身の回りは常にきらびやかにしろ。おまえは光り輝いている自分の姿を常に世間に見せつけるんだ。もし部屋を花で飾りたくなったら、そのときは胡蝶蘭だけにしろ。芳しい、あの花の女王の香りは、決して片時もおれの言葉をおまえに忘れさせたりはしないだろう。
南青山六丁目ーー。六本木通りに面した七階建てのマンションにある最上階の3LDK。東大の文科一類に入学を果たしたこの四月、四千五百万の大金を積んで購入し、それまで住んでいた東池袋のちっぽけな下宿を引き払った。資金は、おもいもしなかったあのくそっタレ養父母ふたりが加入していた生命保険の金、九千万を充当した。そして先月には、あろうことか、あの北九州のゴミ捨て場のような土地に隣接する製鉄所が六千万の値をつけてきた。マンションを購入することも、土地を売却することもすべて竜一からの指示だった。
そろそろ竜一から連絡があるころではないか。あるいは誕生日のきょう、電話が入るかもしれない。先月かかってきた電話では、一週間後には今住んでいる神戸から大阪にねぐらを替える、と竜一は言っていた。
くそっタレたちの家を焼き払い、ジョン・ドゥーー倉岡恒一になりすました竜一が最初に腰を落ち着けたのは岡山だった。そこで瞼を二重に整形し、半年後には瀬戸内を超えて高松に移動した。高松では鼻梁を若干削ったらしい。そしてその四ヶ月後、今度はふたたび瀬戸内を渡って神戸に移り住んだ。残すところは、生え際と顎の骨だ。竜二、今ですら驚くぞーー。笑いながらそう言った竜一の言葉からすると、そのふたつの手術が終われば、きっと竜一は見分けがつかないほどに変貌しているにちがいない。
ねぐらを移し替えるごとに竜一の顔が変わってゆく……。何度も相談してあったこととはいえ、いざ電話で竜一からそれを聞かされると、胸は痛んだ。気を使い、竜一がわざと陽気な声を出しているのが回線を通じても伝わってくる。しかしふたりの約束事を実行するためには、これは避けては通れぬ道だった。
竜一は今、別のジョン・ドゥを物色している。
二ヶ月前、竜一は熊本に足を運んだ。慎重の上にも慎重を期すためだ。倉岡恒一の実家や生い立ちについてはやつから話を聞いているだけで、竜一が直接その目で確かめたわけではない。熊本市から豊肥本線に乗って東の奥に入る倉岡の実家は、たしかにやつの話どおりの、ネコの額ほどの田畑を耕す貧乏百姓だったらしい。父親は数年前に死んだ。家は十二歳も年の離れた倉岡の兄が継いでいる。しかしどうやら母親までが病の床についてしまっているらしい。もしその母親に万一のことがあれば、いくら見放された男とはいえ、倉岡の兄が探す惧れがある。母親というのは、末の子供のほう、それもデキが悪ければ悪いほど可愛いらしい。竜一はその危惧を抱えて神戸に戻ってきた。
わずかな油断が命取りになる。すでにこの世には存在しない竜一が、生まれ変わった姿で日の目を見るには、親兄弟などいないのはむろんのこと、親戚縁者の類の誰からも見向きもされない、天涯孤独の殻をまとった男が絶対に必要だった。竜一が生きてゆくには、完璧なるジョン・ドゥの存在が不可欠なのだ。念には念を入れ、今度のねぐらである大阪には、竜一は住民票すらも移さない。
竜一が東京にやって来るのは、そうしたすべての段取りを完了させてからのことになる。今このマンションには、黒木の偽名で、公衆電話を使って月に一度、竜一からの一方通行の連絡が入るだけだった。
たばこの煙を目で追った。
やがてはおれも竜一も、このたばこの煙のようにこの世から消えてゆく。どんな種が宿り、どんな股ぐらから吐き出されたのかもわからない、おれと竜一。そのおれたちふたりにとって、二十歳の誕生日などクソの意味もない。
竜一は、ふたりの才能がこの世のなかでいったいどこまで通用するのか、それをたしかめがらつっ走って消える一生を送ろう、といった。異論はなかった。しかしこのたばこの煙のように、なんの痕跡を残すこともなく、ただ消えてゆくだけの一生ではいかにも虚しい。
大学に入学し、周囲の人間を目にするにつけ、しだいにそのおもいを強くした。せめて痕跡を、これからおれと竜一が歩む道の足跡ぐらいは記しておきたい。誰に教えるというわけではない。やがては消えゆくだろうその瞬間、おれはおれのこの目で、ただその痕跡を確かめてみたいというだけのことなのだ。
きょうのこの日からーー。そう決心するのには勇気も要った。だがいざペンを執ってみると、やはり惧れる気持ちが肚の底からじわりと湧いてきた。
もしこれが露見すれば、おれと竜一の人生はその瞬間に幕を閉じてしまう。命を惜しいなどとはただの一度もおもったことはない。しかし竜一と交わした三つの約束事を果たすことなく消えるのだけは耐えがたい。
竜一と物心ついたころから、互いになにひとつとして秘密を持たなかった。なにもかも相談し合ってふたりして考えてきた。口に入れる物ですらすべてを等分にした。もし日記などという代物をつけていることを知ったなら、きっと竜一はこれまで一度も振るったことのない鉄拳をおれにむけることだろう。
竜一はおれとはちがって常に冷静沈着で、強い精神力すらも備えている。そんな竜一がそばにいてくれたからこそ、あんなくそっタレ養父母のもとでもおれは耐えることができたのだ。しかし、これから先の一生で、おれと竜一が面とむかって顔を合わせることは二度とないだろう。電話から聞こえてくる声だけが、おれと竜一とを結ぶ唯一の繋がりとなる。
この日記は絶対に誰の目にも触れさせない。竜一、約束する……。
ベランダの窓のカーテンの隙間から、夏の日差しが差し込んでいる。
ソファから身を起こし、窓のカーテンを引いた。強烈な太陽の光がどっと流れ込む。
見下ろしたすぐ先に高速3号渋谷線が走っている。そろそろ秋を感じさせる日差しのなか、渋滞に巻き込まれた車が数珠繋ぎとなっている。内一台のアルミボディに日の光を反射させている大型トラックに目がゆく。
視線がボディに釘付けになった。隼が飛翔しているマーク。目が充血してきた。
隼のマークで名高い二階堂急便ーー。広島を出発点にした二階堂急便は、その強引商法で、この十年ほどのあいだで、あっという間に全国制覇を成し遂げ、今や業界でも四~五番手の位置に数えられるほどになった。会長は二階堂源平。一代で二階堂急便をここまでに育て上げた立志伝中の人物だ。その背後には、政財界の大物や裏の組織の姿が見え隠れする。
美佐の父親は北九州市内で小さな運送会社を経営していたが、二階堂急便の子会社、九州二階堂急便に魔の手を伸ばされて会社を騙し取られた。あの街の誰もがおれと竜一に蔑視の目をむけるなか、美佐の両親だけがおれたちふたりを人間として扱ってくれた。しかし会社を乗っ取られた翌年、両親は車に美佐を乗せて、北九州市の東、企救半島の山中にある崖下に飛び込んだ。奇跡的に助かったのは美佐だけだった。五年前、美佐が七歳のときのことだ。両親を瞬時にして失った美佐は今、福岡市郊外の盲学校の寄宿舎に預けられている。事故が因で両目の視力を失ったのだ。
見つめる大型トラックの車体はやがて視線から消えた。
カーテンを引き、ふたたび机にむかった。迷いはなかった。隼のマークが迷いを吹き飛ばしてくれた。
黒いインクで空白を埋めてゆく。
Rよ。くじけそうになるおれを見守ってくれ。Rよ。おれはきょう、ここに誓う。おれはこの三年間、脇目も振らずに勉強する。国家公務員上級試験甲種。運輸省のキャリア。約束事のひとつを実行するのには、まずそれを突破することが一番の近道だとおれは確信する。
ペンを置き、引き出しからカッターナイフを取り出した。刃を小指の先に一直線に走らせる。血が噴き出した。
竜二は鮮血に染まった小指の先を、たった今書き記した末尾「確信する」の文字の上に力一杯押しつけてからノートを閉じた。
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※続きは書籍『竜の道』でお楽しみください。