濁世(じょくせ)には濁世の生き方がある————。コロナ禍で再注目された累計320万部超の大ロングセラー『大河の一滴』(五木寛之、幻冬舎文庫、1999年刊)から試し読みをお届けします。
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私たちは「泣きながら」この世に生まれてきた。私たちは死ぬときは、ただひとりで逝(ゆ)く。恋人や、家族や、親友がいたとしても、一緒に死ぬわけではない。人はささえあって生きるものだが、最後は結局ひとりで死ぬのだ。
どんなに愛と善意に包まれて看(み)とられようとも、死とは自己の責任で向きあわなければならないのである。
だから、親は子に期待してはいけない。子も親に期待すべきではない。人を愛しても、それはお返しを期待することではない。愛も、思いやりも、ボランティアも、一方的にこちらの勝手でやることではないか。そう覚悟したときに、なにかが生まれる。
なにも期待していないときこそ、思いがけず他人から注がれる優しさや、小さな思いやりが〈旱天の慈雨〉として感じられるのだ。そこにおのずとわきあがってくる感情こそ、本当の感謝というものだろう。親切に慣れてしまえば感謝の気持ちも自然と消えていく。だから慣れないことが大切だ。いつもなにも期待しない最初の地点に立ちもどりつつ生きるしかない。
だから夫は妻に期待すべきではない。妻も夫に期待すべきではない。愛情も家庭も、「老・病・死」するものである。自然に持続することを無意識に期待するのは、まちがっている。
国民は国につくすことはしても、国家や政府をあてにすべきではない。銀行や企業や、勤め先の会社に期待しないのは当然のことだ。自分の心や魂のことを寺や教会におあずけするわけにもいかない。生きかたを思想家や哲学者に教えてもらうわけにはいかない。
生徒は教師に期待すべきではない。教師も生徒に期待すべきではない。しかし、もし万一、学校で生徒と教師のあいだに一時的ではあれ連帯感のようなものが成立する瞬間があったとしたら、それはすばらしいことだ。私たちはそのことを奇蹟に出会ったように感動し、感謝すべきである。そして、この世には、まれにそういう瞬間が成立しうるのだ、という記憶を深く心にきざみつけておこう。
記録は消えても記憶は残る。その記憶は、いつかまた私たちが「こころ萎(な)え」たときに、きっと大きな役割を果たしてくれるはずだ。
『大河の一滴』オーディオブックが配信開始!
2020年8⽉28⽇(金)より、『大河の一滴』のオーディオブックがAmazon Audibleにて配信開始となります。
オーディオブックとは、作品をプロのナレーターの方に読み上げてもらい、その音声を聞いて楽しむ「耳からする読書」として、ここ数年世の中へ浸透し始めているサービスです。
電車や車での移動時間、家事や運動中など、通常の読書とは違ったタイミング、体験として、読者のみなさまに楽しんでいただけるオーディオブック。この機会にぜひご体験ください。
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大河の一滴
いまこそ、人生は苦しみと絶望の連続だとあきらめることからはじめよう—―。がんばることに疲れた人々へ静かに語りかける感動の人生論。1998年に大ベストセラーとなり、再び脚光を浴びる注目のエッセイ。