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大河の一滴

2020.09.07 公開 ポスト

第9回

大河の一滴としての自分を見つめて五木寛之

濁世(じょくせ)には濁世の生き方がある————。コロナ禍で再注目された累計320万部超の大ロングセラー『大河の一滴』(五木寛之、幻冬舎文庫、1999年刊)から試し読みをお届けします。

*   *   *

目に見えない超現実の世界を想像することは、すでに宗教の根に無意識に触れていることだ。地獄を空想し、「この世の地獄だ」と感じたりするとき、じつは人はすでに宗教の世界に足を踏み入れているといっていい。

私たち日本人のほとんどは、意外に思われるかもしれないが、常に宗教と背中あわせに生きているものなのである。夕日を見てなんともいえない不思議な気持ちになったり、深い森を不気味に感じて恐れたり、アスファルトの裂け目に芽ぶく雑草に感動したり、その場その場で私たちはおのずと目に見えない世界に触れるのである。

(写真:iStock.com/frankzoid)

それを精霊崇拝(アニミズム)と呼び、なにか土俗的で前近代的な思考として低くみる立場を私はとらない。神と仏とをごっちゃに拝む日本人一般の原始的な習俗を、愚かしい神仏混淆(しんぶつこんこう)(シンクレチズム)として頭から嘲笑(ちょうしょう)することも好きではない。宗教とは教義や組織によって成り立つものではない。人間の自然な感情から出発するものなのである。

英語の女性教師をバタフライ・ナイフで刺殺した中学生は、そのあと泣きつづけ、便所で激しく吐いたという。そこにも目に見えない世界への明らかな接点が存在するのを私は感じる。

いま、人間は少し身を屈する必要があるのではないだろうか。いつまでもルネサンス時代の人間謳歌(おうか)ではやっていけないのではないか。自分をちっぽけな、頼りない存在と考え、もっとつつましく、目を伏せて生きるほうがいいのではないか。

 

本当のプラス思考とは、絶望の底の底で光を見た人間の全身での驚きである。そしてそこへ達するには、マイナス思考の極限まで降りていくことしか出発点はない。私たちはいまたしかに地獄に生きている。しかし私たちは死んで地獄へ堕(お)ちるのではない。人はすべて地獄に生まれてくるのである。鳥は歌い花は咲く夢のパラダイスに、鳴物(なりもの)入りで祝福されて誕生するのではない。

しかし、その地獄のなかで、私たちはときとして思いがけない小さな歓びや、友情や、見知らぬ人の善意や、奇蹟のような愛に出会うことがある。勇気が体にあふれ、希望や夢に世界が輝いてみえるときもある。人として生まれてよかった、と心から感謝するような瞬間さえある。皆とともに笑いころげるときもある。

その一瞬を極楽というのだ。極楽はあの世にあるのでもなく、天国や西方浄土にあるのでもない。この世の地獄のただなかにこそあるのだ。極楽とは地獄というこの世の闇のなかにキラキラと光りながら漂う小さな泡のようなものなのかもしれない。人が死んだのちに往(ゆ)く最後の場所では決してない。

「地獄は一定(いちじょう)」

そう覚悟してしまえば、思いがけない明るい気持ちが生まれてくるときもあるはずだ。それまでのたうちまわって苦しんでいた自分が、滑稽に、子供っぽく思えてくる場合もあるだろう。

私がこれまで自殺を考えるところまで追いつめられながら、なんとかそこから立ち直ることができたのは、この世はもともと無茶苦茶(むちゃくちゃ)で、残酷で、苦しみや悲惨(ひさん)にみちみちているものなのだ、と思い返すことができたからだったと思う。

もうずいぶんむかしのことになるが、私の友人が選挙に出馬して、一度その応援演説にステージに立ったことがあった。そのときのスローガンに「二度と飢(う)えた子供たちの顔は見たくない」というのがあったと記憶している。私はそのポスターを指さして、冗談めかしてこう言った。

「ぼくは、二度と飢えた大人たちの顔は見たくない。それが本音(ほんね)です」

それは言葉のもじりでも、ジョークでもなく、私の少年時代の体験から身についた正直な感覚だった。旧日本帝国の植民地であった朝鮮北部で敗戦を迎え、旧ソ連軍の軍政下で難民としてすごした一時期は、私に消えない記憶をいくつも残した。それらのなかのいくつかは、いまも生きていて消えることがない。

敗戦と引き揚げの極限状態のなかで、子供たちにとって大人はおそろしい存在だった。子供たちに同情して朝鮮人や旧ソ連兵がくれた餅(もち)や、黒パンや、芋(いも)などを、大人たちにいきなり強い力でうばい取られることがしばしばあったからだ。「飢えた大人ほど怖いものはない」と、当時の子供たちは骨身(ほねみ)にしみて思い知ったのである。

そして、密告があり、私刑があり、強姦(ごうかん)があり、幼児たちが売られた。しかし、そんな私たちの体験は、旧ソ連と国境を接していた地方の開拓者たちのそれとくらべれば、ものの数ではない。

あるシベリア帰りの先輩が、私に笑いながらこんなことを話してくれたことがある。

「冬の夜に、さあっと無数のシラミが自分の体に這(は)い寄ってくるのを感じると、思わず心がはずんだものだった。それは隣りに寝ている仲間が冷たくなってきた証拠だからね。シラミは人が死にかけると、体温のあるほうへ一斉に移動するんだ。あすの朝はこの仲間の着ているものをいただけるな、とシラミたちを歓迎するような気持ちになったものだった。あいだに寝ている男が死ぬと、両隣りの仲間にその死人の持ちもの、靴や下着や腹まきや手袋なんかを分けあう権利があったからね」

しかし、後年、私を自殺から救ってくれたのは、「この世は地獄である」という感覚だけではない。そのような悲惨(ひさん)な極限状態のなかでさえも、信じられないことだが、人の善意というものがあり、正直さも、親切も、助けあいも、ときに笑いも、幸福な瞬間も、自由さも、感動もあったというたしかな記憶である。大人のなかにも、約束を守り、自分の食物を分けてくれる人も何人かはいた。そんな相手に出会ったとき、私は仏さまに会ったような気がしたものだ。

極楽は地獄のなかに、たしかにあったのである。

そんな時代のことを、いま私たちはきれいさっぱり忘れて生きている。私自身がそうだ。なんと、ときにはイタリア料理屋で、パンにつけるオリーブ油の質をあれこれあげつらったりすることもあれば、新幹線の暖房がききすぎると文句を言ったりもする。ノミやシラミどころか、抗菌グッズなどという物を買ったりもする。

人は生まれながらにして病気を抱えてこの世に登場する。仏教のほうでは人間はもともと四百四病とともにある、と考えるのだそうだ。癌やHIV(エイズウイルス)も、いずれは克服される日がくるかもしれない。しかし、人は死を治すことはできない。生まれたその日から、日いち日と死という場所へ歩きつづけるのが私たちの人生である。生きるとは、死への日々の歩みにほかならず、私たちはすべて死のキャリアであり、それが発症しないよう止める手段は永遠にない。

出会った人間は、別れる。どんなに愛しあい信頼しあった夫婦でも、いずれどちらかが先立ち、別れなければならない。一緒にむつまじく暮らすことができるのも、その日までのことである。親も子と別れる。子はおおむね親に先立たれる。その逆のこともしばしばあるが、いずれにせよ人は去っていく。

人間とは哀(かな)しいものだと思い、人生は残酷であるのが自然だと考える。それをマイナス思考と恐れることはない。絶望を抱いて生きたからといって、悪い脳内ホルモンが出ては心身をむしばむわけではない。魯迅(ろじん)は「絶望の虚妄(きょもう)なること希望に同じい」と言った。

(写真:iStock.com/M-image)

存在するのは大河であり、私たちはそこをくだっていく一滴の水のようなものだ。ときに跳びはね、ときに歌い、ときに黙々(もくもく)と海へ動いていくのである。親鸞の「自然法爾(じねんほうに)」も夏目漱石(なつめそうせき)の「則天去私(そくてんきょし)」も、たぶんそのような感覚なのだろう。

私たちの生は、大河の流れの一滴にすぎない。しかし無数の他の一滴たちとともに大きな流れをなして、確実に海へとくだっていく。高い嶺(みね)に登ることだけを夢見て、必死で駆けつづけた戦後の半世紀をふり返りながら、いま私たちはゆったりと海へくだり、また空へ還(かえ)っていく人生を思い描くべきときにさしかかっているのではあるまいか。

「人はみな大河の一滴」

ふたたびそこからはじめるしかないと思うのだ。

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関連書籍

五木寛之『大河の一滴』

いまこそ、人生は苦しみと絶望の連続だとあきらめることからはじめよう——。がんばることに疲れた人々へ静かに語りかける感動の人生論。1998年(単行本)に大ベストセラーとなり、再び脚光を浴びる注目のエッセイ。

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五木寛之

1932年、福岡県生まれ。生後まもなく外地にわたり戦後引き揚げ。早稲田大学露文科中退後、作詞家、ルポライター等を経て「さらばモスクワ愚連隊」でデビュー。横浜市在住。ベストセラー多数。歌謡曲から童謡、CMソングまで自身作詞の作品を厳選したミュージックBOX『歌いながら歩いてきた』が大きな話題に。

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