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『十五の夏』文庫化

2020.08.22 公開 ポスト

#1 チューリッヒ(スイス)

現地の若者と知り合えるし節約にもなる。この旅はユースホステルを使うことにした佐藤優

そのままを見る、感じる、記憶する――。
1975年、高校1年の夏にたったひとりでソ連、東欧を歩いた少年・佐藤優のまっすぐな旅の記録『十五の夏』(幻冬舎文庫、上下巻)からの試し読み。

*   *   *

マサル少年のこれまで
カイロ経由でヨーロッパに入り、航空運賃を節約した。日本から手紙を送り、予約しておいたチューリッヒのユースホステルへ。

3階に行ってみた。結構、広い部屋に二段ベッドが3つ並んでいる。6人部屋だが、ベッドの上に置いてある荷物から判断すると3人しかいないようだ。下の段がすべて埋まっているので、ぼくは窓側の上の段をとることにした。大きなベッドなのでスーツケースを足元に置いても十分寝ることができそうだけれども、落ち着かないので、スーツケースは窓の下の壁の横に置くことにした。僕以外の3人は大きなリュックを背負っているようだ。

日本のユースホステルのかいこ棚にはカーテンがついている。カーテンを引けば、中で何をしていても外から様子が見えない。しかし、ここにはカーテンがついていない。これで落ち着いて寝ることができるかと不安になった。

はしごを登ってベッドに乗った。いま受付係から借りたシーツを敷いてみた。袋の中に身体を入れて横になると急に眠くなった。飛行機の中で20時間以上寝たはずだが、疲れがとれていなかったようだ。

ガタッという音がしたので目が覚めた。部屋に金色の顎鬚を生やした青年が入ってきた。時計を見ると午後8時を回っていた。3時間くらい寝てしまったようだ。

青年が何か話しかけてきた。言葉はわからないが、音の響きからするとドイツ語なのだろう。

「ドイツ語はわからない。英語で話してみて」と僕はたどたどしい英語で言った。すると相手も口が尖ったようななまりのある英語で話し始めた。

「起こして済まない。どこから来たのか。香港か」

「違う。日本から来た」

「東京からか」

「だいたいそうだ」

「夕飯は食べたか」

「まだだ」

「お腹が空かないか」

「空いた」

「それじゃ1階のカフェに食べに行こう」

僕はうなずいて、身長が180センチくらいあるこの青年についていった。

ロビー階のカフェはセルフサービス方式になっている。これならば言葉が通じなくても食事をとることができる。僕はこの青年と同じものをとることにした。冷たいチョコレートドリンクとトマトとキュウリのサラダをとった。それに細く切ったジャガイモを炒めて固めた「お好み焼き」のようなものの上に牛肉をサワークリームで煮込んだシチューをかけた料理をとった。そして、最後にパン2枚とバターとマーマレード、コーヒーをとった。

青年は西ドイツの工場で働いている労働者で、夏期休暇を利用して徒歩旅行をしているという。僕が「山登りか」と尋ねると、そうではなく、スイスの街や村を徒歩で見ながら旅行しているということだった。この「お好み焼き」は、ロスティといいスイスの名物料理ということだ。ハーブと胡椒をふりかけてジャガイモを炒めたのであろう。日本では食べたことのない味がした。サワークリームで煮ている肉は腿(もも)の筋なのだろうか、歯ごたえがあった。パンは灰色で、少し臭いがあるし、堅い。おいしくない。バターとマーマレードをつけて食べたが、1枚の半分くらいしか食べることができなかった。青年は、チューリヒからジュネーブまで歩いていき、そこから列車に乗ってドイツに帰ると言っていた。

コーヒーを飲んで話をしていると、数名の男女が集まってきた。青年とドイツ語で話している。西ドイツとオーストリアからやってきた青年労働者で、スイスを観光旅行しているという。僕と同室の青年のような徒歩旅行ではなく、列車やバスを使ってスイス全土を旅行しているという。みんな英語を話す。僕に「これからどこに行くのか」と尋ねるので、「チェコスロバキア、ポーランド、ハンガリー、ユーゴスラビア、ブルガリア、ルーマニアとソ連に行くつもりだ」と答えると、全員が驚いた。

そのうちの1人の青年が、「東ベルリンに日帰りで出かけたことがあるが、あまりよい印象は持たなかった」と言った。

「東ドイツにユースホステルはあるのか」とその青年に僕は尋ねた。

「あるよ。戦前、ユースホステルは東ドイツ地域で発展していた。だから、現在の東ドイツにもユースホステルはたくさんあるよ。ただし、僕たち西ドイツやスイスからの旅行者はユースホステルを使うことができない」

「どうして」

「東ドイツ政府がビザを出さないからさ。東ドイツに観光旅行をするためには、事前にホテルや列車をすべて予約して、カネを払い込まないとならない。アメリカやインドを旅行するよりもカネがかかるよ。だから行きたくても行けないんだ。そのうちカネを貯めて旅行してみたいとは思うけどね」

「東ドイツの観光客が西ドイツに来ることはあるの」

僕と同室の青年が「見たことがない」と答えた。すると別の青年が、「観光客じゃないけれど、60歳を過ぎると親族訪問で東ドイツの親戚が訪ねてくることがあるよ」と答えた。そして、僕に「君は東ドイツに関心があるのか」と尋ねた。

「ある。東ドイツだけでなく、東欧やソ連にも関心がある」

「どうして」

「日本と異なる社会主義体制をとっているからだ」

「君は社会主義者か、共産主義者か」

予期しない質問をされ、僕は当惑した。

「よくわからない。僕は社会主義についても共産主義についても、よく知らない。だから見てみたいと思うんだ」

「僕たちは、ソ連も東ドイツも嫌いだ。自由がないし、生活も苦しい。ただ、一度、旅行してみたいとは思うね。ユーゴスラビアだったら、僕たちもビザ無しで簡単に訪れることができる。僕はまだ行ったことがないけれど、一度、訪れてみたいと思っている」

こんなやりとりをした後、青年たちが日本の生活や文化についていろいろ尋ねてくるので、僕はたどたどしい英語で苦労しながら答えた。

時計を見ると10時を回っていた。同室の青年が「部屋に帰ろう」と言うので、従った。他の2人の同室者はすでに寝ていた。日本のユースホステルはかいこ棚の中に小さな蛍光灯があるので、カーテンを引いて深夜でも本を読むことができる。ここにはカーテンもなければ、小さな蛍光灯もない。天井に大きな蛍光灯が2本ついているだけだ。それが消えると真っ暗である。窓からは星が見える。羽田を出てから、まだ2日しか経っていないのに、飛行機に乗っていたのはもう1~2カ月前のことのように思える。明日、父と母に宛てて絵葉書を書こうと思い、文面を考えているうちに眠ってしまった。

関連書籍

佐藤優『十五の夏 上』

1975年夏。高校合格のご褒美で僕はソ連・東欧を旅した。費用は48万円、3年間の授業料の10倍もかかる。両親には申し訳ないが好奇心を優先した――。カイロ経由でチェコスロバキアからポーランド、ペンフレンドのフィフィ一家が住むハンガリー、ルーマニアを経て、ソ連入国まで。様々な出会いと友情、爽やかな恋の前編。

佐藤優『十五の夏 下』

ソ連国営国際旅行公社の職員と別れ、ホテルに戻った。窓からボリショイ劇場とクレムリンの赤い星がうっすら見える。寝付けずに数学の問題集を解いていたら、朝8時になっていた――。モスクワを歩き、同じソ連でも別世界の中央アジアへ。帰路のバイカル号では不思議な「授業」が待っていた……。少年を「佐藤優」たらしめた全40日間の旅の記録。

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『十五の夏』文庫化

高校一年の夏、僕はたった一人で、ソ連・東欧の旅に出た―—。

1975年の夏休み。少年・佐藤優は、今はなき“東側”で様々な人と出会い、語らい、食べて飲んで考えた。「知の巨人」の原点となる40日間の全記録。15歳のまっすぐな冒険。

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佐藤優

作家・元外務省主任分析官。1960年、東京都生まれ。同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。在ロシア日本国大使館勤務等を経て、国際情報局分析第一課主任分析官として活躍。2002年背任等の容疑で逮捕、起訴され、09年上告棄却で執行猶予確定。13年に執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失う。著書に『国家の罠』(毎日出版文化賞特別賞受賞)、『自壊する帝国』(新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞受賞)、『私のマルクス』『先生と私』などがある。

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