そのままを見る、感じる、記憶する――。
1975年、高校1年の夏にたったひとりでソ連、東欧を歩いた少年・佐藤優のまっすぐな旅の記録『十五の夏』(幻冬舎文庫、上下巻)からの試し読み。
* * *
■マサル少年のこれまで
「チェコスロバキアには住みたいと思わないが、ポーランドだったら引っ越してきてもいい」。楽しかったポーランドに別れを告げ、ペンフレンドのフィフィがいるハンガリーへ入国した。
フィフィは、両親とお姉さんを紹介してくれた。
フィフィの父親が僕に「ドイツ語がわかるか」と尋ねた。
「ナイン(否)」と僕が答えると、お父さんはフィフィに向かってハンガリー語で話しかけた。フィフィがそれを英語に訳す。
「マサルはいったいどこに行っていたんだ。ユーゴスラビアから戻ると、隣のおじさんから、『ホテルにマサルを案内したけれど、どこかに消えてしまった』という話を聞いた。外国人の泊まる市内のホテルに片っ端から電話をしたが、見つからないので、もうハンガリーから出国してしまったのかと思った」
「済みません。ヴェヌス・モーテルに泊まっています」と答えた。
「ヴェヌス・モーテル? 聞いたことがない。どこにあるんだ」とフィフィが尋ねた。
「マルギット島だ」
「あそこに外国人用ホテルがあるのか」
「小さいホテルだけれど居心地がいい。イブス(ハンガリー国営旅行社)本社で紹介してもらった。ミーコによく似た猫がいる」
「それはよかった。でも、マサルはわが家の客人なんだから、ホテルに泊まったらダメだ。世話は全部、僕たちがする。カネは一切、払わせない。それから、バラトン湖に一緒に行こう」
「それはありがたいけれど、今晩までホテル代を支払ってあるので、明日の朝、荷物を持ってここに来る」
「今から荷物を一緒に取りに行こう。とにかく、今晩から一緒に泊まろう」とフィフィは強い口調で言った。強い口調で言われると、反発を感じる。それに夜の支配人にも、お別れのあいさつをしておきたい。僕は、うまい言葉が見つからないので、黙っていた。フィフィのお父さんとお母さんが、ハンガリー語でやりとりをしていた。そして、お父さんがフィフィに何か言った。恐らく「マサルにも都合があるのだから、今日はホテルに泊まってもらえばいいだろう」と言っているのだろう。フィフィは、「イーゲン(はい)」と答えている。
「それじゃ、明日の朝、父と2人で車で迎えに行く」とフィフィは言った。淋しそうな顔をしている。僕は、「気分が変わった。今晩から君の家に泊めてもらうことにする」と言おうと思ったが、やめた。夜の支配人とツェルミーの顔が思い浮かんだからだ。実質4日間の滞在だったけれど、福井先生一家、東ドイツのブラウエル一家やマルガリータと知り合い、国際電話で妹とも話をした。マルギット島とヴェヌス・モーテルには、思い出がたくさん詰まっているので、特別にサンドイッチを作ってくれたシェフ、マルガリータの手紙をロシア語から英語に訳してくれた技師と夜の支配人、その他の細かなことで親切にしてくれたホテルの人たちに、感謝の気持ちを伝えずに去ることはしたくなかった。
翌朝、ドアを強く叩く音で目が覚めた。時計を見ると、8時を少し回ったところだ。ドアを開けるとフィフィとお父さんがいる。
「朝食はわが家でとろう。早く荷物をまとめて」とフィフィが言った。
昨晩のうちに荷物はスーツケースにまとめてある。昨晩は、ホテルのレストランでステーキを食べた。夜の支配人をはじめ、お世話になったホテル関係者ともゆっくり話をした。夜の支配人からは、
「ペンフレンドの家に泊まるのはよいことだ。遠慮しないで、あちこち案内してもらうといい」
と言われた。その後、ツェルミーとも30分くらい遊んだ。数カ月、マルギット島で暮らしたような気がする。
チェックアウトをして、外に出た。モーテルの駐車場に、マッチ箱のような形をしたソ連車が駐まっていた。フィフィのお父さんの車だ。スーツケースをトランクに入れた。小型車なのに、トランクはずいぶん大きい。フィフィは助手席に、僕はバックシートに座った。
「マサルのお父さんは、日本車に乗っているの」とフィフィが尋ねた。
「いや、わが家には車がない。父は運転免許を取っていない」
「日本人はみんな車を持っているんじゃないのか」
「都心ではそうでもない。僕の住んでいる団地でも、半分くらいの家が車を持っている。僕の家からはバスの停留所まで1分もかからない。朝晩は5分ごとにバスが来るので、車がなくても特に困らない。僕としては、車があった方が便利なんだけれども、父が頑固なので運転免許を取ろうとしない」
「僕の父も頑固だ」
フィフィは、僕たちの話をハンガリー語でお父さんに伝えている。お父さんが、笑いながら何か答えている。父子の仲がとても良さそうだ。
道路は空いている。信号待ちもほとんどない。10分くらいで市の中心部に着いた。ヨーゼフ大通り60番から少し離れたところで、お父さんは車を停めた。
「僕たちはここで降りる」とフィフィが僕に声をかけた。
「お父さんは?」
「先に家に戻る。僕たちは、牛乳を買っていこう」
僕はフィフィについて店に入った。焼きたてのパンのいい香りがする。食料品店で、パン、菓子類、野菜、肉などの売り場が分かれている。牛乳の売り場では、厚手のポリエチレンの袋に入った牛乳が山積みにされている。白い牛乳とこげ茶色の牛乳がある。
「このこげ茶色のは、コーヒー牛乳か」
「違う。チョコレート牛乳だ。1リットルのパックなので2つずつ買っていこう。コーヒーは、母さんが上手にいれてくれる」
透明なパックの底にカカオが沈んでいる。
「マサルは、チョコレートが好きか」
「好きだよ」
「それじゃ、チョコレートも買っていこう。ハンガリーのチョコレートはおいしい」
そう言って、フィフィは大きな板チョコを1枚買って僕に渡した。
家に行くと、食堂に通された。天井がかなり高い。3メートル近くある。
「立派な家だね。こんなに天井が高くて」
「19世紀に建った住宅を改装してある。郊外に最近できた団地の方が住みやすいよ。さあ、朝ご飯にしよう。すぐに出かけないとならないので、僕たち2人で先に済ませよう」
「出かけるって、どこに」
「バラトン湖だ。もうすぐ友だちがやってくる」
フィフィが、袋の端をナイフで切って、牛乳をピッチャーに入れた。「どっちを飲む」と尋ねるので、僕は「こっちがいい」とチョコレート牛乳を指した。フィフィは立派なクリスタルのグラスに牛乳を入れてくれた。こくがあっておいしい。小学6年生のとき、沖縄の海辺で飲んだハーシーのアイスココアを思い出した。
フィフィのお母さんが、テーブルにパン、サラミ、ハム、チーズ、ピクルスと黄色や赤のパプリカを並べ、コーヒーをいれてくれる。
「パプリカは好きか」
「日本では、黄色や赤のパプリカは見たことがない。不思議な味だ」
「ハンガリー人はパプリカが大好きだ」
そう言って、フィフィはナイフでパプリカを上手に切り分けてくれた。食器もナイフも年代物だ。スジゲトバリ家が代々引き継いでいる食器かもしれないと僕は思った。
『十五の夏』文庫化の記事をもっと読む
『十五の夏』文庫化
高校一年の夏、僕はたった一人で、ソ連・東欧の旅に出た―—。
1975年の夏休み。少年・佐藤優は、今はなき“東側”で様々な人と出会い、語らい、食べて飲んで考えた。「知の巨人」の原点となる40日間の全記録。15歳のまっすぐな冒険。