一般市民が裁判官とともに刑事事件の審理をする「裁判員制度」。自分には関係ないと思っている人も多いかもしれませんが、一生のうちで裁判員に選ばれる確率は「約65人に1人」。決して他人ごとではありません。伊藤真さんの『なりたくない人のための裁判員入門』は、意外と知らない裁判員制度のしくみや問題点をわかりやすく解説した入門書。いざというとき困らないために、知っておきたい知識が詰まった本書から、一部をご紹介します。
※記載されているデータや制度は書籍刊行時のものです
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この精神的苦痛に耐えられるか
制度の対象を「重大な刑事事件」に限定したことは、裁判員にのしかかる心理的負担をきわめて重いものにしました。
前述したとおり、多くの市民にとって重大な刑事事件はメディアを介して触れるだけのもので、ほとんどの人は些細な「警察沙汰」とさえ無縁な生活を送っています。そんな人々が、重大犯罪の嫌疑をかけられた被告人と直に関わり、死刑判決まで下す可能性がある。これは、憲法で保障された「思想良心の自由」に抵触しかねない問題です。
とくに死刑制度は、その賛否をめぐって大きな議論があります。選ばれた裁判員の中には、死刑そのものを廃止すべきだと考えている人もいるに違いありません。
プロの裁判官の場合は、たとえ個人としては死刑制度に反対だとしても、現にその法律があることを承知の上で職業を選んでいるのですから、個人的な思想よりも職務上の義務を優先し、必要なら死刑判決を下すべきです。しかし一般市民にそれと同じことを求めれば、人によっては多大な精神的苦痛を強いることになるでしょう。
世界では、死刑制度の廃止が時代の趨勢となりました。すでに死刑を廃止あるいは停止(過去10年間死刑を執行していない)国は、138カ国。EU(欧州連合)にいたっては、死刑廃止を加盟の条件にしているほどです。
アメリカは日本や中国と並ぶ数少ない死刑存置国ですが、いくつかの州は死刑廃止に踏み切りました。冤罪事件の多発が問題視されるようになったことで、死刑執行の停止を検討している州もあります。
DNA鑑定などの新しい手法によって冤罪が証明された事例が200件以上も報告され、死刑囚も含めて2カ月に1人ぐらい釈放されているというのですから、死刑執行に慎重になるのも当然でしょう。
もし判決が「冤罪」だったら?
冤罪は、「無実の罪」で処罰された人を深く傷つけるのはもちろん、その判決に関わった人の心にもダメージを与えます。死刑判決が下された後で冤罪が判明した場合、裁判で有罪を宣告してしまった陪審員はひどく苦しむに違いありません。
有罪を言い渡すだけでなく、死刑判決まで自ら宣告する裁判員なら、なおさらです。死刑執行前に冤罪とわかればまだ救いがありますが、もし執行後に真犯人が判明したりすれば、悔やんでも悔やみ切れません。その可能性をゼロにはできない以上、裁判員には常に「被告人の命を奪うほどの的確な判断が自分にできるのか」という不安がつきまといます。
これまで死刑制度の存廃をめぐる議論は、それが憲法の禁止する「残虐な刑罰」に当たるかどうか、国家が人命を奪うことが許されるのかどうか、あるいは死刑が犯罪の抑止力として有効かどうか──といったことが論点になっていました。
いわば「死刑にされる側」の立場からの議論が中心で、「死刑にする側」の立場からの議論はあまり行われていなかったわけです。
そちら側で問題視されていたのは、せいぜい死刑執行の現場で働く刑務官の人権くらいでしょう。ただ、それも職業裁判官と同様、「死刑に関わるのが嫌ならその仕事に就かなければよい」という理屈が成り立ちます。
しかし無作為抽出によって裁判員になる一般市民の場合、そこに自分の意思はまったく関係ありません。にもかかわらず、職業裁判官と同じ「人を死刑にする仕事」を国家から強制されるのですから、人権上の問題があることは明らかです。今後はこちらの観点からも死刑制度の存廃論議が活発化するのではないでしょうか。
なりたくない人のための裁判員入門
一般市民が裁判官とともに刑事事件の審理をする「裁判員制度」。自分には関係ないと思っている人も多いかもしれませんが、一生のうちで裁判員に選ばれる確率は「約65人に1人」。決して他人ごとではありません。伊藤真さんの『なりたくない人のための裁判員入門』は、意外と知らない裁判員制度のしくみや問題点をわかりやすく解説した入門書。いざというとき困らないために、知っておきたい知識が詰まった本書から、一部をご紹介します。