一般市民が裁判官とともに刑事事件の審理をする「裁判員制度」。自分には関係ないと思っている人も多いかもしれませんが、一生のうちで裁判員に選ばれる確率は「約65人に1人」。決して他人ごとではありません。伊藤真さんの『なりたくない人のための裁判員入門』は、意外と知らない裁判員制度のしくみや問題点をわかりやすく解説した入門書。いざというとき困らないために、知っておきたい知識が詰まった本書から、一部をご紹介します。
※記載されているデータや制度は書籍刊行時のものです
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プロの判断が否定されることも
この評議を踏まえて、最終的な裁判所の意思を決定する手続きが「評決」です。評議で納得が得られれば全員一致で評決されますが、議論を尽くしても意見が合わない場合は多数決で結論を出すことになります。
ただし、必ずしも多数意見(9人のうち5人以上の賛成意見)が採択されるとはかぎりません。裁判官のみ、あるいは裁判員のみによる多数では、被告人にとって不利益な決定はできないことになっています。つまり有罪判決を下す場合は、その「多数派」に裁判官と裁判員の両方が含まれていなければダメ。
現実的には、裁判官が3人、裁判員が6人ですから、裁判官のみで多数派を形成することはできませんが、このルールの背景には「裁判官と裁判員が協働して決めるのが制度の趣旨」だという考え方があります。
したがって、裁判員全員が有罪、裁判官全員が無罪を主張した場合、数字の上では6対3で有罪が大きく上回っていますが、これは「裁判員だけで被告人に不利益な決定」をしているので、最終的な結論は無罪。
もちろん、プロの裁判官全員が有罪を主張しても、裁判員全員が無罪意見なら無罪になります。被告人にとって有利な判断の場合は、そこに裁判官の賛成がなくてもかまいません。
こうした評決のルールに、何となく疑問を感じる人もいるでしょう。プロの裁判官が3人揃って有罪だと考えているのに、素人だけの判断で無罪にしていいものだろうか──そんなふうに感じるのは自然な感覚だと思います。
また、たとえば裁判官と裁判員が2人ずつ(計4人)が無罪、裁判官1人と裁判員4人(計5人)が有罪の場合、プロの裁判官は「2対1」で無罪のほうが多くなっていますが、結論は有罪。被告人にしてみれば、専門家の過半数が無罪と言っているのに有罪にされるのは納得がいかないのではないでしょうか。
これは憲法に反していないか?
もちろん、市民参加制度を導入したからには、職業裁判官の判断と逆の結論が出るのも想定の範囲内ではあります。プロの判断が常に優先されるべきだと考えるなら、市民が評決に参加する意味はありません。
しかし、そこに憲法上の問題があるのも事実。というのも、憲法では裁判官に「職権行使の独立」(第76条第3項)が保障されており、これによって、裁判官は誰からもとやかく言われずに自分の良心にしたがって職務を遂行することができます。
当然、国民の多数意思を代表する国会や内閣による干渉も受けません。そうすることで、少数者の人権を保護しようというのが、この条文の趣旨です。
だとすれば、3人の職業裁判官のうち2人が無罪意見なのに有罪となるケースは、この「職権行使の独立」を侵害していると見ることもできるでしょう。裁判員という「国民」の多数意思によって、被告人という少数者の人権が脅かされる可能性があるからです。
裁判官全員が有罪、裁判員全員が無罪の場合は、被告人に有利な無罪判決になるので人権は侵害されませんが、それでもやはり裁判官の「職権行使の独立」の保障に違反している疑いは残ります。
現実には、素人の裁判員がプロの多数意見と逆の評決をするケースがそんなに多くなるとは思えません。裁判官の言いなりにならず、自分の意見を堂々と通せる裁判員が出てくれば、逆に制度そのものが良い方向に進んでいると言うこともできます。
当面は、憲法に抵触する問題を含んでいることを認識しつつ、裁判官と裁判員が真摯な議論を心がける以外にないでしょう。
裁判官は、逆の意見を持つ裁判員にその根拠を訊きながら、お互いが納得のできる評議を行う。裁判員は、難しい法律判断をわからないまま放置せず、理解できるまで説明をしてもらいながら、真剣に自分の意見を主張する。そういう姿勢を各自が持つことで、この制度はより良い形になっていくのではないでしょうか。
なりたくない人のための裁判員入門
一般市民が裁判官とともに刑事事件の審理をする「裁判員制度」。自分には関係ないと思っている人も多いかもしれませんが、一生のうちで裁判員に選ばれる確率は「約65人に1人」。決して他人ごとではありません。伊藤真さんの『なりたくない人のための裁判員入門』は、意外と知らない裁判員制度のしくみや問題点をわかりやすく解説した入門書。いざというとき困らないために、知っておきたい知識が詰まった本書から、一部をご紹介します。