一般市民が裁判官とともに刑事事件の審理をする「裁判員制度」。自分には関係ないと思っている人も多いかもしれませんが、一生のうちで裁判員に選ばれる確率は「約65人に1人」。決して他人ごとではありません。伊藤真さんの『なりたくない人のための裁判員入門』は、意外と知らない裁判員制度のしくみや問題点をわかりやすく解説した入門書。いざというとき困らないために、知っておきたい知識が詰まった本書から、一部をご紹介します。
※記載されているデータや制度は書籍刊行時のものです
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「辞退」は認められるのか?
量刑判断まで市民に強要するのは、憲法が保障する「思想良心の自由」という人権を侵害する可能性があります。
「人を裁きたくない」と思う人にとっては、もちろん有罪か無罪かの事実認定だけでも避けたい仕事でしょう。しかし「裁く」とは判決を下すことですから、それだけなら事の半分でしかありません。量刑判断まで行う裁判員制度は、「裁く」という行為のすべてに市民を巻き込むものなのです。
2008年1月に閣議決定された政令では、「身体上、精神上、または経済上の重大な不利益が生ずると認めるに足りる相当な理由があれば辞退できる」とされました。これは思想信条を理由にした辞退を明確に認めたとは言えません。むしろ、「重大な不利益」という文言を見るかぎり、単に「人を裁きたくない」というだけでは辞退を認めないと読むことができます。
どう運用されるかは始まってみないとわかりませんが、憲法が保障する人権を守ろうとするなら、思想信条による辞退を認めることを明言すべきでしょう。
また、裁判員候補者は別の形で思想信条の自由を脅かされる恐れもあります。正式に裁判員として法廷に立つ前に、国家権力による「選別」を受けるからです。
ここまで、裁判員は有権者の中から「無作為抽出」されると説明してきました。しかし実際は、すべて抽選で決まるわけではありません。
ここで、裁判員選定の流れを簡単にまとめておくと、まずは年に1度、抽選で裁判員候補者となった人々に通知・調査票が送付されます。2008年11月に初めて送付されたのがこれで、この時点ではまだ実際に裁判員になるかどうかはわかりません。
その候補者の中から、特定の事件を担当する裁判員候補(50~100人程度)が抽選で決められ、呼び出し状・質問票が本人に届くのは、裁判の6~8週間前です。
最終的には「作為的」に選ばれる
その質問票を返送して辞退を認められた人以外は、裁判当日の午前中に裁判所へ行かなければなりません。しかし、まだ法廷に立つかどうかはわからない。検察官や弁護人の立ち合いのもとで裁判官と面談し、いろいろな質問を受けます。
それを受けて、候補から除外する人を検察官と弁護人が指名し、最終的には裁判官が6人の裁判員を決める。つまり無作為抽出されるのはあくまでも「裁判員候補者」であって、「裁判員」はプロによって作為的に選ばれるということです。
当日は数十人の候補者が呼び出されますから、競争率が10倍を超えることもあるかもしれません。この「難関」をクリアして選ばれた人はそのまま午後の審理に出席しますが、選ばれなかった人は日当や旅費を受け取って帰ることになります。
裁判官は、候補者が裁判員にふさわしいかどうかを判断するために質問するのですから、そこには当然、思想信条に関わる内容も含まれるでしょう。選ばれたい人ばかりではないとはいえ、国家権力が思想信条で国民を選別するのは「差別」につながる恐れがあります。
それに、除外された理由が何であれ、「裁判に不適当な人物」だという烙印を押され、それが公文書に記録として残るのはあまり気分のいいことではありません。最初からやりたくなかった人はホッとするかもしれませんが、イヤイヤながら時間を割いて出頭したのに「無駄足」になることも含めて、「落選」すれば多少なりとも不愉快さは感じるのではないでしょうか。
いずれにしろ、裁判官の質問という形で国家権力が候補者の「内心」に踏み込んでくることは間違いありません。
心の中で何を考えようが差別されることがないというのは、憲法が保障する人権の中でもきわめて基本的なもの。「抽選で誰もが裁判員になるかもしれない」ということに不安や不満を抱いている人が多いようですが、実は「抽選ではない作為的な選別」のほうこそ、私たちの自由を脅かす危険性があるのです。
なりたくない人のための裁判員入門
一般市民が裁判官とともに刑事事件の審理をする「裁判員制度」。自分には関係ないと思っている人も多いかもしれませんが、一生のうちで裁判員に選ばれる確率は「約65人に1人」。決して他人ごとではありません。伊藤真さんの『なりたくない人のための裁判員入門』は、意外と知らない裁判員制度のしくみや問題点をわかりやすく解説した入門書。いざというとき困らないために、知っておきたい知識が詰まった本書から、一部をご紹介します。