一般市民が裁判官とともに刑事事件の審理をする「裁判員制度」。自分には関係ないと思っている人も多いかもしれませんが、一生のうちで裁判員に選ばれる確率は「約65人に1人」。決して他人ごとではありません。伊藤真さんの『なりたくない人のための裁判員入門』は、意外と知らない裁判員制度のしくみや問題点をわかりやすく解説した入門書。いざというとき困らないために、知っておきたい知識が詰まった本書から、一部をご紹介します。
※記載されているデータや制度は書籍刊行時のものです
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裁判員制度で死刑が減る?
裁判員制度が死刑のハードルを上げる可能性もあります。
一般市民にとって、テレビや新聞の報道を見て「こんな犯人は死刑だ!」と言うのと、法廷で被告人を前にして死刑を宣告するのは、決して同じことではありません。裁判官による死刑判決は支持できても、自分がその決定に加わるのは心理的な負担が重い。そう感じる裁判員が多ければ、死刑判決は減ることになるでしょう。
とはいえ、許し難い罪を犯した人間を社会に戻すのも納得がいかないと感じる裁判員も多いはず。死刑の次に重い刑罰は無期懲役で、これは「期限を決めない懲役」のことですから、永遠に刑務所で暮らすわけではありません。
法律上、無期懲役の判決を受けた受刑囚は、収監から10年経てば、仮釈放が認められることになっています。実際の在所期間は平均で30年を超えていますし、高齢で入所した場合は刑務所で死亡することもありますが、社会に戻る可能性は十分にあるわけです。
そのため、死刑よりは軽く無期懲役よりは重い「終身刑」の導入をめぐる議論が、裁判員制度の導入を前に盛んになってきました。死刑廃止派と存置派の国会議員が手を組んで終身刑の創設を目指す、超党派の集まりもできています。死刑存置派にとっても、死刑と無期懲役のギャップが大きすぎると感じられるのでしょう。
私自身は死刑制度に反対の立場ですから、その廃止へ向かう第一歩として終身刑の導入を検討する余地はあるだろうと思っています。たとえばアメリカのニュージャージー州では、早くから死刑と終身刑が併存していましたが、死刑は長く執行されず、2007年には廃止されました。自由刑の最高が無期懲役である日本では、その決断がしにくいでしょう。
ヨーロッパでは終身刑の廃止も
ただし、死刑廃止論者がすべて終身刑の導入を肯定しているわけではありません。何の希望もないまま死ぬまで刑務所で過ごさなければならない終身刑は、死刑とあまり変わらない「残虐な刑罰」だと考えることもできるからです。
犯罪者を社会から完全に排除するという点では、死刑と同じ発想とも言えるでしょう。すでにヨーロッパでは、死刑廃止は当然で、終身刑も廃止する流れになっています。イギリス、フランス、ドイツには死刑も終身刑もありません。最高刑は無期懲役です。
たしかに、命はあっても行動の自由を完全に奪われる終身刑は、相当な苦痛を与える刑罰に違いありません。考えようによっては、「死刑よりマシ」かどうかも微妙でしょう。死刑存置論者の中には、「日本人にとっては死刑のほうがマシ」だと考える人もいます。
日本には「恥の文化」があり、武士の切腹のように潔く死をもって償うことが支持されてきた、というのがその理由。これも、即座には否定できない考え方ではあります。汚名を着せられたまま生きるよりは死を選ぶという文化が、たしかに日本には昔からあります。死者を鞭打つことはせず、すべてを水に流して忘れるという心情もある。
国にはそれぞれ異なる文化や習慣がありますから、単に「外国がみんな廃止しているから」というだけの理由で日本も廃止すべきだということにはなりません。
いずれにしろ、死刑の存廃や終身刑の導入をめぐる論議は、裁判員制度の下でますます活発になるでしょうし、そうしなければいけないと思います。すでに述べたとおり、人権を強く制限する刑罰の重みについて広く国民が考えるきっかけになることが、裁判員制度がもたらすメリットの1つにほかなりません。
なりたくない人のための裁判員入門
一般市民が裁判官とともに刑事事件の審理をする「裁判員制度」。自分には関係ないと思っている人も多いかもしれませんが、一生のうちで裁判員に選ばれる確率は「約65人に1人」。決して他人ごとではありません。伊藤真さんの『なりたくない人のための裁判員入門』は、意外と知らない裁判員制度のしくみや問題点をわかりやすく解説した入門書。いざというとき困らないために、知っておきたい知識が詰まった本書から、一部をご紹介します。