「人生100年時代」に訪れた、コロナ禍。
私たちはどんな思いで死と向き合えばいいのでしょうか。
禅僧・平井正修著の新刊『老いて、自由になる。 智慧と安らぎを生む「禅」のある生活』に学んでみましょう。
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「いずれ死ぬ」と知っていれば、きちんと生きていける
──「人生一〇〇年時代」になにを信じればいいのか
現代は「超」がつく情報社会です。一日テレビをつけっぱなし。インターネット中毒。どちらも、意識的に遮断しないと、向こうからどんどん入ってくる情報に飲み込まれてしまいます。
もちろん、正しい情報は大切です。たとえば、「新型コロナウイルスはエンベロープという膜に覆われており、石けんで手を洗うと、その膜が壊れてウイルスを退治できる」というのは、私たちが知っておいて損はない情報です。
一方で、「○度のお湯を飲むとウイルスが死ぬ」とか「納豆を食べるといいらしい」といった、どう考えたって眉唾な情報がネットを中心に飛び交いました。
また、「マスクと原料が同じだ」というデマ情報によって、トイレットペーパーがスーパーから姿を消しました。
情報は、ときとして私たちを愚かな行動に走らせます。私たちは、あまり多くのことを知る必要はありません。基本的なことだけわかっていればいいのではないでしょうか。前述した件でも、エンベロープうんぬんは知らなくても、「石けんで手をよく洗うことが大事だ」ということだけ知っていれば充分でしょう。
では、私たちが知っておくべき最も基本的なことはなんでしょう。
それは、「誰もがいずれ死ぬ」ということです。死はどんな偉人にもお金持ちにも必ずやってくるもので、誰一人あらがうことはできません。
これほど確かなことはなく、だからこそ私たちは、生きている今日という一日の大切さがわかるのです。「いずれ死ぬ」ということさえ知っていれば、きちんと生きていけると言っても過言ではないでしょう。
ところが、情報化時代には、「もっと考えなければならないことがあるよ」と外野から絶えずせっつかれます。あたかも、その情報について無知でいると、大変なことになるかのようです。
最近では、「人生一〇〇年時代」がまさにそれにあたります。
「あなたは一〇〇歳まで生きなければならない」
「そのためのお金を用意しなければならない」
「一〇〇歳までボケずにいなければならない」
あちこちで「専門家」を名乗る人たちが脅していましたね。もしかしたら、あなたも慌ててしまった一人かもしれません。
でも、これ、いったいどこまで本当なのでしょう。今回のコロナ禍で、すでに怪しくなっていると私は思うのですが。
もちろん、一〇〇歳まで生きる人もたくさんいるでしょう。一方で、一〇〇歳までの準備に追われながら七〇歳前に亡くなる人もたくさんいるはずです。
自分がどうなるかなど、誰にもわかりません。そんな不確実なことを拠り所に人生を送るのはやめましょう。
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老いて、自由になる。
長生きも不安、死も不安――。
しかし、「散る」を知り、心は豊かになります。
残りの人生を笑顔で過ごすために、お釈迦様の“最期のお経《遺教経》"から学びましょう。
・持ちすぎない――「小欲(しょうよく)」
・満足は、モノや地位でなく、自分の「内」に持つ――「知(ち)足(そく)」
・自分の心と距離を取り、自分を客観的に眺める――「遠離(おんり)」
・頑張りすぎず、地道に続ける――「精進(しょうじん)」
・純真さ、素直さを忘れない――「不忘(ふもう)念(ねん)」
・世の中には思いもよらないことが起こると知る――「禅定(ぜんじょう)」
・目の前のものをよく観察し、自分の頭で考える――「智慧(ちえ)」
・しゃべりすぎない――「不戯論(ふけろん)」
「心を調える」学びは、一生、必要です。