華やかな学歴・職歴、野心をもった女として生きるときの、世の中の面倒くささとぶつかる疑問を楽しく描いた『高学歴エリート女はダメですか』(山口真由著)は、女性だけでなく、男性読者からも共感を得ながら、絶賛発売中。そんな本書から試し読みをお届けします。この本のもとになった幻冬舎plus連載「ハイスペック女子の溜め息」も、引き続きご支援、ご声援のほど、どうぞよろしくお願いします。
まえがき
「将来の夢はお嫁さん」
保育園の七夕祭りの短冊にそう願い事を書いたのは、あきなちゃんというかわいい女の子だった。
「将来の夢はウシ」
これは私の短冊。食べるのが大好きだったから。食べ終わるのが残念でたまらなかったから。食べ終わったものを、胃から戻して、もう一度、咀嚼できるという牛さんは「なりたい職業」No.1だった。
「お嫁さんなんて、野球選手とかアイドルとかと並べて『夢』っていうほどのこと? 普通すぎるじゃん」。当時の私は、確かに思った。小学校に入る前から私には「野心」があった。それは女としての野心ではなくて、人間としての野心だったのだ。私は、人生に対してとことん欲張って生きると決めていた。その野心の向かう先がウシさんですかと問われれば、なんとも答えようがないのだけれど、とにかく、食べることに貪欲な子どもであったことは間違いない。
その野心の結果はどうだろう? あきなちゃんは、きっと誰かのお嫁さんになっていると思う。子どももいるだろうって気がする。一方の私は、もちろん、ウシにはなれなかった。人間のままである。お嫁さんにもなれていない。37歳、独身のままでもある。普通のことと軽んじた「お嫁さんになる」ことを、普通にこなせていない。そんな今の私を見て、「ウシさんになる」という野望を抱いた当時の私は、なにを思うのだろう。
高学歴エリート女たちはキャリアに対して猪突猛進する。私の場合、20代は仕事だけでいっぱいいっぱいだった。30代で留学したら勉強でいっぱいいっぱいになった。常に、自分のキャパシティを超えるなにかに挑むために背伸びし続けてきた。時間にも自分にも余裕がなくて、相手に優しくすることもできなかった。
が同時に、高学歴エリート女たちは、ときとして恋に夢見る乙女でもある。理性的で合理的な仮面をかぶっているが、その実、恋愛に対しては現実離れした妄想を抱いていたりもする。それぞれが「運命の人」を定められて生まれてきたのだろうなんて思ってみちゃったりして、ね。何度失恋を重ねても、次の恋では「運命の人」に出会うと信じたりもする。
だが、偏差値の高い女の恋愛偏差値は、多くの場合、決して高くない。焦らしでも、転がしでもなく、私の場合には「神頼み」の一択。恋に落ちたとたんに、教養に富んだシニカルなウィットはなりをひそめ、私は超受身の超弱気の超退屈な女に変身する。ひたすらに相手からの連絡を待ち焦がれながらも、自分からは決して誘わない。断られるのが怖すぎるから。メッセージからハートマークを削る。「偏差値高いくせにメッセージがアホっぽい」とか思われるのは、死ぬほど恥ずかしいから。積極的な行動といえば、「どうか彼が振り向いてくれますように」と恋愛成就で知られる神社に祈願するくらい。今のところご利益はない。
そして、稚拙な恋愛テクに比して、仕事の能力はそれなりに高い。だから「時間がない」という相手に、「オンライン会議システムでも使って会う?」と持ち掛けてみたりする。12枚の長い手紙を書いて、最後に「あ~、こんな長い手紙迷惑だろうなぁ」と思いつつ、「ページ番号を振って読みやすくしよう」みたいな発想に至る。
常にがんばっているのである。常に闘っているのである。だが、その方向が真逆だったりする。というわけで、高学歴エリート女であった私は、結局、仕事に生きるキャリアウーマンとしての姿勢を維持しつつも、恋に生きるオンナへの憧れを消しきれず、中途半端な状態で、常に悶々としている。
小学校に入る前から、女の立ち位置というのは相当程度決まっているような気がする。「将来の夢はお嫁さん」と書くか、「将来の夢はウシ」と書くか、ここが女の分かれ道。いや、ウシは極端な例だけど。
女というのはグラデーションなのである。端っこは中性的、反対の端っこはとことんオンナ。生まれつき、または、人生のかなり早い時期に端っこにポジショニングできる人たちがいる。これは決して美醜の問題ではない、念のため。年齢も関係ない。いくつになっても、オンナはオンナである。逆に、あなたがどれほど美人でも、それだけでオンナ側とは限らない。
「『男』と『女』の二つしかないみたいな書き方いいのかな? 今って、もっといっぱいいろいろな性自認があるんじゃなかったっけ?」みたいなことを、ちらっとでも考えてしまったあなた。すごく聡明だと思います。でも、そういうことを考えてしまう人は、オンナ向きではないかもしれません。
そう、高学歴エリート女の多くは、このポジショニングがへたっぴぃである。
「男か女かわからないよね」とかいわれるのはやだよね? 床屋で髪は切らないよね? ばりばり働いてたら髭はえてきた気がするとか、ちょっとそこまではできないかなーと思っている。だからって、バレンタインデーのたびにチョコを買いまくって社内をまわるとか、飲み会でのボディタッチとか、いい年しての語尾上げとかつけまとか、ああいうのもイタイよね? とも思っている。
そうやって、女のグラデーションの間をこっちの極にもあっちの極にも振り切ることができないまま、振り子のように行ったり来たりすることになる。
よくよく物事を考える私たちは、できるだけ客観的であろうとする私たちは、恥という概念を知る私たちは、しかし、世の中の複雑さを受け止めてしまうがために、どちらかというと割を食う。単純に、オンナとしての人生を謳歌することができない。そう考えると、振り切れた人たちが、ややうらやましい。だけど、実際、そうなりたいわけでもない。ねぇ、ひたすらモヤモヤしませんか?
この本は、あなたのそのモヤモヤを解決はしません。ウソの約束はしないことにしてるの。だけど、それでもそんなあなたに向けた本です。こうなったら、とことんモヤモヤしてみませんか?
考えても仕方ないことを考えているのかもしれない。でもね、世の中は決して単純ではないと気づく繊細な知性と、その複雑さを理解したいと願う共感の翼──それ自体が私たちの価値ではないかと思うのです。
高学歴エリート女はダメですか
華麗なる学歴はもとより、恋も仕事も全力投球、成功への道を着々と歩んできた山口真由氏。ある日ふと、未婚で37歳、普通の生活もまともにできていないかもしれない自己肯定感の低い自分に気づく――。このままでいいのか? どこまで走り続ければ私は幸せになれるのか? の疑問を抱え、自身と周囲のハイスペック女子の“あるある”や、注目の芸能ニュースもとりあげつつ、女の幸せを考えるエッセイ集。