発売後早くも話題沸騰ミステリ『同姓同名』。書評をご紹介いたします。
下村敦史の最高傑作は、2020年最高の社会派ミステリー
吉田大助(ライター)
警察は、大山正紀さんを死なせたとして、出頭した大山正紀容疑者を傷害致死の容疑で逮捕し、事情聴取をしています(本文冒頭ページに掲載されたニュースより)
下村敦史の小説を読んで、筒井康隆を想起したのは初めてだった。日本語の言語実験として極めてユニークであり、ブラックユーモアも効いていて、この世に存在するけれども知られていなかったシリアスな感情・社会問題を言語化したという意味では、文学だと感じたからだ。それだけじゃない。もちろん! 著者が江戸川乱歩賞受賞のデビュー作『闇に香る嘘』以来書き継いできた、本格ミステリーでもある。小説の題名は、『同姓同名』。主要登場人物10人以上の名前は、同姓同名の「大山正紀」だ。
2013年某日、東京都某所にある公園の公衆トイレで、6歳の津田愛美ちゃんの遺体が発見される。遺体は28箇所もナイフでめった刺しにされ、首の皮一枚で繋がっている惨状だった。逮捕された犯人は高校1年生、16歳の少年。暴走した週刊誌が記事で暴露した少年Aの名前は、大山正紀だった。
その記事内容がネット上で拡散した瞬間が、物語序盤の爆発点だ。プロサッカー選手を夢見る大山正紀、ロリコンの気質がある大山正紀、コンビニバイトの大山正紀……。日本各地に存在する同姓同名の人々が、ツイッターのトレンドワード1位となった自分の名前を目にすることになった。そして、自分で決めたわけではない名前という記号がもたらす、薄気味悪い感情の数々を味わうこととなる。ある大山正紀は、自分の名前に「汚点」が付いてしまったと絶望を抱く。自分の名前が「猟奇殺人犯に盗られてしまった」と。〈名前というものは、早い者勝ちの争奪戦なのだ。/悪名だろうと何だろうと、先に有名になった者がその名前を我が物にできるのだ〉。こうしたロジックの数々が、いちいち斬新で知的好奇心に溢れている。一見するとあり得ない——けれど突き詰めて考えてみればあり得るに変わる、奇妙な「同姓同名」の状況設定を考案したからこそ、それらが表現可能となった。
物語が大きく動き出すのは、愛美ちゃん殺害事件発生から7年後、少年A——大山正紀が刑期を終えて社会復帰してからだ。再び世間では大山正紀への注目が集まり、またしても人生を狂わされると恐れ憤った大山正紀たちが、ネットで繋がりを得て顔を合わせ、作戦を練る。このあたりの展開は、10年ほど前にバズった、同姓同名で大規模オフ会を開く「田中宏和運動」(ググってみてください)を彷彿させる。ただし、あちらは偶然の一致を喜ぶポジティブな同盟だったが、こちらは「被害者の会」を看板に掲げる同盟だ。そして本作において、状況設定を変えて繰り返し何度も描かれているように、暴走する被害者意識はたやすく加害に変わる。正義とは自分が正しいと思っていることに過ぎないのではないか、という自己懐疑の回路を持たない正義感は、たやすく悪に乗っ取られる。普通ではあり得ないような態勢から、ミステリーの回路が本格稼働し始める。
正直、語るべき魅力があり過ぎて困る。ミステリーファンとしては、終盤のどんでん返しの連鎖に惚れ惚れする。冒頭では筒井康隆の名前を出したが、東京03のコントのネタにもなりそうなシチュエーションコメディーの要素も好きだ(ある大山正紀の「急にそんな話をされても——」の一言は、不覚にも吹き出した)。十数名もの大山正紀が登場するにもかかわらず、小説をストレスなく読みこなせる、その裏にある文章技術も物凄い。とはいえ個人的には、「同姓同名」という視点から切り出される社会批評と文学性に、痺れに痺れた。コロナ禍にあるこの国の2020年現在の空気を、言葉で成分分析しようとする作家の意欲にも。となるとやはり、かつてデビュー作に冠されたジャンル名に、一言付け加えて推すのが一番ふさわしいのかもしれない。
本作は、2020年最高の社会派ミステリーだ。