発売後興奮の声続々。本日も書評をご紹介します。
本書を読まずして「驚愕」というなかれ。際どく練り上げられたアイディアは至福の読書体験
内田剛(ブックジャーナリスト)
名前は知恵の証だ。この世の森羅万象は名前を付けられることによって初めて意味をなす。不可思議な現象も名前さえあれば説明の対象となり、名付けられたものたちは言霊とともに人間の営みにも影響を与える。人類の歴史は自分の目に見えるもの、感じとり得る何かに名前を付け、それを伝えることによって成り立っているのかもしれない。とりわけ人の名前は特別だ。人間関係の繋がりの根幹をなし極めて重要な意味合いをもつ。
匿名の「誰か」の集合体は、記号の羅列でしかなく物語を失ってしまう。名前があるからこそ歴史が刻まれ社会が動き日常の時間が動き出すのだ。だからこそ名前によって好転する人生もあれば、狂わされる運命もある。名付け親の愛が込められた名前は、その愛が熱烈なほど大きな十字架にもなる。人の数だけ名前がある。それぞれ込められた深い意味がある。これから歩んでいく人生の約束事、宿命とも呼ぶべきメッセージが刻まれた印でもある。
名前の不思議。自分と同じ名前の人間に対して、特別な感情を抱いてしまうのは誰しも同じであろう。ましてや情報に満ち溢れた現代社会である。端末を操作すれば即座に情報が手に入る。自分の名前を検索ワードにすることも日常の風景だ。この文章を書いている僕自身は名字も名前も共に平凡であるので、当然のように数多の同姓同名の「自分」に出会う。気にするなという方が無理であろう。ネットサーフィンしながら可能な限り個人情報を追いかけてしまうのだ。大学教授、企業の社長、研究者、飲食店店長、バイクレーサー、サッカー選手……様々な境遇の同姓同名の「自分」に対して思いを馳せ、活躍ぶりには心の中でエールを送る。時には自分よりも年若い会社員の訃報にも接し、まさに他人事とは思えない運命を感じ切なくもなる。見つけた同姓同名の数だけ、あったかもしれない現在とこれから向かうべき未来を想像してしまう。画数によって占われた姓名判断では分かり得ない運命のいたずら。ちっぽけな人間たちの存在を遥か天上から嘲笑いながら見下ろす巨大な魔物の存在を意識してしまうのだ。
これほど異様な引力をもつ「同姓同名」。本書はそんな様々な思惑を持って付けられた人間の名前をテーマにしたストーリー。読む前から数奇なドラマが繰り広げられることが目に浮かび、この題材に目をつけた下村敦史という作家の感性に心を奪われてしまう。まさしく著者の決意と覚悟が伝わる一冊だ。光と影が目まぐるしく反転する展開に、緻密に構築された仕込みの数々。本書を読まずして「驚愕」というなかれ。際どく練り上げられたアイディアは至福の読書体験に結実し、エンターテインメントでここまでできるのかというほど唸らされる作品自体にも恐るべき魔力が宿っている。
物語は「大山正紀(おおやままさのり)」という名前の同姓同名たちが激しく交錯するストーリー。10名以上の「大山正紀」が登場するから瞬きも惜しんでページをめくるべきだ。第一章ではプロサッカー選手を目指す高校生が夢と希望を追いかけるシーンが描かれている。眩しい光を浴びせながらも物語に大きな影を落とすのは、女児惨殺事件の犯人もまた「大山正紀」だったという事実だ。さらにこの小説に厚みを与えているのが犯人が16歳で、少年法で伏せられていた実名が報道によって暴露された点。犯罪だけではく少年犯罪の裁き、被害者と加害者に対する事件報道のあり方など様々な社会的問題をも内包している。殺人犯と同姓同名ということで断たれる夢。変えられてしまった人生。7年という月日が経過して刑期を終えた「大山正紀」が社会復帰し風評被害によって迷惑を被った「大山正紀」たちが「同姓同名被害者の会」を結成して真実を追究する。蔓延するフェイクニュース、容赦ない個人攻撃の嵐。心ない言葉は鋭い刃となって弱き者たちの心を踏みにじる。匿名の私怨は暴走して復讐の炎を燃やし、「大山正紀」が「大山正紀」を殺すという取り返しのつかない事件を引き起こす。ネットは世界を繋がりやすくした反面、負の連鎖をも助長する。利便性を最優先にしたSNSの功罪の象徴がここにある。『同姓同名』は単に小説世界にはとどまらず、理不尽で歪な現実社会と地続きであることを切実に感じさせてくれる。まさしくこの世に必要な物語と言えよう。
著者の下村敦史は、江戸川乱歩賞を受賞した『闇に香る嘘』でデビューして6年。なんと本書が単行本新刊の17作目だからまずは執筆量に驚かされる。その筆の漲りは中堅作家の中でも頭抜けた存在であることは疑う余地もないが、作品数だけでなく引き出しの多さに驚かされる。本格ミステリもあれば世界を股にかけたサスペンスもある。山岳ものもあれば医療をテーマにした社会派作品もある。血腥いストーリーもあれば爽やかな物語もある。本当に規格外の振れ幅だ。もはや「下村敦史」というジャンルがあっていい。あえて共通点を探れば一瞬で物語を反転させる展開の鮮やかさとまったく飽きさせないリーダビリティの高さだろう。あまりにも立て続けに渾身作が刊行されるから「下村敦史」と同姓同名の作家が複数いるのではないかと本気で思ったほどだ。どんなにこの世が深い闇に包まれようが下村敦史の未来は光に満ちている。常に前作を凌駕するサプライズ。いま最も信頼をおくべき作家・下村敦史が企んだ『同姓同名』は、最優先で読まれるべき作品だ!