華やかな学歴・職歴、野心をもった女として生きるときの、世の中の面倒くささとぶつかる疑問を楽しく描いた『高学歴エリート女はダメですか』(山口真由著)は、女性だけでなく、男性読者からも共感を得ながら、絶賛発売中。本書から試し読みをお届けします。
私ってそんなに「高飛車」な女ですか!?
私は正直、心の底から傷ついている。もやもやして仕方がないので、とりあえず書いておこうと思う。
先日、ある会合で同年代の女性にお会いした。初対面の私に彼女は「あなたにぜひ紹介したい〇〇さんという男性がいる」という。後日、「〇〇さんのことでお話ししたいことがある」と呼びだされる。
「ぜひにと推したんだけど、〇〇さんから『会ったことはないが、その人は知っている。あんな高飛車で心が醜い女と会う気はしない』といわれてしまったの」とのこと。「『実際会ったらイメージとは違うからぜひ!』と勧めたんだけど、それでもどうしても嫌だって」。
私は、その話を聞きながらとても傷ついていた。「仕方がない」と思う。「東大首席」と冠した本を出して世間に顔を向けてきたのだから、それに伴う負の側面も甘んじて引き受けるべきだ。だから、責めるつもりはないけれど、傷つくのは私の自由だろう。
話をなるべく聞き流すようにしながら、早く一人になりたいと思った。一人でゆっくりと悲しみを噛み締めて、早く涙と一緒に流してしまいたい。
後日、彼女から再びメールが来た。
「〇〇さんの職場の人たちもあなたの悪口をいっているようなお話でした」
私は、ようやく閉じかけた傷口に再び塩を塗られるような、そんな気持ちがした。
同時に共感力の欠如というのは、恐ろしいと思う。紹介者にはまったく悪気がないのだろう。自分の言葉で相手が傷つくことを想像だにしない。そういう他人の感情を遮断する力は、現実社会を生き抜くための重要な能力ではある。私はどうも傷つかないと思われやすく、ネガティブな評価を面と向かって伝えられることが、比較的多い。そのたびに、私はいちいち動揺するのだ。
よしわかった。心が弱ったときの名言検索をしよう。
「私は強くて、野心家で、自分が欲しいものがはっきりわかってる。それで、私がビッチだっていうなら、ええそれでけっこう」
ひっ、むーりー。絶対無理! こんなメンタルにはなれそうにない。やっぱり、「セックスシンボルって呼ばれるのは当然よ。だって、私、セクシーだもの」っていっちゃう人は違うわ。マドンナは名言として崇めるにも大物すぎた。逆に凹んできた。
仕方がないから「傷つけるほうになるよりは、傷つけられるほうが、どれくらいましだろう」と思うことにする。
こういうことにいちいち傷つかない人になっていくことと、強い人間になるってことは、本質的に違うと私は思うから。自分の感情に対するセンシティビティを失っていくことは、他人への共感力も薄れさせるだろう。他人を傷つけないだけの配慮を保つためには、自分が傷つくのはやむなしってこと。
ちょっとぶりっ子しちゃった(笑)。やっぱり「心が醜い」とかいわれて根に持ってるみたい。だから、ここに来てのいい人アピール。このくらいいいでしょ?
っていうか、なんでもスルーできる人って、人間としての器が大きいと思うんだよね。細かいことにいちいち動揺するタイプは、泰然たいぜん自若じじやくになれない。私なんか、本当は毎朝、櫻井よしこさんとか思い浮かべながら「毅然としたスルー力」って、自分にいい聞かせてるけど、全然、器が広がらないの。だから、「傷つけるよりは傷つくほうがまし」云々は、ただの負け惜しみ!
ところで、こうやって面と向かって傷つけられることが、私の場合、意外と多い。
これってデート? いいえ、新党結成のお誘いです
金融機関で働く友人とごはんに行った。やけに照明の薄暗いムーディなレストランで、「なにこれ、デート?」って思ってたら、デザートのときに「新党を作りたいんだけど、一緒にがんばらない?」っていわれたからね。
うん、これは共感力の欠如とは関係ないけどね。ただ、金融機関で働く男なんてろくなもんじゃないと思ったわけ。うん、極めて限られたサンプルだけどね。先週は嫌なことばっかりだったから、もう公平でいることは放棄! もういい! みんな嫌い!
そんなこんなを、つらつらと女友達に話すと、「あえて嫌なこといってくるのって、単なる共感力の欠如だけじゃなくて、悪意がある場合があるんじゃない」といわれた。
そうか。あえて私を傷つけようとしていた可能性もあるのか。で、なんのため? と聞くと、彼女は「私たちの劣等感を刺激して、優越感を保つため」という。
考えてみると、私は同年代の男性からは遠ざけられるか、かわいそう扱いされるかどっちか。もしかしてハイスペ女子の存在は、誰かの心に静かに眠っていたコンプレックスと弑逆しいぎやく心しんに火を点ける起爆剤になるのかも。ハイスペ女子が劣等感を刺激し、そんな女を叩いて優越感に浸るという。そんなの物語の中の仮想だと思ってたけど、現実的な仮説にも思えてくる。で、男からも女からもマウンティングされ続けるハイスペ女子は、サンドバッグ状態……。
弁護士になりたての私が超音波のように高い声で話していた理由
被害者ぶって書き進めてしまったが、叩かれる原因に心当たりがないわけではない。
財務省を辞めて弁護士になった当時の私は、けっこうヤバいヤツだったと自覚している。10㎝を優に超えるヒールを履いて、派手なマニキュアをした爪を長く伸ばし、超音波のように高い声で話していた。高いヒールを履いたのは「誰にも見下ろされたくなかったから」。じゃあ、爪と声はどういうつもりだったのだろう。
先日、社会人先輩の真紀子さんにごはんをごちそうになった。真紀子さんは、手入れの行き届いた艶やかな長い髪を緩やかに巻いた大変な美人だが、手元を見ると爪は短く切り込んである。
「新人のときに、ボスに『爪だけは伸ばすな』っていわれたの。『女として扱って』って社内で主張することだからと」
そっか、新人の私が爪を長く伸ばしていたのは女として扱ってほしかったからなのか。さらに、高い声で話すのはかわいい女の子に憧れる気持ちがあったからかも。
仕事では負けたくないけど、重いものは持ってほしい。議論には一丁前に加えてほしいけど、飲み会では女の子扱いしてほしい。ハイスペ女子は、矛盾する欲求を社会に突きつけている。見下されたくないと同時に、女でありたくて、かつ、かわいくありたいなんて、まったく違う方向を同時に目指して、ジグザグに飛行を続ける私は、「未確認飛行物体」さながらだったのだろう。
ハイスペ女子によって想起される劣等感と、そいつらを叩くことによる優越感なんて大それたものではなくて、ブンブン飛びまわる、このワガママ女、うるさいな、ちょっと叩き落としてやろうくらいの気持ちだったのかな?
私は今でも高いヒールを履き、長い爪を研ぎ澄ましている。矛盾した欲求をいまだに整理できていない。もしかして、ただかまってほしいだけなのかもしれないとも思う。
ほら、マザー・テレサは「愛の反対は憎しみではなく、無関心」っていってたでしょ?(←「テレサ様御格言」ってことになっているが、実は、エリ・ヴィーゼルというノーベル平和賞作家の言葉みたい。どっちもノーベル平和賞受賞者だし、誤差範囲かな?)
叩かれても、憎まれても、無視されるよりはましだと、そうやってハイスペ女子は「物言うマイノリティ」になっていくのではないか。
私はマドンナにも、マザー・テレサにもなれないし、新人弁護士だったころは、かまってほしいだけのイタい人だったし、そして今でも基本的にはそのころと変わっていないのではないかと考えるとぞっとするけれど、それでもいまだ定まらぬゴールに向かって、自分が真っすぐだと思う道を今日も進んでいくのだと思う。それが他人から見ると、未確認飛行物体さながらのジグザグ迷走でもね。
高学歴エリート女はダメですか
華麗なる学歴はもとより、恋も仕事も全力投球、成功への道を着々と歩んできた山口真由氏。ある日ふと、未婚で37歳、普通の生活もまともにできていないかもしれない自己肯定感の低い自分に気づく――。このままでいいのか? どこまで走り続ければ私は幸せになれるのか? の疑問を抱え、自身と周囲のハイスペック女子の“あるある”や、注目の芸能ニュースもとりあげつつ、女の幸せを考えるエッセイ集。