登場人物全員、同姓同名。そんな大胆不敵なノンストップミステリに挑戦された下村敦史さんに、ご自身でも”勝負作”と明言される最新刊『同姓同名』の執筆秘話や、奇想天外なアイデアの作り方など、お話を伺いました。
帯に入れたら面白いアイデア
Q まず初めに。とにもかくにも、”登場人物全員、同姓同名”というとんでもないアイデアを思いついたいきさつを教えてください。
某社の担当編集者と次回作の話をしているとき、「下村さん、次の作品は帯の売り文句から考えるのはどうですか? たとえば”日本国民全員が容疑者”とか。魅力的な売り文句を考えてから、内容を考えるんです」と言われ、面白そうだと思ったんです。そのときに僕がいくつか考えた帯の文句の中に、”登場人物全員、同姓同名”というアイデアがありました。内容は度外視で、とにかく面白そうな売り文句を考えたんです。
結局、そのときは一発ネタの気配が強く、”同姓同名”の話が進むことはありませんでした。
後々、幻冬舎の担当編集者と次回の連載の打ち合わせをしていて、次は勝負作にしたいですね、という話をしている中、僕はふと思い出し、「そういえば、こんなアイデアを考えたんですよ」と”同姓同名”のネタを口にしたんです。すると、彼女が「なるほど、たしかに人には同姓同名の人間に対する潜在的な恐怖のようなものがありますよね」と言ったんです。それを聞いたとき、僕ははっとしました。”同姓同名”は単なるミステリーの一発ネタではなく、名前というものを巡る、深いテーマを内包したアイデアだったんだ、と。
そこから物語の展開が一気に動きはじめました。
Q 大胆不敵なアイデアだからこそ非常に着地が困難な作品だったと思うのですが、書きながら一番気をつけていたことは何でしょうか。また一番のハードルになったことは?
気をつけていたのは、やっぱり表現の一字一句でしょうか。全員が大山正紀なので、書き分けを含め、その一字で人物をどう表現し、読者にどうイメージしてもらいたいのか、常に不特定多数の読み手の脳内を想像しながら書いていました。
一番のハードルは、大山正紀以外の名前を出せないことでした。被害者の少女の名前だけは、記事などに登場するため、出していますが、基本的に他の人物たちは名前がありません。野球部の友人、中年バイト、女友達――という表現をしています。そんな中でも人物をイメージしてもらえるよう描写することが、なかなか大変でした。
Q SNSの炎上など、現代のリアルが反映されているのが印象的です。”同姓同名”のアイデアとSNSがここまでも結びつき、ある意味「相性がよかった」ことについてどのように思われますか。
昨今、SNS上での処罰感情の高まりによって、一般市民による容疑者特定の動きが過熱しています。同じ会社に所属していて、同じ苗字だっただけで容疑者の親族と誤解されたり、犯人と間違われてSNSで晒し上げられ、誹謗中傷を受ける問題が相次ぎました。
顔の分からない犯人が世の中に戻ってきたとき、犯人の名前だけが判明している状況下では、同姓同名であれば、犯人と勘違いされるリスクはますます高まるだろう、と思いました。
何者でもない私たちの物語
Q 作中、「何者でもない」と自分のことを言う大山正紀の言葉にすごく共感しました。SNSの炎上や、有名人への過剰なバッシングなどは、ある種の、「何者でもない人たち」の「何者かである人」への逆襲ではないかと感じるときがあります。この作品の中でも問われる”アイデンティティ”について、下村さんが着目した理由を教えてください。
誰かの言葉か、何かの記事か、「SNS社会になって自分が持っている”数字”が可視化され、みんな他者と数字を比べてしまうようになった」というような分析を目にしたことがあります。フォロワー数、リツイート数、”いいね”の数――。
大勢に注目され、共感される発言をしている人間と比べ、自分の言葉は誰にも気にされていない、と思うようになってしまうと、劣等感に苛まれたり、比較して思い悩んだり。そんな感情とどう向き合うのか、どう消化するのか、という点が『同姓同名』の登場人物たちの中にある悩みでもあったりします。
最近のSNSでは、ポジティブな内容はよほどの美談でないかぎり見向きもされませんが、誰かや何かを批判すれば簡単に注目が集まります。本当に正しいと思って批判しているのか、今の世論的にそう批判すれば共感されるから快感や承認欲求が心の奥底にあって批判しているのか――。自分の心を探ったら、向き合いたくない本音と出会うかもしれません。『同姓同名』の登場人物はそんな自己の感情と対峙し、苦しみ、悩んでもいます。自分を絶対的に正しいと信じ込むのではなく、常に葛藤しています。それは怖いことだし、勇気も必要です。
僕がSNSで何か論理や倫理を主張したくなったときは、まず”その論理や倫理が過去の自分の言動や、将来の自分の言動に向けられても問題ないかどうか”を考えるようにしています。自分に跳ね返ってきて困るなら、それは目の前の気に入らない相手を批判するために振りかざそうとしている論理や倫理なので、口にしません。自分自身が貫いていない(貫けない)論理や倫理を他人に振りかざすのは、アンフェアだからです。
本当にその論理や倫理を正しいと思って主張しているのか、気に食わない相手を批判するために振りかざしているのか、は、その人の過去の言動を見ればすぐ見分けられます。
誹謗中傷による自殺事件が起きたとき、SNSでの中傷行為を批判して”いいね”を集めていた人間が、後々、街頭インタビューで気に食わない発言をした一般男性に対し、SNSで「キモイ。こんな男は死ねばいいのに」と発言して〟いいね〟を集めていたりする姿を見ると、SNSで人を中傷する行為を本当に問題視していたわけではないんだな、と感じます。自分が不快に思う人間を批判(という名の罵倒)することは誹謗中傷にあたらない、という認識なのか、共感を得られそうな内容をその場その場で口にしているだけなのか。
『同姓同名』の登場人物たちの言動は、まさに”今”を表しています。
少し前、「幼児連れの女性が総菜コーナーでポテトサラダを買おうとしたとき、見知らぬ高齢の男性から『母親ならポテトサラダくらい作ったらどうだ』と言われていた」というツイートが話題となりました。
自分の価値観が絶対的に正しいと信じた赤の他人から、いきなり絡まれる――。そういう見方をすれば、それはSNSでは当たり前のように起こっています。現実で起きるとその異常さは誰でも分かるのに、SNSだと、わりと大勢が無自覚に同じことをしてしまう。
平和な発言をしていても、好きな娯楽の話をしていても、家族間の幸せな写真をアップしていても、見知らぬ誰かに突然批判される今のSNS社会だからこそ、『同姓同名』は誰もに読んでほしい作品に仕上がったと思っています。
ミステリー作家人生を賭けた勝負作
Q 普段は京都人らしく”腹が分からない“下村さんが、「勝負作です」と豪語されていることに、この作品への並々ならぬ思いを感じます。その発言に込められた思いを教えてください。
手前味噌になりますが、基本的に”大山正紀”以外の人物名が登場せず、登場人物全員同姓同名、という超挑戦的で魅力的な設定に加え、仕掛けと意外性が満載のミステリーで、現代を表現した社会性がある――。これほど全てが渾然一体となった作品はこの先もう書けないのではないか、と思うほどには、僕のミステリー作家人生を賭けた勝負作です。
普段は自作に控えめな僕がこうして堂々と作品の魅力を主張できるくらいには、最高の仕上がりになりました。
Q twitterでもつぶやいてらっしゃいましたが、「念校の念校」……つまりは最後の最後まで単語レベルのチェックや加筆修正を続けられた本作。連載中、プルーフ(事前のパブリシティ用に校正紙を冊子にまとめたもの)、そして単行本と、一番変化していったところはどこでしょうか。
連載時からは大きく変わりました。ある章の大山正紀が別の大山正紀に変わったりしました(笑)。
プルーフ段階では、描写や台詞回しなど、物語に大きな変化がない部分で、徹底的にチェックしました。念校の念校の念校くらいまで、単語一字に至るまで直したのは初めてです。
Q デビュー作『闇に香る嘘』以来、初めてプロットレベルで練りに練った作品とうかがいました。『闇に香る嘘』と今作を比較してどのような部分がパワーアップされたと思いますか。
江戸川乱歩賞を受賞した『闇に香る嘘』は発売前からも話題になり、年末のミステリーランキングの『このミス』で3位、『週刊文春』で2位と、高く評価していただきました。しかし、デビュー作なので、アマチュア時代に”受賞”を目的にして書いた作品でした。一方の『同姓同名』は、プロとして”読者”を見て書いた作品です。そういう”目線”に一番違いがあるかもしれません。
その一方で共通点もあります。『闇に香る嘘』は全編、目が見えない主人公の一人称で書く、という難しい挑戦をした作品で、その部分が高く評価されました。作品を書くにあたって、”目が見えないことで起こることを考えられるだけ考え、取捨選択しながら取り込んでいく”という作り方をしました。『同姓同名』も、同姓同名ゆえに起こる問題や仕掛けを考えられるだけ考え、取捨選択しながら取り込んでいきました。
『同姓同名』は僕のミステリーの創作知識全てを注ぎ込んだ作品です。
Q ジャンルを問わずいろんな作品に挑戦されてきた下村さん。鮮やかなどんでん返しなどいつも読者を楽しませてくれます。下村さんがミステリー作家として気をつけていらっしゃること、目指していらっしゃることはなんですか。また、愛読書のミステリーや、刺激を受けた小説など、教えてください。
常に読者を驚かせたいです。社会派ミステリーを書いても、冒険小説を書いても、警察小説を書いても、意外性は提供したいと思っています。
江戸川乱歩賞の先輩方、真保裕一さんや東野圭吾さん、薬丸岳さんの小説をよく読んできましたし、僕の目標でもあります。
Q この作品は、ミステリー好きな方から、本はあまり読まなくてもどんでん返しのエンタメが大好きな方や、はたまたSNSを日頃使っている方まで、いろんな人に受け入れてもらいやすい器があると思います。読者のみなさんに向けて、ぜひメッセージをよろしくお願いいたします。
今年はSNSでの誹謗中傷が大きな問題として注目されました。コロナ禍で可視化された人々の正義感の暴走も、日々、様々な記事で扱われています。そのような社会問題に興味を持っている人にはぜひ読んでもらいたいです。
ミステリーとしては、僕のミステリー作家人生の中で、ここまでミステリーに特化した作品は後にも先にもないのではないか、と思います。そういう意味では、僕の〟生涯に一作〟があるとしたら、これかもしれません。同業者にも胸を張って薦められる作品です。
”登場人物全員、同姓同名” ※注:基本的に大山正紀以外の人物名は登場しません――という設定を聞いて、興味が湧かないミステリーファンはいないのではないでしょうか(笑)。
『同姓同名』は現代を生きる全ての人に読んでもらいたい作品です。人によって様々な感じ方があり、色んな部分に驚き、衝撃を受けると思います。
着想から3年半の渾身のミステリーです。2020年は『同姓同名』をどうか見逃さないでください。