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朝日新聞記者の将棋の日々

2020.10.04 公開 ポスト

今期対局数1位、不屈の棋士・永瀬王座が将棋盤に向き合い続ける原動力村瀬信也(朝日新聞 将棋担当記者)

棋聖戦挑戦者決定戦で対戦する永瀬拓矢二冠と藤井聡太七段(どちらも肩書は当時、日本将棋連盟提供)

6月4日。永瀬拓矢は大一番を戦っていた。棋聖戦の挑戦者決定戦。相手の藤井聡太には、タイトル初挑戦がかかっていた。

叡王と王座を保持する永瀬は、七段の藤井より格上だ。しかし、この日は藤井の辛抱強い指し回しに苦しめられる。終盤、2六の馬を4四に動かした永瀬は、これまでの指し手に思いを巡らせたのか、虚空を見上げた。マスクをつけ、スーツの上着を羽織る。終局が近い。

午後7時44分。永瀬が投了。藤井の棋聖挑戦、そして17歳11カ月という史上最年少でのタイトル挑戦が決まった。

 

 

この日、東京・将棋会館には多くの報道陣が詰めかけていた。しかし、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、対局室に入れたのはそのごく一部に限られた。注目度とは裏腹に少人数となった報道陣が立ち会う中、コメントを求められた永瀬は、こう語った。「読みにない手を指されて、対応がわからなかった」。首をかしげる姿が、ネット中継の画面に映し出された。

 

永瀬と藤井の初対戦は、3年前にさかのぼる。インターネットテレビ局「ABEMA」が企画した非公式戦「藤井聡太四段 炎の七番勝負」。藤井が、若手やトップ棋士ら7人と戦うこの企画で、永瀬は得意戦法の「ゴキゲン中飛車」をぶつけて勝利。先輩の貫禄を見せつけた。

2017年の「藤井聡太四段 炎の七番勝負」で対戦する永瀬拓矢六段と藤井聡太四段(どちらも肩書は当時、村瀬信也撮影)

収録当時、藤井は公式戦でまだ無敗だった。大型新人が敗れる姿をスタジオで目の当たりにした私は、こう感じていた。「やはり、タイトル戦に出るような棋士の方が一枚上手なのか」

だが、当の永瀬本人の受け止め方は違った。藤井の想像以上の強さを肌で感じていたのだ。抜群の終盤力は広く知られていたが、将棋盤をはさんでみると、実は受けも得意で丁寧な将棋だということに気づいた。「悪い手をほとんど指さない。勢いだけでなく、本当に強いんだ」。その後、永瀬が声をかけ、2人は「VS」(1対1の練習対局)をするようになる。ある時は東京で。ある時は藤井が住む愛知で。切磋琢磨する関係は、今も続いている。

永瀬は2009年、17歳で四段昇段を果たした。相手の攻めを根絶やしにするような受け将棋で知られ、プロ入り当初から好成績を挙げてきたが、挫折もたびたび経験している。名人戦につながる順位戦では、最も下のC級2組からの昇級に6期を要した。公式戦でアマチュアに敗れるという屈辱も味わった。その黒星の後、発破をかけられた鈴木大介九段にVSを申し出て、鍛錬を重ねた話は語りぐさになっている。

 

永瀬の成長を語る上で欠かせない存在がいる。子どもの頃から幾度となく対戦してきた、2歳下の佐々木勇気七段だ。当時から「天才少年」として注目を集めていた佐々木は2004年、プロの登竜門である小学生名人戦で優勝を果たす。小学4年での優勝は、渡辺明名人に続いて2人目の快挙だった。永瀬は同じ大会で、ベスト4にも進めなかった。

昨年、叡王を獲得し、王座挑戦を決めていた永瀬を取材する機会があった。公式戦と並行して行っているVSや研究会は、毎月十数回になるという。熱意に圧倒される一方で、折に触れて名前が挙がるのが佐々木だった。

「自分が子どもの頃、一番の才能の持ち主は佐々木勇気氏でした」
「自分は将棋しかできないタイプでしたけど、佐々木勇気氏は、書道がうまくて勉強もできるんですよ」

向こうは自分より将棋が強く、勉強もできる。それと比べて自分は――。そんなコンプレックスが、来る日も来る日も将棋盤に向き合う原動力になったのだろう。「さん」でも「君」でもない「氏」という呼び方に、独特な関係性が感じられた。

タイトル挑戦、そして念願のタイトル獲得を果たして、永瀬は名実ともにトップ棋士となった。そんな頃、猛烈な勢いで追いかけてきたのが藤井だ。藤井の二冠獲得後の取材で、永瀬はこう語った。

「他の人とVSをやっても、勝率が5割を切ることはない。でも、藤井さんにはかなり負かされている。追いつくために、努力しないといけない」

9月21日。叡王戦七番勝負の第9局が将棋会館で指された。ここまで共に3勝3敗。第2局と第3局が持将棋になり、「七番勝負」なのに9局目に突入する異例のタイトル戦になった。

タイトル初防衛がかかる永瀬だったが、中盤で豊島の妙手を見落とし、劣勢に立たされてしまう。終盤、豊島が盤上を見つめながら、せわしなく指を動かす。永瀬はスーツの上着を羽織り、マスクをつけた。藤井戦で見た光景と同じだった。

午後11時10分、永瀬投了。叡王を失い、タイトルは王座だけになった。

叡王戦第9局で、対局を振り返る永瀬拓矢叡王。叡王を失い、タイトルは王座一つになった。(村瀬信也撮影)

終局後、私は東京将棋記者会代表としてインタビューをした。七番勝負が第9局までもつれ込んだことを尋ねると、永瀬はこう答えた。

「タイトル戦に出る回数がまだ少ないので、タイトル戦の対局数を増やせたのはとてもいい経験になった」

返ってきたのは、タイトル戦としては異例の長丁場となったことに対する感慨ではなく、真剣勝負の場が増えたことを喜ぶ前向きな言葉だった。今期のここまでの対局数は、全棋士中1位の30局(未放映のテレビ対局を除く)。4日にも対局がある。さらなる高みを目指して、永瀬は今日も将棋盤に向かう。

関連書籍

朝日新聞記者 村瀬信也『将棋記者が迫る 棋士の勝負哲学』

藤井聡太、渡辺明、豊島将之、羽生善治…… トップ棋士21名の知られざる真の姿を徹底取材! ! 史上最年少で四冠となった藤井聡太をはじめとする棋士たちは、なぜ命を削りながらもなお戦い続けるのか――。 「幻冬舎plus」の人気連載『朝日新聞記者の将棋の日々』に大幅加筆をし、書き下ろしを加えてついに書籍化。 藤井聡太の登場から激動の5年間、数多くの戦いを最も間近で見てきた将棋記者・村瀬信也が、棋士たちの胸に秘める闘志や信念に迫ったノンフィクション。

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村瀬信也 朝日新聞 将棋担当記者

1980年東京都生まれ。早稲田大学将棋部で腕を磨き、2000年の学生名人戦でベスト16に。2003年、朝日新聞社に入社。2008年に文化グループ員になり、2011年から将棋の専属担当に。大阪勤務を経て、2016年、東京本社文化くらし報道部員になり、将棋を担当。名人戦や順位戦、朝日杯将棋オープン戦を中心に取材。共著に『大志 藤井聡太のいる時代』(朝日新聞出版)がある。

Twitter:@murase_yodan

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