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闇が呼んでいる

2020.12.22 公開 ポスト

#1 仕組まれた罠…亡霊が迫りくる戦慄のミステリー赤川次郎

女子大生4人組を薬で眠らせ、暴行する事件が発生。彼女らはみずからの薬物使用を隠ぺいするため、ある男子学生にすべての罪を着せ、自殺に追い込んでしまう。数年後、別々の道を歩み始めた4人に、奇妙な手紙が届く。差出人は、死んだ男だった……。ベストセラー作家、赤川次郎さんによるミステリー小説『闇が呼んでいる』。本当に死んだはずの男がよみがえり、復讐を始めたのか? 気になる本書の試し読みをお届けします。

*   *   *

1 中断

「今日はいやに静かだな」

講義の途中で、教授がそう言うと、教室に笑いが起った。

(写真:iStock.com/taka4332)

教授はホワイトボードから机の方へ戻りながら、

「携帯電話も鳴らんし、途中で堂々と出て行ったりもしない。――そうか。今日はあの四人組が休みなんだな」

百人ほど入る教室に三十人ほどの学生。三分の二が女子学生である。

前の方に座っていた女子学生が、

「先生、寂しい?」

と言って、また笑いを取った。

「誰が寂しいもんか。――しかし、四人揃って風邪引いたのか。仲のいいことだな」

教室の、ほぼ真中の机に、いつもその四人の女子大生は座っている。ミネラルウォーターやアルカリイオン水のペットボトルを机の上に置いて、あたかも弦楽四重奏団のようにおしゃべりが続くのである。

「――よし、それじゃはかどるときにどんどん進んでおこう。次のページを開いて」

と、教授が言ったとき、教室のドアが音をたてて開いた。

一瞬誰もが、例の四人組が遅れて来たのかと一斉に目をやる。

しかし、立っていたのは、どう見ても学生とは言えない、パッとしない中年男が二人。

「何か用かね」

と、教授は言った。

「失礼」

と、二人は中へ入って来ると、「ここに、西川勇吉という学生が?」

「あんたたちは?」

「警察の者です」

男の一人が手帳を覗かせた。

教室の中がざわつく。

「静かに!」

と、教授は言って、「――西川。いるか?」

そろそろと立ち上ったのは、奥の隅の席にいた男子学生で、

「はい……」

と、蚊の鳴くような声を出した。

「君が西川か。――刑事さん、何のご用か知らんが、講義が終るまで待っていてもらえんかな」

「それはちょっと……」

教授は肩をすくめて、

「西川。ちょっと来い」

と手招きした。

西川という学生は、しかし動かなかった。

「――おい、西川!」

と、教授が苛々と、「早くしろ!」

西川は、机に出していたノートやペンをゆっくりと片付け始めた。どう見ても、わざとゆっくりやっているとしか思えない。

「早くしないと、こっちから行くぞ」

と、刑事の一人が脅すように言った。

すると、さっき教授に「寂しい?」と訊いた女子学生が、

「そんな言い方、ひどいわ」

と言った。「西川君が何をしたっていうんですか」

刑事が冷ややかに笑って、

「聞いたら腰を抜かすよ」

教室の中は水を打ったように静まり返った。全員の視線が西川勇吉の方へ向いている。

西川は、やっと自分のバッグを肩にかけて、教室の前の方へ歩いて来た。

「――お前、一体何をやったんだ?」

と、教授が言った。

西川はちょっと教授を見ると、

「何もしてません」

と、少し震える声で言った。

「訊きたいことがある。一緒に来てくれ」

と、刑事が促す。

二人の刑事に挟まれるようにして、西川は教室から出て行った。

ドアが閉ると、教授は、

「――じゃ、授業に戻るぞ」

と言った。

「先生!」

と、あの女子学生が立ち上った。

「何だ?」

「西川君は逮捕されたわけではありません。それなのに、『何をやったんだ』って言い方はないと思います」

女子学生は教授をしっかりとにらんで、「あとで逮捕されても、判決が出るまではただの容疑者じゃないですか。それなのに、先生が頭から学生を疑ってかかるような言い方をするのは、間違っています!」

と、厳しい口調で言った。

教授の顔が紅潮した。

「――でも、あいつ、変ってるもんな」

と、男の学生が言った。

女子学生は振り返って、

「変ってるってことが何の証拠になるの? 年中サボってる学生の方が、見方によっちゃよっぽど変ってるんじゃない?」

「待て」

と、教授は遮って、「君……名前は何だ?」

「馬場百合香です」

「馬場君か。――君の言う通りだ。僕が悪かった」

教授は他の学生たちを見回すと、「このことで、勝手な憶測や噂を流さないこと。分ったな」

「先生、ありがとう」

と言って、馬場百合香は着席した。

「西川か……。いつも、ちゃんとノートを取ってるな。名前は知らなかったが」

と、教授はひとり言のように言った。「何でもないといいな……」

そして、教授は講義に戻った。

――西川勇吉は、結局この講義に戻って来ることはなかった。

(写真:iStock.com/BrianAJackson)

「大臣――」

と、呼ぶ声で田渕弥一は目を開けた。

「何だ。眠ってるわけじゃないぞ」

と、外務大臣は秘書の加東へ言った。「目をつぶってただけだ」

実際のところはウトウトしていた。六十近くにもなると、前の日の疲れはすぐに消えない。

加東は田渕の秘書として、まだ一年ほどだが、一体いつ眠るのかと思うほどよく駆け回る。三十になったばかりの独身青年である。

会議中に田渕が眠っていると、よく起しに来るので、今もてっきりそれかと思ったのだ。

「これを」

加東が青ざめている。――よほどのことだ。

田渕はメモを見た。血圧の高い、いつもの赤ら顔から一瞬の内に血の気がひいた。

「――総理」

と、田渕は立ち上って、「申しわけありません。ちょっと身内に事件が……」

誰もが戸惑って田渕を見ている。

「どうぞ」

と、総理大臣が肯いた。「大丈夫か?」

「はあ。――では失礼します」

田渕は、椅子を倒しそうな勢いで、部屋を出た。

 

車に乗るまで、何も言わなかった。

車が走り出すと、加東は運転席との仕切りを閉めた。

「――どういうことだ」

田渕の声は震えていた。「美香は……」

「ご無事です。いえ――けがをされたとか、そういうことはありません」

加東は言葉を選んで、「警察から連絡があって、すぐ駆けつけましたが、ご本人にはお会いできませんでした」

「どういうことだ?」

「つまり、ご本人がショックを受けていて、誰にも会いたくないと……」

「そうか」

田渕はメモを見直して、「これには『友人と一緒にいる所を襲われた』とあるが……」

「詳細は分りませんが、お嬢様はS大のいつも一緒の仲間と遊びに出ていたようです」

「ああ、この前ハワイへ行った四人組だな」

「そうです。四人だからと安心して遊んでおられたんでしょう。夜、六本木の辺りへ出ておられたようです」

「誰もついていなかったのか!」

「ボディガードつきでは窮屈というのも分ります。大学のサークルの集りだというので大丈夫と……」

「それで――『襲われた』というのは? 具体的にはどういうことだ」

田渕の問いに、加東は少しの間答えなかった。

「――今は、はっきりしたことが分っていません」

と、加東はやっと口を開いて、「直接、捜査担当者からお聞き下さい」

田渕のメモを持つ手が震えた。

「分った」

と肯いて、窓の外へ目をやる。「分った。――加東」

「はあ」

「マスコミの方を頼む。美香が傷ものになった、とでも書かれたら……」

「手は打ちました。警視総監に直接連絡して、一切公にしないように念を押しました」

「そうか」

「しかし……大学の中などで、多少の噂が流れるのは避けられません」

「いざとなれば、S大から海外へ留学させる」

「それがよろしいかもしれません」

「ともかく……無事な顔を見たい」

と、田渕は言った。

車は順調に流れにのって走っていた。

「――加東」

「はあ」

「犯人は分ってるのか」

 

一人、椅子にポツンと座った西川は、いつも以上に小柄に見えた。

「西川勇吉、二十一歳」

と、刑事は言った。「あの男に間違いありませんか」

照明を落とした部屋から、ハーフミラーを通して西川を見ていた田渕美香は肯いた。

「間違いありません」

低い声だが、はっきりと言った。

心細げな西川は、何かすがれるものを見付けようとするかのように、顔を上げて部屋の中を見回した。

西川の目が自分を見たような気がして、美香は思わず後ずさった。

「大丈夫ですか?」

「ええ……。向うからは見えないんですよね」

「見えません。ハーフミラーですからね。それに向うは明るくて、こっちは暗い」

「声は? 聞こえません?」

「大丈夫ですよ。普通にしゃべっている分には、全く聞こえていませんから」

刑事は請け合った。

「すみません……。怖くて……」

「当然です。――確認していただけば結構ですから、戻りましょう」

刑事の応対は、美香の父親のことが知れると、ガラリと変って親切になった。

「あの……まだずっといなきゃいけませんか」

「もうじき、大臣がみえます」

「父がですか」

「ええ。――他の三人のお宅にも、今、連絡を取っています。一人でお帰しするのは心配ですから」

美香は、その部屋を出ようとして、振り向いた。

ハーフミラーを通して、西川勇吉はひどく孤独に見えた。それは鏡の枠が切り取った西川の肖像画のようで、すでに西川には生気が感じられなかった。

「――どうかしましたか」

と、刑事が訊く。

「いえ……。ああいうのがハーフミラーになってるって、年中映画やTVでやっているのに、どうして気が付かないんだろう、と思ったら、ふしぎで……」

「ああ、そうですね」

と、刑事は少しホッとしたように言った。「いや、誰でも連行されてくると、頭に血が上って、わけが分らなくなりますからね。ああしてキョロキョロしてても、目は何も見ていないんです」

「そうですか……」

美香の目にはそう見えなかった。

西川は、自分を何が待っているのか知っているとでもいうように、ただひたすら首をすぼめ、小さくなって消えてしまおうとしているように見えた。

もちろん、そんなことは無理だ。不可能なのだ。

「――さあ、落ちついて下さい」

と、刑事は言った。「あの西川って奴にはしっかりしゃべらせてやりますから」

美香は黙って会釈をして廊下へ出た。

そして小部屋へ戻ってドアを開けようとすると、刑事の方を向いて、

「すみませんけど、コーヒーか何か、頼んでいただけます? お代、払いますから」

「いや、とんでもない! すぐ――すぐ運ばせますから」

その刑事がかなりあわてた様子で行ってしまうと、美香は小部屋のドアを開けた。

関連書籍

赤川次郎『闇が呼んでいる』

女子大生四人組を薬で眠らせ、暴行する凶悪事件が発生。四人組は自らの薬物使用を隠蔽するため、同じ大学の男子学生に全ての罪を着せ、自殺に追い込んでしまう。数年後、別々の道を歩み始めた四人に、奇妙な手紙やFAXが……。差出人は、死んだ男だった。葬ったはずの男が甦り、復讐を始めたのか?闇の中の亡霊が迫り来る戦慄のミステリー!

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闇が呼んでいる

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赤川次郎

1948年、福岡県生まれ。76年に「幽霊列車」でオール讀物推理小説新人賞を受賞。『東京零年』で第50回吉川英治文学賞受賞。著書は600冊以上を数える。ユーモア・ミステリーの他、サスペンス小説、恋愛小説などで活躍。

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