乱歩賞作家の下村敦史さんが、「不幸にも殺人犯と同姓同名になってしまった人たちの苦悩」を入り口に、「登場人物全員、同姓同名」という前代未聞の大エンタメミステリとして書ききった『同姓同名』。物語の中では「同姓同名被害者の会」なるものも登場して、驚愕の展開になるのですが……そんな「同姓同名」というテーマに一足早く大注目し、活動をされていた「一般社団法人田中宏和の会」をご存知でしょうか。今回は会の代表理事である田中宏和さんに本書の感想をいただきましたので、ご紹介させていただきます。
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同姓同名という運命の偶然で生まれる絆
「一般社団法人田中宏和の会」代表理事
田中宏和
「大山正紀は大山正紀に掴みかかった」
この一文にたどり着き、「待ってました。そうこなくっちゃ!」と心の中で叫んだ。
「自分で選んだわけじゃない
気づいた時には呼ばれてた
田中宏和は田中宏和を知る
同姓同名 世界にたくさん この世界にひとり
田中宏和 この名前で会いましょう」
2009年、11人の田中宏和で歌ってリリースした『田中宏和のうた』の1番の歌詞である。
わたくし田中宏和が作詞し、ゲーム音楽やポケモンの楽曲で世界的に知られる「作曲の田中宏和さん」によって、田中宏和運動初のオリジナルソングとなった。
わたくし田中宏和は、1994年のプロ野球ドラフト会議で近鉄バファローズの第一位指名選手「田中宏和」がきっかけで同姓同名の不思議にはまり、以来、同姓同名収集家として、「田中宏和さん」を探し続け、2003年から「田中宏和さん」と会う「田中宏和運動」の「ほぼ幹事の田中宏和」となり、今では149人の田中宏和さんと会ってきた「一般社団法人田中宏和の会」の「代表理事の田中宏和」である。
当方、同姓同名の世界にはまりこんで四半世紀以上のベテラン。これまでに同姓同名を扱った二つの文学作品を認識していた。ひとつは、エドガー・アラン・ポー『ウィリアム・ウィルソン』。言わずと知れた、江戸川乱歩のペンネームの由来となる、この19世紀前半のアメリカを生きた、「推理小説」というジャンルをつくったパイオニアの手による作品だ。同姓同名の他人に自分自身の姿を見る、ドッペルゲンガー現象を扱っている。もうひとつは、松尾スズキが2002年に発表した『同姓同名小説』。現代の芸能人、有名人たちと同姓同名の主人公のそれぞれの日常の物語を集めた短編集だ。周知の人物の世間でのイメージを利用して、虚実ないまぜの喜劇へと昇華したのは、演劇人ならではの力業だった。
これら2作品は、同姓同名の二人をめぐる話になっているのだが、この下村敦史さんの新作では一挙に10人以上の同姓同名の人物が登場する。前代未聞の文学的挑戦にふさわしい同姓同名の人物の描き分け、同姓同名の会ならではの独特の雰囲気の描写が見事だった。
初めての「同姓同名被害者の会」で、幹事役の「長身痩躯の大山正紀」が語り始める。
「『……全員が大山正紀だって思うと、自分の分身に出会ったような、奇妙な感じがしますね。じゃあ、名前以外の自己紹介をしましょうか。たとえば、職業とか、趣味とか、まあ、何か。お互いのことが何も分からないと、区別もしにくいですし……』
数人が黙ってうなずく。
『思えば、名前ってのは人の区別のためには大事なんですけど、同姓同名だと、無用の長物で、何の役にも立たないっていう。俺はこうなって初めて名前の曖昧さというものを思い知らされました』」
まるで「田中宏和の会」を取材されたかのようなリアリティに驚いた。同姓同名が集うと、他者と識別する名前が機能を果たせなくなるので、出会った時に「これからの呼び名」を決めるのが、「田中宏和の会」のルールになっている。出身地、職業、趣味などにちなんで名付けることが多い。
著者の名前の現象学的考察とでも言うべき鋭敏な洞察には、思わず唸った。
「名前ーー。
曖昧でありながら、容易に切っても切り離せないもの。人は同姓同名の人間に潜在的な違和感や気味の悪さを覚えるが、話してみれば、実は共通の趣味を持った者同士よりも深く通じ合えるのかもしれない」
わたくし田中宏和が、2003年に初めて会った他人の田中宏和さんである「渋谷の田中宏和さん」は、その時の感想を「生き別れた双子の兄弟に会った気分」と表現した。その後、人数が増えていっても、他人同士なのに田中宏和さんたちに漂う「遠い親戚感」は、ますます濃くなるばかりだ。目下のところ「同姓同名の集い」のギネス世界記録への挑戦も連帯感を強める一因になっている。
同姓同名の集いも大規模になってくると、田中宏和さんだらけに酔ってくるようになる。オリジナルソングの4作目『同姓同名ガンボ』で書いた歌詞は、
「自分の他人が自分であって自分でない
他人が自分であって自分は他人でない」
田中宏和さんが集うと、意識が幽体離脱したような気分になる。
作品中に出てくる、「自分の周りにいた人たちも、おそらく誰かの同姓同名だ」というフレーズも名前の本質を突いている。よく「自分の名前には同姓同名はいないから」とおっしゃる人がいる。確かに現時点でインターネットでエゴサーチをしてもヒットしないかもしれないが、これから同姓同名の人物が生まれてくるかもしれないのが、名前の面白さだ。そもそも「自分の名前」という考え自体が間違っているのでは、いま自分に付けられた名前は借り物なのでは、わたくし自身、そういう風に名前を捉えるようになっている。固有名詞が固有でなくなるのが、同姓同名の集いなのだ。
だからこそミステリの設定として申し分ないと見定めた筆者の慧眼に感服する。
この作品で唯一残念なのは、「同姓同名の苦しみ」がテーマになっている点だ。田中宏和の会は、田中宏和同士の互助会だからだ。だからこそ昨年田中さんから「このたび息子に宏和と命名しました」というメールをもらった時はうれしかった。田中宏和の名前の後継者が生まれたという事実だけでなく、「田中宏和の会」の存在を知った上で名づけられたと聞いたからだ。「生まれた時から助けてもらえる同じ名前の人たちがいるのは心強い」とは、お父さん田中宏典さんの弁。
ともあれ、名前についての哲学を掘り下げながら、読み進めると止められないエンタテイメントに仕上げた著者の達成には驚嘆する他ない。
いっそのこと下村敦史さんも田中宏和さんに改名して、「同姓同名小説」を次々と発表し、世界の文学界に新たなジャンルを確立していただけないか。現在の日本の法律であれば、「田中」姓の養子になり、家庭裁判所に「宏和」への改名の申請書を提出すれば、「田中宏和さん」になれる。いくつかある申請の承諾理由の一つは、「犯罪者や有名人と同名」らしい。
同郷の京都生まれの下村さんには「そんなん言われても、知らんがな。ほな、さいなら。」と一笑に付されそうだが。