「オタク同士、分かり合える人が身近にいるって最高!」「適度な距離感を保てる仲間との暮らしっていい」など、ネットで話題の藤谷千明さんの著書『オタク女子が、4人で暮らしてみたら。』。
日本だけでなく、香港、台湾、韓国のエンターテイメント全般について取材されている、ライターの西森路代さんに、書評をお寄せいただきました。
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推しているジャンルは違えど、オタクであるという共通点で繋がったアラフォーの4人が共同生活を始める過程を追った『オタク女子が、4人で暮らしてみたら。』を読んでみて、現代の日本社会において、女性が「オタク」であることはなんという「強み」なのだろうかと思った。
理由はいろいろある。まず、オタクであるということは、行動範囲が広がる。こういうと、内向的で行動的ではないというイメージの強かったオタク本来の意味からすると相反しているように思えるかもしれないが、今のオタクは、家にいる時間も大切にしつつも、ライブやら観劇やらで外に出ることが多く、おのずと趣味を通じて出会う人が増える。
それは、会社員であってもフリーランスであっても、自分の生活圏だけでなく、未知の世界を知るきっかけにもなっている。自分の経験としてもそうであった。
オタクであるということで、一般的に、女性はこういう生き方をしないといけないという、固定化したジェンダー観から一歩枠外に出る可能性も高いだろう。もちろんオタクであることと一般的に望ましい生き方との両立も可能であるが、一般的に望ましいとされてきた生き方とは違う、オルタナティブな生き方をしている多様な人と出会うことで、「こういう風に生きなくては」という考えから逃れられる可能性は高いだろう。この本の中でも、結婚願望の有無や、両親が娘の将来をどう考えているかで、ルームシェアできるか否かを分けていた。
オタクは、オタク活動の中で、チケットのやりとりなども経験しているために、お金に関してフェアな感覚を大事にしていることも多い。そうしないと、長く安定的なつきあいができないからだ。こうした経験も強みになる。この本でも、それぞれが暮らす間取りも利用する時間帯も違う中で、ルームシェアの家賃についてどのような配分にするのかと思っていたら、「フリーランスで部屋にいる時間が長いほうが多く払う」という公平な道筋を見つけていた。
もっと言えば、ルームシェアをゼロからスタートするということは、何かのプロジェクトを立ち上げるようなところがある。面白そうなことが好きなオタクが、それに乗っかるのは、プロジェクトに参加するというような意味合いもあるのだと思った。
物件が決まってからは、合意の連続と、集合知が有効な世界であった。家具や家電を選ぶには、4人全員が納得できることが条件になるし、これまでの知見とネット検索によって、不便になりそうなことは、徹底的に避けられる。
後になって気づいたことが、登場する4人の年齢差や収入格差などは一切みえなかった。自分の場合もそうだが、女性同士の関係性で、奢ったり奢られたりという機会は少ないし、上とか下とかというものは、あまり可視化されない。さらに、オタクであるということは、学校や会社で知り合った関係性ではないからこそ、年齢や役職やその人の地位などは人間関係に影響がなくなる。それも、フェアネス、合議制につながりやすいのだろう。
意外に思ったところもある。それは、この本に、アツい女同士の友情がことさらに書かれているのではなく、あくまでもオタクがルームシェアするというプロジェクトを楽しんでいるという雰囲気が強かったところであったし、読んでみて、そこがなぜかすごく心に染み入った。実際「大親友のような固い絆で結ばれていなくても、『暮らす』分には、最低限の価値観が近いだけでなんとかなるように思えたのだ」とも書いてある。お互いに心地よい距離感を保ちながらも、誰かが病気になったら、そっと食糧をドアノブにかけておくような、そんなやりとりにほっとする自分がいた。
結局は、人と人が長くつきあっていくには、強すぎる絆を築くよりも、こうしたやりとりの積み重ねのほうが重要なのかもれない。一見、ドライにも思えるが、家族だって実はそういう部分が必要なのに、今は愛や絆の良さばかりがフィーチャーされすぎている。
新居に越した4人が、その空間を「実家っぽい」と口にする。この4人の共同生活には、押しつけがましい愛や絆はないが、代わりにエモさがあった。
最後にひとつだけ言っていいだろうか。これだけバラバラのオタクを一堂に会させるサンリオピューロランド、最強……。